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カテゴリ:慈葉日記( 22 )

失敗もまた経験


同氣法を続けています。

夜のひとときを同氣法の時間に当てていたのですが
3周目に入ったある日、やらかしてしまいました。

就寝前に持病の薬を飲んでいるのですが、眠くなる成分が入っています。
いつもはお勤めが終わった後に服薬して就寝、という流れなのですが
その日は「どうせすぐには効いてこないから」と、先に服薬したのが間違いのもとでした。

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般若心経かご真言かは忘れてしまいましたが…
連続して唱えているうちに意識が飛び始め、ハッと気付けば全く違うことを口走っておりました💧
集中しているつもりだったので、関係ないことをボソボソと呟いていた自分にビックリです(-_-;)


これはまったくの自主練で、自分の目標として100日を目指していたので
「やっちまった」感が…(笑)
それでも心が折れることはなく、これも経験として捉え
今はお勤めの時間を見直し、師僧にご指導を仰いで、また一から始めています。

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内面や感覚の変化はよくわかりませんが、一番大きくてわかりやすい変化と言えば
首の椎間板ヘルニアで、右肩~手先に痺れと痛みがあったのですがそれが無くなりました。
おかげで整形外科へ通わなくてもよくなり、痛み止めの薬と湿布がいらなくなったことでしょうか。
(注:これは私が感じた変化であり、誰にでも同じことが起きるというわけではありません)


私が同氣法を続けているのは、非常にありていに言えば御本尊さまが大好きだからです。
折衷していただけるように、御本尊さまの声を聞かせていただけるようになりたい
そんな思いが力になっています。

この先もいろいろと失敗することもあるかもしれませんが、
挫けることなく御本尊さまとの大切な時間を大切にしていきたいと思います。


慈葉



by jiyou-925 | 2018-07-19 17:30 | 慈葉日記

満たされているとき、そこには感謝しかない

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部屋の明かりを消して、キャンドルに火を灯す。
ゆっくりと呼吸を整えながら心の声を拾っていく。

キャンドルの炎のように、ゆらゆらと揺れる想い…
その欠片を見つめて、息を吐き、また吸い込む。


私が今、こうしていられるのは、教え導いてくださる御本尊さまと、
師僧や姉弟子、法友の皆様のお陰で、本当に有り難いことだと常に思っているけれど
今日、ふと気付いた事は、様々な事情で御本尊さまから離れていった人達からも
私は学びを得ていたのだ、という事。



何を信じるのか、學ぶのか、學ばないのか、どの道を行くのか…

『これからは二極化が激しくなる』
そう仰った師僧の言葉を思い出す。


物質的価値観のなかにいては、いつまでも満たされることはない。


見苦しくないものねだりをするよりも、頂戴しているものの多さに気付き
それらを大切に日々を過ごしていれば、心は感謝で満たされて、しあわせを感じることが出来るのだと思います。



慈葉



by jiyou-925 | 2018-07-07 23:00 | 慈葉日記

霊性に目覚めるとは


赤不動明王院密教塾で学びはじめて2年が過ぎました。

2016年9月に御本尊さまとの結縁が叶い、
今迄の遊びのような「スピリチュアル」から脱却したいと考えて
自ら師僧に「先生のブログをリブログさせてください、ブログを拝読させていただき
感じたこと、学んだことを自分のブログで書かせてください」と直訴(笑)して、現在に至ります。
(※現在は姉弟子である慈優さんが『ブログ行』の窓口となっておられます)

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霊界の仕組み、法則、信仰とは何か…學ぶテーマは尽きませんし、まだまだ知らない事だらけです。
それでも私の現在の學びのレベルでの話でしかありませんが、ひとつハッキリとわかった事があります。


それは「霊性に目覚めるとは何か」という事です。

私の考えですが、真に目覚めるとは「自分がどこからきて、何処へ帰っていくのか」を
理解した人ではないかと思うのです。

つまり、霊的世界を認識するということですね。
魂の成長を意識して考えるということです。

肉体と魂の関係を知り、自分が何を學ぶために生を受けたのかを考え、
地に足をつけて生きることが出来る人こそが霊的に目覚めた人ではないかと思います。


そこに霊感の強弱や前世の職業は関係ありません。
必要なのは、経験したことから何を學ぶべきなのかを冷静且つ謙虚に見つめることが出来る心の眼です。

その心の眼の視力を良くすること、それが學びであり、修行ではないでしょうか。

學びの門は、すべての人に平等に開かれています。
お金も学歴も関係ありません。

心眼を養うには、日々起こる出来事のなかで、自分の魂の成長を意識できるか、できないか
それだけなのだと思います。


慈葉


by jiyou-925 | 2018-06-23 16:00 | 慈葉日記

ハリボテで満足ですか?


