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カテゴリ:├ 愛について( 11 )

霊的真理の自習室:愛に関する密教ブログ 11


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愛にはいろんな形があります。
親子愛、夫婦愛、人類愛など。
様々な愛の形について書かれた記事をシリーズで特集して参ります。
どうぞご覧ください。

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聖なる愛

人々に、御仏の愛を、具現化して観せた空海聖人。
学ぶ事の尊さ、素晴らしさを伝え、多くの上人を世に送り出した、比叡山延暦寺開山の祖、最澄聖人
一貫して愛を説き、愛に生きた!親鸞聖人。
正に、偉人、天才、慈愛の人、霊界から選ばれし方々です。

今の日本の現状は、精神性より、物質的価値観の渦巻きの中にいる様に思います。

人間は、何故生まれ、何故生きる?
正に現界は今、精神性の危機と言えます。
物、金、物、金、何処までも、果てしない物欲は、最後自分達に牙を剥く、〇〇〇に変化して、襲い掛かって来ます。

清貧に生きるとは?全ての物質を、否定する事ではありません。
自分に必要か、不必要かでもありません。
物に感謝し、恵みに感謝して、無駄にしない心です。

理性と想像力を持っているのは、人間である証しです。
豊かさ、貧しさは、本来、心の領分です。
物質を金を、多く所有していれば豊か?少なければ貧乏?違います。
お金をどれだけ持っていても、心を潤すことは出来ません。

貧しくても互いに助け合う精神性を持って、生きる時、悟ります。
自分が如何にしあわせなのかを。

人生は有限

人生には、限りがある事は、誰でも知っている事実ですが、
魂の不滅を本当の意味で理解しているかは、不明ではないでしょうか?

前項で述べた様に、愛の奇跡、愛の不滅…私達は前世で学び切れずに、終わった項目を、現界で学習する為に、生まれたのです‼️

様々な試練を、乗り越え現界に学びを深める為にやって来た、学生です。
辛い事、悲しい事、苦しい事は、貴女を成長させる素晴らしい、教材なのです。
そして、喜びは、挫けそうになる貴女に与えられた、神仏からのご褒美なのです。

貴女に耐えられない試練を、神仏は与えません
私達の魂は、永遠に不滅なのです。
現界の様々な誘惑は、自分を磨く為に、自分が用意した試金石であり、
様々な事象は、他人と自分ではなく、全て自分の中での事なのです‼️

自分で選び、自分で進み自分で躓き、自分で傷つき、自分で立ち上がる。
全ては、学びと理解出来た時、私達は、大いなる力を実感します。

大霊は、愛の手を常に貴女に差し伸べておられます。
大霊の御手を掴むか?離すかは、貴女の自由意思と、高級霊は仰られています。

現界での様々な出来事は、魂の視点に立って視る時、ただ一瞬の出来事に過ぎないのです。
信仰心を尊び、愛に目覚める時、私達は、本当の意味での、自分を知ることになります。

貴女は、一人ではありません。いわば貴女は霊界の選ばれし、代表選手なのです。
今日と言う日は、二度と訪れることは、ありません。

何故ならば、明日は誰にも、約束はされていません。
だから、私達は、今日と言う日を大切に生きてこそ、明日が生きて来るのではないでしょうか。

不滅の愛

私は、ある二人の事を思い出す時、眼頭が熱くなる事を禁じ得ません。

あれは、夏の暑さが、厳しい日でした。
寺に一組のカップルが、祈祷の依頼に、おいでになりました。
仲の良いご夫婦の様です。傍目にも、仲睦まじい様子は、清々しさを、感じて参りました。

たまたま、愚僧が当番で祈祷を受けさせて頂き、内容を伺い、驚きました。
奥様が不治の病で余命宣告を受け、何と、お腹には、命が宿っておられ、
自分は召されても、子供だけは、丈夫な子供に育って欲しい、という思いで、祈祷依頼にみえた事を伺い、愚僧は、不覚にも涙でした。

御夫妻は奥様が亡き後、お子様をご主人が育てる事まで決めて、
奥様は自分より後に残るご主人と、まだ見ぬ我が子の為に、ご主人に頼んで、ここまで来られたそうであります。

私は、渾身の力を込めて護摩法を厳修させて頂きました。
それから、数カ月が過ぎた、温かな春の日に、お子様を抱いたあのご主人が、お子様の宮詣りに、おいでになりました。
その横には、初老のご婦人が…ご主人のお母様です。
お子様の、無病息災を祈祷させて頂き、熱いお茶を飲んで頂き、お話しを伺うと、
奥様は立派に出産し、愛しい我が子の顔を見てから、静かに眠る様に、亡くなられたそうです。

今日はお子様の、晴れの日。
私は、必死で涙を堪えました。
話しも、終わり、山門まで、お見送りしました。
山門を出たご主人達は、後ろを何度も振り返り、名残りおしそうに。

その時に私は、見ました。ご主人に寄り添い、赤ちゃんの顔を覗き込みしあわせそうな、奥様がおいでになりました。
ご主人も辛さを堪え、奥様との約束を守り、お子様を連れて、お参りに、その横には、ずっと奥様が、寄り添っておられたのです。

