密教993 浄化祈祷②


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その依頼は、女性が借りた部屋が、何故か落ち着かない異様な雰囲気に包まれて居ると言う相談であった。

私は靈視を試みた。
すると中年の男が視えた【中年男はこの世の者では無い】
相談者が借りた部屋で亡くなった者である。

その中年男は仕事もせず酒に溺れ、その部屋で死んだのである。
しかし、その中年男は死んで驚いた!
何故か?
その中年男は死んだら全て終わりと真剣に考えて居たからである。


そして、男女問わず死を理解して居ない者は、ある死後の変異に氣づきます。
肉体が無いのに、襲い来る現象である。
それは性欲である。

肉体が無いのに何故、性欲が訪れるのか?
それは錯覚である。
靈的真理を學んで居ない者は、死後、意識界、無意識界の区別が付かず
己が生きて居ると錯覚する事は多々ある。

死を理解して居ない中年男は、自分の部屋に若い女性がやって来たと思い
女性を獲物としたのである。

最早、この靈体を説得する事は出来無いと判断した私は、
調伏法を修し帰幽させるしか無いと判断し厳修し納めました。

そんな理不尽なと考える方も居るで有ろうが、これが現実なのである。


南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


死んでから驚いて、右往左往しても遅いのです。
ましてや自分が生きているかのように錯覚し(あるいは、生身の肉体がないのをいいことに)他者の生活を脅かすなど、もってのほかです。
そうならないためには、生きているうちに霊的真理を學び、死後のことを理解しておく必要があります。

「死」は、誰にでも平等に訪れます。
だから、私には関係ない、自分は大丈夫ということはないのです。


今日もありがとうございます

慈葉



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# by jiyou-925 | 2019-01-21 06:00 | 永作師僧からの便り

密教992 浄化祈祷

過去に数え切れないほど、家の浄化祈祷【アパートも含め】を依頼され実修して来たが、
その中でも忘れられ無い例を紹介して参ります。

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①マンション、アパートでの怪異現象は、一軒家に比べて高い確率で発生して居る。
賃貸物件は様々な人が出入りを繰り返すのは当然の事だが、普通に出入りして居れば何の問題も無いのだが、いわゆる事故物件には気をつけて下さい。

ご存知の方も多いと思いますが、マンション、アパート、一軒家、いずれも一回他に貸し付けた場合には前歴を明かす義務は無いのである。
従って事故物件であるか無いかは、貸し主、売り主の良識に任される場合が多いのです。

特に都会の場合は、隣に誰が住んで居るか、以前に何があったかなどを知る事は、困難で有ろう。
そして様々な事故物件が存在するのも都会では当然と言えるかも知れない。

どんな事故物件かは、ニュースを見て事件事故を考えればどなたでも想像がつくはずです。
私は、自分はそんな事は気にしないと思う方は、それでも良いのでは無いでしょうか。

次回は実際に行った浄化祈祷をお話ししようと思います。


南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


マンション、アパートは、築年数が経てば経つほど
不特定多数の人が出入りしている事になります。
中古物件は、様々な人が生活した痕跡がいろんなところに残ります。
画鋲の痕や壁のシミのように、目に見えるものなら自分で確認もできますが
人の念のように、見えないものが影響している事もあります。
いざ住み始めて後悔しないよう、慎重に調べることが大切になりますね。

今日もありがとうございます

慈葉

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# by jiyou-925 | 2019-01-20 06:00 | 永作師僧からの便り

密教991 品格と品性

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現在では品格、品性と云う概念を口にする人は少ない。
また品格、品性の意味を理解して居る人も少なく思います。

何故か?解って居れば様々な恥知らずな出来事は起こって居ないはずである。
あおり運転など正に愚劣極まり無い行為であり品の無さの極みである。


品性、品格は財力、地位、名声などに依り決まるものでは断じて無い。
品性、品格とは心の写し鏡である
美女、美男で有ろうが心が貧しければ、其処に美は存在しません。


品格、品性は努力に依り磨かれ、氏素性【生家】の違いは関係ありません。
どんな名家に生を受け様と本人が努力もせず、怠惰に生きれば、ただの馬鹿である。

その逆に貧しさの極みの中で育ち乍らも立派な人に成った人も数え切れません。

以下は私が少年の頃に実際にあった出来事である。

私と仲が良かった友人の家は、今で言う母子家庭であった。
友人は当時、家計を助ける為に新聞配達【小学生】をして居ました。

中学も高校も夜間で學び、母を助けました。
それから大学受験【医学部】彼は見事に合格しました。
しかし辞退した。
彼は私に言いました。
どうしても自分の実力を試したかったと言い、私は彼と酒を飲み語り明かした。
彼の眼には、涙が浮かんでいた事を私は忘れる事が出来ません。