祈りの雫の香りに包まれて数息観を行っているとき
御本尊さまと時間を共に過ごさせて頂いているというありがたさに、しあわせを感じます。

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私の場合ですが、吸う息に御本尊さまからの慈愛を感じ、
その愛を体中の隅々にまで行きわたらせるイメージで、鼻から深く息を吸い込み
不要なものを吐き出すイメージで、口から細く長く息を吐きます。


そうしていると、反省すべきことや気をつけねばならないことなど様々なことを考えますが
それを「雑念」と打ち消してしまわずに、呼吸しながらしばし思考に沈みます。



昨日は「言葉使い」について考えていました。

永作師僧は『言葉を大切にしなさい。言葉の乱れは国の乱れである』と、
私達に繰り返し教え諭してくださいます。

これは、丁寧な言葉使いを心掛けることはもちろんですが
そこに相手への気持ちを乗せて言葉を発する、文字にするという『心遣い』を大切にしなさい、という
意味も含まれているのではないかと思いました。


自分では丁寧な言葉を選んでいるつもりでも、それが真心からの言葉でない場合には
慇懃無礼になってしまうものです。
高飛車で上から目線の言葉を誰が喜ぶでしょうか。


必要以上に自分を良く見せたい、相手より上の立場でありたいという
つまらないプライドが見え隠れする様子は、「私は傲慢です」と言っているようなもので
そこから尊敬や謙譲の精神を感じ取ることはできません。



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學ぶ人は皆、謙虚です。
私達、赤不動明王院一門のブログをお読みいただくとおわかりになると思いますが
誰一人として、永作師僧の言わんとすることを自分の言葉にすり替えて歪めて伝えたり
虎の威を借る狐のように、御本尊さまのご威光を笠に着て尊大ぶる人はおりません。


全く身に着いていない難しい言葉や専門用語で武装してみても
所詮、ハリボテでしかありません。

ハリボテにならないためには、やはり反省と気付き、そして學びが大切なのです。


人々が皆、優しく愛ある言葉を発する世の中になることを切に願い
自分も謙虚であるように、気を付けて参りたいと思います。


慈葉



by jiyou-925 | 2018-06-19 19:00 | 慈葉日記

金剛合掌に思う


合掌
合掌(がっしょう、サンスクリット語: अंजलि, Añjali)とは、インド起源の礼拝の仕草。両手のひらを胸または顔の前で合わせる。

右手は仏の象徴で、清らかなものや知恵を表す。左手は衆生、つまり自分自身であり、不浄さを持ってはいるが行動力の象徴である。両手を合わせることにより、仏と一体になることや仏への帰依を示すとされる。

・金剛合掌 - 指を少し開き、交互に組むようにして右手を上に手の平を合わせる。左手を上にする人もいるがそれは正しくない。より強い仏への帰依を表すとされ、帰命(きみょう)合掌とも呼ばれる。


金剛とは、ダイヤモンドを表す言葉。
つまり、これ以上ないほど硬いものを指すのだそうです。


師僧のブログでも「悩み、苦しみは、自身を磨く磨き砂である」という言葉が何度か登場しているように、私達の心というのは、皆例外なくダイヤモンドであり、現世でのあれこれは、それを輝かせるための磨き砂なのでしょう。

そう考えた時、心とは折れるものではなく、曇るものなのではないかと思いました。



悩みや苦しみを克服し、せっかく磨き上げた心のダイヤモンドも
新たな試練がやってくれば、一瞬にして曇ってしまうこともあります。
というか、人生はその繰り返しなのでしょう。
それでも磨く作業を諦めずに続けていくことは、仏道に入らずとも出来る「人生の修行」なのだと思います。


喜びも悲しみも味わい尽くし、そこから気付きを得て、
仏様の御力をお借りしながら心のダイヤモンドを輝かせていく
その象徴が金剛合掌なのかもしれないと、お勤めをしながら感じました。



慈葉


by jiyou-925 | 2018-06-09 20:00 | 慈葉日記

愛は受け取るだけのものですか?