私は、祈ります。
世の素晴らしいご夫婦と素晴らしいカップルに、御仏の御加護を賜わらん事を。

霊界

霊界には、階層が存在します。
上から、霊界、幽界、幽現界、私達の居るのが現界です。

何故、階層が存在するか?
それは、魂の階層です。

現界は、上も下もごちゃ混ぜの、ファミリーランドです。
苦しみ、悲しみ、恐れ、怒り、恋、失恋、死別…数え切れない試練の、連続かもしれません。
しかし、試練の合間には喜びもあります。

折れては、イケマセン。
全ては学びです。

あらゆる事を感動に変えられるのは、貴女の愛を信じる心です。
霊界に還る時、持って還れるのは、経験という感動です。

感動こそ、魂を磨く最良の方法です。

愛の電池切れ

人間は、些細な事からやがては、別離に至ることがあります。

初めて会った時の、あの喜びも、様々な楽しかった出来事も、生活の渦に飲み込まれ、疲れ疲弊するとき…人は、愛の電池切れになりやすく、
私は、これ程努力してるのに。
私が、私が…になります。

我慢も大切ですが、過ぎた我慢は、精神面にダメージを与えます。

仕事も人生も、自己責任であり、仕事で傷つくようであれば、転職を考えて、家庭で傷つくようであれば、孤高に生きる事も選択です。

しかし、甘えてはなりません。
転職も孤高に生きる事も、全ては責任主体だと言う事を、しっかり理解してから選択しましょう。

まず自分を振り返り、愛の電池切れでは、なかったか?
考える事もありではないでしょうか?

波動の乱れ

今、ある地域の波動が乱れています。


皆さんも、氣づいておられると思いますが、乱れが日を追うごとに増加しております。

この乱れは、積年の積み重ねも原因の一つです。

例えば、自分の部屋で掃除もせずギャンブルに明け暮れ、勝った日は上機嫌!
負け日は、愚痴三昧!

次の日、ギャンブルの必勝祈願を寺社にして、ギャンブル場に向かう。

何をしても、自由です。
自己責任であり、責任主体の人生です。

ギャンブルに負け、自分の思い通りにならない…
お参りもしたのに…御賽銭も入れたのに…
力のある寺社だと思ったのに…

なんで上手くいかない?

自分は、悪くない…何で自分だけが貧乏、好きになってくれる異性もいない…
自分は、なんて不幸なんだ。

世の中が悪い、運が悪いのは、寺社のせいだ。
だのに…だから…自分は関係ない

自分は悪くないのに、ただ運が悪かった。

…以上の考え方が悪想念になり、その人の人格をも歪め、善悪の基準も、自分だけの簡単な基準に当て嵌めていく結果になります。


全ては、平等なのです。
人は上下は、ないのです。

あるのは、僻み、ひがみだけです。

天を敬い、人を愛する時
必ず光に包まれます。


皆様のしあわせを御祈念申し上げます。

破局

例えば、仲の良い夫婦《カップル》が些細な事で破局を迎える事が多々ありますが、これは、愛の電池切れが原因である。

人は、極度な疲労や心労に襲われた場合、思いやりの心に亀裂が生じ、優しさを失う場合があります。
それを許容できれば、問題は、生じ無いのですが、多くの場合、衝突してしまう様である。

愛には、充電が不可欠であると、私は、考えます。
充電法は、様々に存在しますが、根底をしめるのは、愛情、理性、思いやりである。

愛情の裏返しは、無関心であり、無関心に陥ってしまった場合は、潔ぎよく手放す事をお勧めします。
手放さず、執着の海に迷う時、執着は、やがて憎悪に発展するケースがあります。

孤独に生きるのでは無く、孤高に生きる事は、自身の尊厳を護る最良の選択と考えます。
但し、孤高に生きるには、かなりの覚悟が必要である事を忘れてはならない。

あらゆる事に一人で対処して行かなくては、ならないのです。
別離を選択する前に、自身を振り返り、冷静にまた、理性的に考え反省する必要があります。

利己的に自身の保身に走る場合、後から来るのは、後悔の二文字である。

手放す勇気は、保身では無い學びである。
尊厳とは、甘えからは発するものでは、無い。
幸せは、自らが築くもの、与えられるのを待つものでは、ありません。

意見と學び

私は、四十三年前に両親と死別しました、二十歳の時でした。

今、想うに《親の意見と茄子の花は、千に一つの無駄は無い》人を想い、発する言葉には、どんな厳しい言葉で有っても、愛があります。
その逆に、愛の無い言葉には、《誹謗、中傷、妬み、嫉み、憎悪、》物資的価値観を裏付けする利己主義が存在するのである。

時として、言葉は、人《他人》を育て成長を促し、激励します。
しかし、現代は、揚げ足をとる事が、まるで文化の様に成っています。

失言を責める依りも、改めさせる親の愛、《殺す依り、活かす》正に、愛が無ければ出来無い事である《菩薩行》。

私達の親は、正に菩薩行を教えてくれた恩人であります。
今、私達に与えられた課題は、育てる事である。
育てずに成長は、無い。

私も含めて、人間は、未熟な存在である。
しかし未熟だからこそ、生まれてこられたのです。
全てを達観し、答えを出せる人間なら、生まれて来る必要も無い(解脱)のである。

人は、學びを受け入れる時、其処には、あなただけの愛が存在するのま事実であります。
個性も學び、同じ人生など無い事を知る時、本当の自分が理解出来るのである。
当院は、そんな貴方を待っています。

戦争

戦争をおこすのは、人間だけである。

何故、人間は、戦争をするのか?
何故、戦争を好むのか?