南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


品格、品性は、努力により磨かれるもの。
美しいものを愛でる余裕や、他を慈しみ労われる思いやりは、
おのずと立ち居振る舞いや所作に滲み出るものと思います。

品のある人とは、己が良心に恥じない生き方をしている人なのではないでしょうか。


今日もありがとうございます

慈葉



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# by jiyou-925 | 2019-01-19 06:00 | 永作師僧からの便り

密教990 犯罪者の感情


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全ての始まりは自己中心性に端を発し、他人に悪意を抱く事から発生して居るのである。
では、悪意を何故、抱くのか?
精神医学では様々に解析して居るが、未だ解決には至って居ないのが現状である。

しかし上記を靈的観点から視る時、総論で言えば魂の未熟である
人間の本質は魂であり、肉体は魂の入れ物に過ぎません。
人間に生まれ、喜怒哀楽の感情を知らない者は皆無で有ろうが、
悪意、善意を選択する要因とは何か。

智慧と理性である
悪意を抱く者には欠損して居る感情である。

智慧とは、様々な人生の中で、ある時は、涙、怒り、苦悩しながら身につけた學びである。
理性とは他をおもんばかる心の耐性である。

智慧と理性を理解せず、世に出て好き勝手に振る舞う行為は、
餓鬼、畜生の魂を宿した人間の皮を被った獣である。

私達は學びを通して智慧と理性を養い、自らの魂向上と
人とは、人生とは、生きるとはを実感する時、必ずや答えが見出せます。

然る後に本当の幸せとはに氣づくのである。


南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


智慧と理性は、學びを通して誰にでも培うことが出来るものなのだと教えて頂きました。
自分には関係ない、私は大丈夫…というものではなくて、私達ひとりひとりが「自分の魂の向上」を目指して、様々な問題を解決していくにあたり、智慧と理性は指針となったり、助けとなるものと思います。

何事も自己中心的に考えていては、智慧は身に着かず、理性は感情に呑まれてしまいます。
そうなってしまえば、やがて魔族と同化して、まっすぐに破滅へと向かう事になりかねないので、気を付けたいものです。

今日もありがとうございます

慈葉



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# by jiyou-925 | 2019-01-18 06:00 | 永作師僧からの便り

密教989 氣づき


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私は上記の題材を幾度も解説して来ました。
何故か?
それは、しあわせへの最短距離だからである。


反省も氣づきが無ければ完成には至りません。
氣づきとは大いなる真理の入り口である。

氣づかぬ者に真理の道は無い。
愛を求めても愛を得る事はない。
しあわせを欲しても、しあわせは遠去かり愛欲に涙する。
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氣づきとは最高の學びの入り口である。
何故か?
他人に幾ら『良いからやりなさい、やってみたら』と、勧められても、
心の納得が無い場合、長続きはしません。
その根幹にあるのは、氣づきである。
自身が氣づき、自ら學ぶ事を求めた時、様々な氣づきを自らが実感する事に成る。
言わば納得の學びほど強いものは無い。


納得とは、氣づきが具現化した証しである。
納得は、自ら落とし込む段階の始まりである。
納得に至らない者は多い。
それが、現代社会である。
だから訳の分からない事件、事象が表面化して居るのである。
眼を背けずに直視すれば誰の眼にも明らかで有ろう。


分かったつもり、學んだつもりは、學ばぬ者より多少ましなだけである。
學ぶなら全身全霊をかけて學び、己が内に落とし込む時、
あなたの人生は學び多きものに変化し、しあわせを引き寄せる事に繋がるのである。



南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


氣づくためには、疑問を持たなくてはいけません。
恋愛、金銭、人間関係、社会問題…何に対して疑問を持つのかは、人それぞれかもしれませんが
氣づきにつなげるためには、「考える」ことが不可欠です。

「今よりも状況を良くするためには、どうしたらよいのか」
これを真剣に考えなくては、氣づきを得ることはできないと、個人的には思います。

問題の本質を直視することは、時に心に激しい痛みをもたらす場合もありますが
そこから目をそむけて得られる氣づきはありません。

例えば、膨らみすぎた借金の原因、道ならぬ恋の行き先
思考停止して、その場しのぎの占いや神頼みでなんとかなると思っている人が
あまりにも多いような気がします。
問題解決は、〇〇ヒーリングや✖✖アイテムがするのではなく、
自分自身だということを忘れてはいけませんね。


今日もありがとうございます

慈葉


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# by jiyou-925 | 2019-01-17 06:00 | 永作師僧からの便り

金剛山赤不動明王院 永作優三輝師僧のもとで霊的真理を學ぶ慈葉のブログです


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