『愛される』ことをテーマとしたエネルギーワーク、アイテム、占いなどが多いですね。

異性から愛される
お金から愛される
宇宙から愛される…などなど、『愛される』というキーワードは、心がくすぐられる魔法の言葉なのかもしれません。

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愛は与えられるだけのものではなく、与えてこそ輝くものであると私は思います。

人を愛する気持ちや、動植物を愛でる眼差しに優しさが宿り
人に寄り添い労わる手から慈愛が溢れ、安心感や癒しとなります。

物を大切にし丁寧に手入れをするからこそ愛着が生まれて、長持ちさせることができます。

そして、人の幸せを祈る心には、自然と今自分が此処に在ることへの感謝が生まれます。
愛を自分から発している人は『有り難い』という謙虚な気持ちを大切にできる人なのではないでしょうか。


愛されているから何をしても許される、上手くいくと考えるのは傲慢です。
人の気持ちを大切に出来ない人は、人からも大切にされることはありません。
もしも、それでも上手くいっているという人がいるなら、
それは本心ではあなたに呆れていて合わせてくれているだけか、
あなたの地位や肩書の恩恵を受けたいだけなのかもしれません。

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裏切られても、傷つくことがあっても、それもまた糧となり
より深い愛を知る学びとなるのだと思います。


『愛されさえすればすべて上手くいく』という幻想を手放し、
周囲の人を思い遣ったり、真面目に仕事に取り組んだり、地に足をつけて現実を生きていれば
あなた本来の魅力が輝き始め、結果、開運に繋がっていくこともあるのだと思います。


慈葉



by jiyou-925 | 2018-06-07 10:00 | 慈葉日記

お線香の代わりに

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喉に違和感があったり、お勤めや行が長時間になりお線香では煙たいとき
祈りの雫を重曹に少し垂らして香らせお線香の代わりにお供えしています。

良い香りに包まれると気分も変わりますし、数息観を行うときに呼吸が楽に感じます。
読経中も煙を吸ってしまうことがないので、般若心経50本ノックの時も安心( *´艸`)

慈優さんの手によって紡がれる香りは、『はんなり』という表現がピッタリくるように思います。

※はんなり…上品ではなやかなさま。ぱっと明るいさま。


祈りの雫は6月の新しい香りが登場しています
リンクからどうぞ♡



by jiyou-925 | 2018-06-05 14:30 | 慈葉日記

信仰


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「信仰を持つことと、宗教に入ることは違う」
師僧からそう教わりました。


信仰とは、尊敬を持って固く信ずること。
何を信ずるのか?
それは、自分のなかの良心や仏性といった「善の心」なのだと思います。

その心を育むために、御本尊さまはいついかなる時でも側に居てくださり
惜しみない愛を持って、私達を見守っていてくださるのではないでしょうか。

心弱いからこそ御本尊さまの御力をお借りして、毎日のお勤めのなかでよく心を見つめ
自分の善の部分(信仰心)を育む努力をするのだと思います


修行を進めていけば、また違う感じ方があるのかもしれませんが
今日の数息観のなかで不意に腑に落ちた私です。


慈葉



by jiyou-925 | 2018-06-03 23:00 | 慈葉日記

自主練始めました


先月上旬に同氣法を始め、無事に21日間を勤め終えました。

ピカールを手に入れ磨く楽しさを知ってしまった私は
「終わったら独鈷を磨く」という事を決めて、それを励みにしてやり切ることが出来ました。

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MY独鈷&ピカール


同氣法とは、御神氣を感受するための法です。

御神氣を感受出来るようになれば、瘴気をも見抜く事が出来、
正邪を判別し、結果的には自分の身を護る事ができるようになります。
(密教766 同氣法の実践より)


21日間を終えた後、御神氣を感受出来るようになったか?といえば
私自身は、まだまだそのレベルには程遠い所にいるのではないかと感じています。
つまり、私は決められた数をこなすのに精一杯で、
本当の意味で、御本尊さまと折衷出来て居ないのではないか…と思います。