動物は、争いもするが殺し合いはし無い。
では、人間は、動物以下なのか?

そして戦争は、立場の弱い者が犠牲に成るのも、周知の事実である。
戦争が好きな指導者同士が、リングの上で好きなだけ闘えば良いのである。
そうすれば、兵士も軍備も必要無いのである。愚かな事である、

人間がおこす戦争は、悲劇と悲惨さしかもたらさ無い愚行である!
食料が必要ならば、分かち合い、愛が必要ならば、分かり合えば良いだけである。

民族主義に固執するのであれば、自給自足に徹すれば良いだけの事である。
宗教闘争も同じである。
過去に宗教戦争もあったが、信じたく無ければ、無視するだけで良いのである。

揶揄する必要も無いし、他に勧める必要も無い。
信じたければ信じ、嫌なら辞める自由がある。
全ての争いの根幹は、押し付けにあると考えます。

北朝鮮の実状は、国民は、飢えに苦しみ、一部の階層が自らの生活を守る為だけに、未熟な者を祭り上げ
迎合を繰り返して居るに過ぎません。

争いを好む時、破滅と云う魔物が口を開け歓喜して居る事を知る時では、無いでしょうか。

愛別離苦

どんなに愛して居ても、いつかは、別れが来る《死別》。
人は、永遠の別れと捉えますが、それは、肉体と云う衣を脱ぎ次の段階に入っただけなのです。
後に残った者も、やがて肉体の衣を脱ぎ、愛しい人と再会するのである。
であるから、恥じ無い生き方をするのです。
この法則から逃れる事は、出来ません。

次にお話しする事は、実話である。

その方は、最愛の奥様を病で亡くされ、幼いお子さんと二人。
奥様無しで過ごされ、悲しみの中に身を置かれておられました。

ある時、奥様がご主人に語られました。
《先に行ってごめんなさい、でも私は、貴方と赤ちゃんの側にいます》

それからは、事あるごとにご主人に語られておられました。
そんな時、ある方の紹介で私の寺に相談に来られ、今迄の事をお話しされました。

正に、涙の相談であります。
ご主人の気持ち、奥様の気持ちが、痛いほど伝わって参ります。

しかし、肉体の衣を脱いで霊体に戻られた奥様が、現界にとどまる事は危険なのです。
《無防備状態》
一刻も早く、先祖霊や仲間の居る霊界に帰り、霊的保護の下で過ごす事が急務なのです。

私はご主人を諭し、奥様には説得を試みました。
奥様は説得に応じ、霊界から、ご主人とお子さんを見守り続けておられます。

その後、ご主人は信仰の道に目覚められ、昼は仕事に専念され、夜は育児に専念され、作った時間で信仰の道を學ばれておられます。

願わくば、親子に幸多かれと、御本尊様にお祈り申し上げております。



by jiyou-925 | 2018-04-21 12:00 | ├ 愛について

霊的真理の自習室:愛に関する密教ブログ 10


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愛にはいろんな形があります。
親子愛、夫婦愛、人類愛など。
様々な愛の形について書かれた記事をシリーズで特集して参ります。
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怒りの反対側

怒りを持続すれば、破滅を招きます!
反省し改めれば、感謝が生まれ、喜びに変わります!
喜びを知れば、幸福感を味わい、優しさが芽生えます。

優しさが染み込んだ心には、争いを嫌い、平和を好み、自虐的な行動をつつしみ、愛に生きることの、素晴らしさを実感します。
怒りは、悲しみ、憎しみしかもたらしません。

密教の真髄は、神髄、安心立命です。
今私達は、一人一人が手を携えて、お互いを敬い、愛する事を再認識する時ではないでしょうか。

まずは、今日から、身近な人を精一杯愛する事を始めましょう。

そこには、必ず答えが存在します。

理性

人間の持つ優れた個性は、理性です。
理性を失った時点において、人は、争い、破壊略奪、惨殺、詐摂あらゆる、悪業を、正当化しようと、画策します。
騙されては、いけない!

本来上記の事は、人間に不必要な事です。
では何故、人間は愚行を、繰り返すのか…
霊性の劣化が招く、シグナルです。

このシグナルを正しく理解して、一人一人が霊性の向上を意識し、学んで行くことを、霊界は私達に語り、教えようと努力して下さっているのです。
が、悲しいかな…聴き摂ることが、出来ないのが私達凡夫の業。

愛を持ちましょう。
慈愛を学ぶ事で変わります。
理性的にシンプルに学びを実行していきましょう。

夫婦と恋人

惹かれ合う二人は、やがて夫婦となりますが、そもそも、夫婦や恋人とは何かの素朴な題材を書きたいと思います。

夫婦とは、互いに人格を認め合う二人で或ると私は思いたい。
しかし、現実は複雑怪奇な様である。
愛して愛されて、スタートした筈の結婚生活が崩壊を始めた時、人は自分の心を閉ざす様である。

上記の事を霊的観点から考察すると、まず結婚観が違います。
結婚も恋人関係も、お互いを通して学び合う為に出逢うのです。

一人が良いと思う方は、一人で良いのです。
孤独だの、つまらない感情は捨て、孤高に生きる素晴らしさを学ぶべきです。

様々な、事情、状況、感情に於いて、相手を無視する、無視したいと思うなら別れましょう。
それ以上側にいても、良い事はありません。
愛情の裏返しは、無関心なのだから。

無関心な人から、学ぶ事も教える事もありません。
潔く別れましょう‼️

男女関係の矛盾。
例えば、奥さんのいる人を好きになり、男性は奥さんの事はキチッとすると言いながらも、中々良い方向性を示さない。
そんな男性はお辞めになる事をお勧めします。

その人は貴女を愛しているのではなく、貴女の女の部分を好きなのだから。
所詮、交わり学び合う人ではなかった事を貴女も学ぶべきです。

夫婦、恋人関係は、互いが学び合う姿勢を持つ事で、今より深く相手を知ることが出来、より理解し愛し合えるのではないでしょうか。

あなたも、自分の為に学んでみては如何でしょうか?