「御本尊さまの声が聞こえるようになりなさい。そのためには、のほほんとしていてはいけないよ」
そう師僧がお諭しくださったことがあります。

自分の思い込みなどではなく、ましてや神仏の振りをして人に悪さをする浮遊霊の囁きを
御本尊さまの声と勘違いするような事は、絶対にあってはいけない事です。
(それを「霊感がついた・自分は霊能力がある」と勘違いして、
悲惨な目にあう人が後を絶たないという事実は、師僧のブログで幾度と無く紹介されています)


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もちろん、21日間という日数で、御本尊さまと折衷し
御神氣を感受できる方もおられると思います。

私が折衷できているとは言い難い…と感じるというのは、あくまで個人の感想であり、反省すべきことであり、この訓練法を否定するものでは決してありません。

そんな訳で、先日から自主練として同氣法2周目に入りました。

100日を目標に…と思っていますが、怠け者の私にはハードルが高すぎる気がしないでもなく(汗)
しかし、不安を感じる内心とは裏腹に、フライング気味に始めてしまったので(師僧の許可はいただいています)
心に隙を作らないように頑張りたいと思います。


慈葉



by jiyou-925 | 2018-06-02 14:00 | 慈葉日記

「ありのままの自分で良い」の欺瞞

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「ありのままの自分でいい」という言葉をスピリチュアル系のブログなどで良く目にします。

その理由の多くは「宇宙は完璧である」とか「”今”が最善なのだからジャッジをする必要はない」とか
いやに楽観的な理屈です。

要は「自己否定」をやめましょうという事だと思うのですが
これは「現実逃避をしなさい」という事とは全く違います。


例えば、金銭問題。
自分の収入の大半を遊興費に使い、生活が苦しいから消費者金融から借り入れたり
友人・知人に借金をしているという状態でも
「そのままのあなたで完璧」といえるでしょうか。

例えば、人間関係。
自分が損をするのは嫌、特別扱いされないと嫌、自分が話題の中心にいないと気が済まないなど
自分に問題がある事を直視しようとせずに
「誰も本当の私をわかってくれない、私は妬まれている」など、
傍からみたら悲劇のヒロインに酔いしれているような人に
「完璧な宇宙の流れ」とやらが引き寄せられるのでしょうか。


借金も人間関係も、その他の問題も「本質」から目を逸らすために
「ありのままの自分でいい」という言葉に乗って、逃げを打ってはいないでしょうか。


何が問題で、どうしたら解決できるのかという事を考えなければ
状況はいつまでも変わらず、寧ろ悪化の一途を辿っていきます。
「ありのままの自分でいい」という言葉を「変わる必要はない」という意味にしてはいけないのです。

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「仏様はスーパーコンピューターの何倍もの正確さで私達の全てをわかっている」と
師僧から伺ったことがあります。

つまり仏様は、私達の醜い部分も弱い部分も全て御存知で、
仏様の御前では、自分を取り繕うことは出来ません。

静かに手を合わせ、自分のなかの弱さや狡さに気付いたのなら
それを無くしていけるように努力しなければいけないのではないかと私は思います。

「今の自分」は決して完璧ではありません。
だからこそ”今”を生きて居るのです。
(完璧であれば、この世で學ぶことは何もないのですから「生きて居る」必要はありません。)


仏様に手を合わせ、静かに己を振り返り、日々を懸命に生きて居れば
自分を覆う殻の薄皮が、一枚、また一枚と剥がれていくような些細な変化かもしれませんが
自然と今迄の考えや行動を改めてゆけるのではないかと思います。


「反省と気付きが大切である」と師僧から教わりました。
口だけで、言葉だけで反省している振りをしても仏様はすべてを見通していらっしゃるのですから
反省せず「ありのままでいい」という言葉の上に胡坐をかいていては
仏様や周囲の助けは決して得られないものと私は思います。


長い文章をお読みいただきありがとうございました。


慈葉


by jiyou-925 | 2018-06-01 10:30 | 慈葉日記

金剛山赤不動明王院 永作優三輝師僧のもとで霊的真理を學ぶ慈葉のブログです


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