合縁奇縁

人と人との縁は、人知が及ぶほど、単純ではない。
男女の仲は、もっと、複雑ですね?
自分で駄目な相手と、解っていても、別れられない場合があるのではないでしょうか?

自分でも、自分が解らない、どうしょうもない場合。
貴方は、迷宮に迷い込んだ、ー匹の小動物と同じで、彷徨う他ありません‼️

しかし、出口は存在します。
出口は存在しますが、探す努力をするのは、貴方です。

何故ならば、貴方を苦しめる迷宮は、依存という最も厄介な迷宮、即ち《依存の迷宮》なのです。

私は、何度でも、語り掛けます。
貴方のしあわせとは、愛の形とは、何かを。
自分の五感で感じ、五感、肉体を超えた、魂に感じ取れるまで、語り続けます。

治癒力

傷つき、病にかかった時は、医師の治療が必要です。

心の底の傷は、病院では、治りません。
様々に変化する人の心は、薬や外的治療では、治りません。
放置すれば悪化し、自ら、自爆のスイッチを入れて仕舞うケースが、急増しています。

愛の裏返しは、無関心。
例えば好きな彼が貴女の事を無視して、自分の事だけを優先させる人なら、貴女は如何しますか?
自分勝手に愛は、ありません。
自分勝手は、傲慢の証しです。

愛が冷めたという言葉を聞きますが、それは始めから、愛ではありません。
愛に名を借りた錯覚です。

人が人を愛する時、献身が芽生え、利他愛に成長します。
利他愛とは、自分を勘定に入れず、ただひたすらに愛する事です。
自分を主張し、相手に押し付ける行為は、愛ではなく、稚拙なワガママに過ぎません。

受け入れる愛、愛し愛されることは、最高な形だと、言えるでしょう。
しかし、恵まれた愛だけではない事を、学んでください。
最愛の人が、逝き、自分が遺る、遺された、貴女なら、どうしますか?
遺る、遺されたのではありません。
貴女には、先に逝った最愛の人が、やれなかった、やり残した、心のお役目があるのです。
それが、利他愛です‼️
自分を勘定に入れず、他を愛し続ける時、貴女は知るはずです。
究極の愛を知る者を。

愛する事の大切さ

愛する事の大切さ愛される事を望むのではなく相手をどこまで自分が愛せるか?が大切ではないでしょうか?

私達は、愛される事を望むから、孤独感や、虚無感を感じるのです。
例えば、子供への愛が高じて、将来、無気力で思いやりがなく、自分勝手な性格になってしまい、親の手には負えないという相談が私の元に寄せられているのも事実であり、近年、増えているのが現状です。

この問題を、カウンセリングすると、共依存的な問題が必ず浮上します。
まず、子供の依存性と、親が依存を助長している事に、気付いていない。
これが一番の原因です。

人間は、大人、小人に限らず、甘えたいと思う気持ちは、誰でも持っているのでは、ないでしょうか?
しかし、子供の頃は許された甘えも、大人になり社会に出た時、甘えは許されるでしょうか?

親の年金を、子供があてにする生活、考えて下さい。
自立、自律、自分の足で立ち、自分の欲を制御し愛する人を護る人間に育てる第一段階の先生は、貴方であり、貴女なのです。

この過程の中で、自分自身を俯瞰して、自分を律する事の大切さを学び、魂を磨き、
未来の自分を自分が構築して行く事が、本当の意味で今世に、生を求めた目的ではないでしょうか。

敬天愛人

天を敬い、人を愛する。

男女の営みも、愛がなければならない。

自分だけ、愛されたいと思うことは、小我であり利己的な発想です。
自分が、愛される事を望まず、唯ひたすらに、他を愛する。
これが大我な愛の発想です。

私達は皆、例外なく神仏の魂を宿している。
言わば、神仏の分け御霊なのです。
故に、神我を全ての方がお持ちです。

慈愛の心があるように、神我な魂に目覚める時は今です。
世界が混沌としている現在、必要なのは、私達の心にある、大我な心を学び、神我を呼び興す時なのです。

難しい事はアリマセン。
自分の中に内在する、心を呼び興すだけなのだから。

伝統の世界

伝説の世界伝説というと、皆さんは御伽噺や神話を、想像されるのではないでしょうか?
実は、伝説の中には、隠された真実があるのです。

何故、真実が隠されたのか?
それは、一般の方々が有する知識の、尺度が違い過ぎた現象が起因しているのです。

例えば、私の行場である〇〇の滝の主は、金龍神と私が言っても、皆さんは信じますか?
しかし、私がお連れした方々は、ほぼ全員の方が見られました。

私は、数日後にある方を、行場にご案内する予定ですが、滝は生き物、果たして、機嫌良く御姿を現してくれるかは解りません。

森羅万象の理は、愚僧如きの自由になるほど、甘くはありません!
しかし、その方に御自分の眼で見て、確かめて頂きたい!
何故か?一人でも多くの方々に、森羅万象の理とは、何かを知って頂き、
人間とは、自然とは、霊的真理とは、摂理とはを知って頂き、
一人でも多くの方々に、理解して頂き、理性的に自然と向き合う、一歩にして欲しいのです。

自然と向き合い、自然を愛し、自然を敬う時、自然は、私達人間を受け入れ、様々な恩恵を、人間に与えます。
ともすれば、傲慢になりがちな自分を諌め、謙虚な自分に回帰した時、私達は、子供の頃に見たあの現象を見ることが出来ます。

私だけが特別な力が、ある訳ではありません。
貴方にも、貴女にも、本来ある能力なのです。
ただ忘れているだけなのです。
能力を取り戻す事は、簡単です。
子供の頃の、純粋無垢な心に帰る努力をすれば良いのです。

純粋無垢な眼は、全てを見通します。
真に平和を望むなら、子供の頃の様な、純粋無垢な心を蘇らせる事が、一番ではないでしょうか?

運命の出会い

人は一生の中で、様々な出会いを経験します。
それは、自分がこの世に生まれる前に、自分が決めた、カリキュラムなのです。

私の場合をお話すれば、武術の師匠との出会い、そして、出家、僧侶となってからの、素晴らしい出会い、感謝です。
様々な法の学び、実践、信徒様方との出会い。
今、私は素晴らしい人とも出会いました。
毎日が、真剣勝負の祈祷の世界。相談者様は、私を見込んでおいで下さいます。

それは、藁をも掴む思いだと、愚僧は心得ます。
加持祈祷が終わり、後日、成就したとのご連絡を頂き、そこにも大いなる、出会いの力が働いている事を、実感する毎日です。

貴女も出会い、しあわせの実感をする時、大いなる力の存在を、お認めになられます。
人間に出会いのない人はいません。
出会いを大切に出来るか、出会いを粗末にするかです。

出会いこそ、学びの真髄です。
心豊かに華を愛でる時、華は貴方に語ります。
様々な事を、教えてくれます。
華の妖精は、華を愛でる人に語ります。
貴女に素晴らしい、出会いの訪れを(^O^)

偶然と必然

皆さんも、経験がお有りになる事だと思いますが、偶然にしては、驚く様な事を様々経験された事と思います。

例えば、男女の出会いですが、貴方は偶然だと思いますか?
素敵で可愛い人が、何であんなおやじを好きになったのか不思議に思いませんか?

実は、前世からの縁。
すなわち、因縁なのです。

前世でお互いに好きでも、一緒になれなかったケースが多いですね~。
この場合は、凄いスピードでお互いに接近します!

結ばれるのも早く、相思相愛になり、まるで失われた時を取り戻すが如く燃焼します。
魂は、決して忘れることはありません。
過去の因縁を清算する事は、魂の向上には不可欠な事なのです。

偶然の様な出会いでも、本当は全て必然なのです。
些細な事でも、偶然は存在しません。
例えば、道ですれ違う人も必然と言えます。

この法則を避けて行く事は、何人たりとも出来ません。
法華経に曰く、全ては原因と結果であると。


by jiyou-925 | 2018-04-20 12:00 | ├ 愛について

霊的真理の自習室:愛に関する密教ブログ 9


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愛にはいろんな形があります。
親子愛、夫婦愛、人類愛など。
様々な愛の形について書かれた記事をシリーズで特集して参ります。
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新たな旅立ち

人の思いは、年齢、性別、立場、思想に依り様々に変化しますが、
愛する人を、護りたいと思う心は、古今東西、変わりないと信じております。

例えば、結婚、〇〇家、〇〇家の縁組で、家の格を言われる方々の相談を、受けた事があります。
どちらの家人も、本人達より周りが騒いでいるのです。
そこで、私が両家の先祖霊に、意見を伺うと、両家の先祖霊が、同じ事を言われました。

私に、「手を貸さないで欲しい」と言うのである。
両家に、そのまま伝える訳にもいかず、その場は私の機転で丸く納めたが、
両家の先祖霊が言いたい事は、二人の事を一番に考えるは良いが、下らぬ事で、揉める様になるのであれば、
財産など、全て残さず使いきれば良かったと。
自分達は、何もせず、先祖の財産、家柄を引き継いだだけの身分であるに嘆かわしい。
家柄、財産にこだわるは、正に、未熟と言われ、ご先祖は後ろを向かれました。


私も、その通りだと思います。
家柄、財産など霊界では、逆に浄化の妨げにしかなりません。

愛し合う二人には祝福はしても、それ以上必要ありません。
また、愛し合い、新たな旅立ちをする方々は、親や、他に望んではイケマセン。

自分達の人生は、自分達で切り開くものなのだから。
道標も何もない所から、自分達の手で、道標を立て、道を整備し、灯りをともして行く事が、二人の歴史なのだから。

恋愛論

老若男女を問わず、恋愛をすることで人は、生きるエナジーが湧き上がり、人生に喜びを感じ、全てに寛大になれる事でしょう。
恋愛感情がもし人間に無かったら、人類に繁栄は無かったのではありませんか?
人を好きに成る、そして相思相愛に発展!
素晴らしい出来事です。

密教には、理趣経、理趣経法が、御大師様から伝えられて居ります。

老若男女、全てが愛を理解し、実践する事で、不安恐怖、怒り、妬み、嫉妬、全ての負を克服する事が出来ます。
そして、やがて即身成仏が完成されます。

恋愛に破れても、悲観する必要はありません。

何故ならその相手は、本当の相手では無かったのです。
本当の相手は、必ず現れます。
但し、努力が必要です。

何事にもやる気が大切。
やる気の無い者に魅力を感じる人は、居ません!

愚僧も残りの人生を込めていこうと、決意する次第で御座います。

皆様の一日が、幸多き日に成ります様に御祈念申し上げます。

力愛不二

人は愛に生き、人は愛する人を護り、生きる時、力が漲ります。
しかし、力は歳と共に衰えます。

正義をかざしても、力の前には無力です。
また、力だけでは無能であります。

正義無き力は無能なり。
力無き正義も無能なり。

現在、各地で多発している事件は、正に写し鏡です。

誰でもいいから、殺してみたかった…殺しを経験したかった。

そんな奴は、自分をまず殺してみれば良い。

しかし、そんな道理が理解出来る人間は、犯罪を犯しません。

今、浮遊霊が増加しています。
貴方の大切な人を守るのは、貴方です。
大切な自分を護るのも、貴方です。
理性で判断し、理性だけで護れる時代は終わろうとしています。

自衛して下さい。

正義無き力は、無能なり。
力、無き正義も無能なりです。

憑依は、眼に見えませんが、増加しています。
力を付けて下さい。
手を合わせるだけでは、自衛にはなりません。

自分の労力を費やし、身に着けて下さい。
其処に必ず、光明が差します。

魂の美容法

貴方は、何を持って美を捉えますか?

例えば、ダイヤ、ルビー、サファイア、エメラルドetc、洋服、着物、良いですね。
知人から、宝石にも流行があり、カットも様々あると聞かされた時…何故か儚さを感じました。

土の中で何億何千の年を超え、採掘され、僅かな年数で、ある石は忘れられ去って行く。

美とは、年数を重ねれば終わりか?
いいえ違います。
可愛いだ、美人だと、騒がれるのは二十歳位まで。
それからが、女性の真価が問われる時と考えます。

言わば、本物か偽物か…
美しいお召し物は良いですが、それを付ける方が虚栄心の固まりのような方が、身に着けても品格は生まれません。

お値段ではないと思います。

歳を重ねてこそ引き立つのが、人間性ではないでしょうか。
美しさにこだわる前に、人間性を磨き、貴女がヴィンテージになられては如何でしょうか。

言葉、態度、礼節を重んじた生き方を、目指す貴女には素敵が似合います。
一生懸命に生きる貴女を応援します。

子供を救う人

偏食な子、イヤホンで雑音を聴く子、狂気な服装の子、乱れた社会現象…
今、子供達が危ないのです。

このまま放置すれば、多くの子供達が侵され、犠牲になっていきます。

今こそ大切なのは、母性なのです。
乱れた心を修正出来るのは、母の愛だけです。

父性は協力すべきです。
仕事に逃げず、子供達の為に妻に協力して、曲がった子供達の心を修正するべきではないでしょうか。

父親は、仕事だけ…で威厳ではありません。
真に強い男を発揮するのは、奥様と協力して子供達を救う。
これが今、求められているのです。

このまま子供達が乱れていけば、新たなる犯行が行われ、闇から引き返す事が出来ない子供達が溢れる危険があります。

子供達の疲弊した心を暖め、引き寄せ、元の優しい子供に復活させられるのは、お母さん…
貴女しか居ません!

ご主人は奥様をいたわり、縁の下の力持ちになる時です。

おかあさん、貴女が救世主です。

怒る、叱る

怒るは感情、叱るは理性。
子供達を育み導いているのは、事実上お母さんの双肩にかかっている事を、世の男性諸氏は知るべきであろう。

体内で十月十日、我が身を懸けて命を護り、この世に送り出してくれた母の恩は忘れられません。

今、子育て中の方はチョット聴いて下さい。

子供達を注意する時は、なるべく感情的にならず、理性的に叱って下さいね。
大変なのは解ります。

理性的に叱られ育った子供は、優しく理知的です。
感情的に怒られ育った子供は、個人差はありますが、粗暴な面が見え隠れします。

犯罪者の大半が、利己主義、粗暴、愛情に懐疑的です。

しかし、母親の話になると涙を隠します。
やはり、母親の愛情が欲しかったのです。
お母さんの大変さは、愚僧が理解しております。

出来れば、今日から怒るではなく叱るに変えて、理知的なお子さんを世に送り出してあげて下さい。

死者の書

死者の書は、様々に存在する。

今から、数十年前に、私が始めて、死者の書を見たのは、チベットで、
あるラマ僧との親交を深めていた私は、ラマ僧から教えて頂いた、死者の書を始めて見た。

驚きと感動で、胸が高鳴った私は、これから目にするラマ僧の力に、驚愕する事も知らずに。

チベット密教の歴史は、日本密教依り遥かに、長い。
そして日本にはない修行法も存在している。

ここでは模倣されるので、詳しくは書きませんが密教塾では、全てを書きます。

私は、凄まじい光景を目にした…老僧の能力である。
チベットには、星視の僧を始め役割、分担がある。

その中でも中国政府が、最も恐れたのが特殊能力僧である。
あの力が、中国政府をチベット密教弾圧に、走らせたのだ。

今は、ラマ僧も観光化していますが、あの力を、発揮出来る僧が、表面に出れば、中国政府により、射殺される事は間違いない。
私も修行したが、あれなら可能である。

個人差は出るが、確実に身に着く事は、間違いない。
今の日本密教では、考えられない修行だが、私は個人的には、必要だと思っている。

ただ、祈る密教から、動く密教に。
そしてその力を、平和の為に使う事こそ、真の密教僧であると豪語します。

密教の最大の目的であり、目標は、即身成仏、生きたままで仏に成る事である。

即ち平和をこの世に、具現するのが、最終目的なのです。
理趣経典は、愛、
大日経典は、力
つまり力愛不二、愛を持つ力、力のある愛、どちらが欠けても平和には、程遠いのです。

夫婦も恋人同士も同じです。
お互いを認め合う二人になれた時に、真の愛を理解出来るのです。

お互いを理解せずに、否定する時、そこには、既に愛は、存在しません。

救い人

本当の意味での救世主は、神仏ではないのです。

救世主は、あなたなのです‼️
私達の中にある小我、大我、神我…全ての人の中に、存在します。

小我とは、自分優先な心
大我とは、愛を配れる心
神我とは、無償の愛の心

小我、大我、神我を理解し、我が身を振り返ると全ての謎が、解けて参ります。

他との争いは、他ではなく、自分の中に、あった事と氣づきます。
氣づいても、中々直せない、それで良いのです。

氣づき、振り返る事も、大切な学びなのです。
謙虚に見つめ、振り返る時、あなたは、確実に成長しています。

人から、馬鹿にされても良い、真実を学ぼうとする時、迫害に遭うのは、何故か?
真実を知られては、困る人達が迫害を加えて、来るのです。
例えば、〇〇教以外は信じてはいけないと言う人は、可哀想ですね。

井の中の蛙大海を知らず‼️善悪も知らず、
善悪の区別をする、計り人間。
良心、悪心の境を知らず、自分の計りを、押し付ける、押し売り人間。

嫌なら、嫌いなら、自分からその場を去れば、良いのです!
相手の中に入り、議論にもならない罵倒、中傷を繰り返すなら、離れれば良いのです。

以上は全て小我です!傷つく場所から、逃れられないのはあなたの思い癖です。

自分の殻を自力で破り、産声を上げる小鳥の様に、
そして成長し、大空に飛び立ち、新たなる経験と感動を求めて。

お計らい

お計らいとは、御仏が御示し下さる、導きの力で御座います。

昨日愚僧は、久しぶりに、孔雀明王法を厳修致しました。
ある方の依頼を受け、孔雀明王尊に道示しをお願い申し上げました。

人知では如何しても、解らない事も御座います。
いくら科学が万能であろうと、この世は、まだまだ、解らない事だらけではないでしょうか。

例えば、人の心、悪心もあれば善心もある。
心を見分ける事は、至難の技。
人を騙し、私腹を肥やそうとする者、経営者の名の元に、従業員を馬車馬のように、駆り立て、自らは安穏とし、新たなる難題を課す。
この様な人は、必ず逆転の運に見舞われ、末路は…以上の経営者にも、正道への御示しはあったはずなのです。
御示しに氣づかない人、一般の方々には、指導霊様が、様々な事象で御示しを、体感させて頂いているのです。

例えば、踏み込んではならない場所に、入ろうとした時に、つまずいたり、履き慣れたはずの靴が痛いなど、
様々なかたちで、御示し下さっているのです。
ただ、こちら側の都合ばかりを優先する、小我な心が邪魔をして、見えている物も、観ないのが現状です。

見える人は、常に心に愛心を抱き、感謝の念を忘れない。
人には、御示しの力は、如実に現れます。

天は、人の下に人を作らず。
人の上に人を作らず。

実るほど、こうべを垂れる、稲穂かな。

呪術とは何か?

密教、仏教、顕教、陰陽道、神道、呪禁道、チベット密教、その他。
祈祷をする団体、個人に於いて、祈祷と称しているが、本来は、呪術なのである。

呪術とは、呪いという悪いイメージを想像されがちだが、本来は神仏に、加護を願い、行われた仏事、神事が始まりです。

言葉とは異なもので、読み方、書き方により、捉え方も変化しがちですが、
祈祷と書けば、神聖で、呪術と書けば、暗いイメージに感じるのは、
戦後のアメリカ政府の思想統制に、影響を受けていると言っても過言ではない。

日本の明治政府が実施した、廃仏棄釈も、信仰の世界を歪曲させた、悪法の一つであります。
即ち、祈祷とは呪術であり、願望達成へのプロセスであり、僧侶、神官が行えば効くという事ではないと、愚僧は言い続けている。

三位一体こそ、願望達成を成就させる方法論であると、愚僧は信じてやまない。
呪術には様々な術が、存在しますが私利私欲を、満足させる術も、存在するのは事実です。
然るに、その術を厳修するか?しないかは、術者の倫理観と見識が、問われる正念場です。

金儲けに走るも良し、世の為人の為を考え厳修するも良し。
どちらを選ぶかは、術者の理性を問われる時です。

依頼する方に罪はありません!
例えば、依頼者が理不尽な依頼をしても、それを、無碍に断るのではなく
依頼者を正しく理性的な方法論に導き、諭すことこそ、神仏に使える者の務めと心得ます。

一沙門の気概を持って万事にあたる時、必ず神仏の御加護が働きます。
御加護を期待せず、お計らいを待つ心に、神仏は観応して下さります。

欲に走り、欲を追えば、結果は、自明の理。
全てに愛を持って進む時、必ずや閉ざされし門は、開かれます!

敬天愛人…天を敬い、人を愛する時、あなたは、全てを知る事に氣づき、神仏の慈愛を感じ、知る事になるのです。

今を生き、苦しむ方は、呪術にすがっても良いのです。
その後、愛を知っても、遅くはないのです。

今を苦しみ、絶望するよりその苦しみから、まず自分を、解放する事が先決です。
御自分の人生を、大切になさってください。



by jiyou-925 | 2018-04-19 12:00 | ├ 愛について

霊的真理の自習室:愛に関する密教ブログ 8

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愛にはいろんな形があります。
親子愛、夫婦愛、人類愛など。
様々な愛の形について書かれた記事をシリーズで特集して参ります。
どうぞご覧ください。

>>愛に関する密教ブログ1
>>愛に関する密教ブログ2
>>愛に関する密教ブログ3
>>愛に関する密教ブログ4
>>愛に関する密教ブログ5
>>愛に関する密教ブログ6
>>愛に関する密教ブログ7

夫婦関係

夫婦関係とは、学び合いです。
互いに良いところ、悪いところを学び合い、助け合う関係なのです。

主人が怖い、奥さんが強い…
それは、夫婦関係ではなく、自分を主張したいだけの、小我な関係に過ぎません。
互いに平等な関係であり、互いにいたわり合う関係なのです。

今、私の元に様々な夫婦間トラブルの相談がきます。
私は、考えます。

夫婦とは、何の為に成立した関係なのか?
互いに歪み合う関係に、学びは成立しません。
例えば、夫婦喧嘩を見聞きすると、その原因はほぼ同じです。

自己主張のぶつかり合いです。

私は夫婦とは、互いに認め合い、互いを尊重し互いを愛し、自己の傲慢さを、愛により修正する関係と考えます。

自己の傲慢さを知り、穏やかに修正できる関係は夫婦関係しかありません。

他人に自己の傲慢さを、曝け出した時…
他人は、あなたを侮蔑し去って行きます。

しかし、それを支え大我に導く関係こそ、素晴らしい夫婦関係だと、私は考えます。

今、縁有って、成立した夫婦関係…
あなたは、奥さんを優しく、愛していますか?
奥さんは、傷だらけになって帰って来たご主人を優しく手当していますか?

自己主張は、傲慢の産物です。
自己主張などせずとも、ご主人は奥様の意見を聞き、叶えるべく努力し、奥様は常に優しく、美しい存在であり、菩薩なのです。

心の美しさが菩薩の証明なのです。

男、主人は、泰然自若たる自己を目指し、精進潔斎する時…小我は崩壊し、大我に目覚めるのです。

増殖、分裂

私は、視た…
増殖、分裂を繰り返し、様々な人や階層に憑依し、増殖、分裂する物を…
細胞は、分裂し増殖するが、物も増殖、分裂を繰り返し、感染する様に、他を侵し続けている事を、皆さんはご存知だろうか?

その証拠に、イジメが後を経たない…
事件が兇悪化している事実を、皆さんはどうお考えですか?

何時の日か貴女に襲い掛かる時が、来た時…
貴女は、自衛出来ますか?
私は、大丈夫と言えますか?

私が以前、書いた記事を覚えておいでですか?
愛情の反対は、無関心。

今や、日本中に無関心者が、増えているのです。

自分には、関係ない。
自分だけは、大丈夫だ。
環境が悪いのは、私には関係ない。

自由で結構…

但し、自分が巻き込まれた時、関係ないの言葉が出るだろうか?

古来日本語は、大和言葉…言霊だったのである。
それが、現在では、皆無に等しいのが現実である。

昨今のイジメは犯罪であり、許される事ではないのに、イジメが横行するのは何故か?
犯罪が兇悪化しているのは、何故か?

悪想念が増殖、分裂を繰り返しているのです。
そして、更なる憑依を産み、暗黒へと誘うのである。

ここまで来た状態を修正し、回復させるには、一人の力、能力では不可能である。

私は今、自分の亡き後を視つめている…

今や確実に、〇〇は、起きます

そして、荒廃した時に氣づいても、遅いのです。

私の元に急激に、弟子が集結しております。
様々な能力を持った者達です。
後は、修行と訓練を繰り返し、一人前の密教僧に育てるのも私の使命である。

赤不動院、密教塾は、あなたの入塾を歓迎します。
一緒に学びましょう。

伝染

何も無いのにイライラする。
それは、オーラ伝染によることが多いようです。

例えば電車内の椅子には、様々なオーラが付着しています。
何も知らない人がその椅子に座ると、しばらくしてイライラとして来る事がありますが、此れはオーラの伝染であります。

昔の諺に以心伝心とありました。
この意味するところは、『口で言わなくとも意思は伝わる』と言う事です。

良い感情は伝わり難いのですが、悪感情は簡単に伝わります。
それは、悪感情の方が意識レベルが強いからなのです。
従って、イライラや憎しみの感情は伝わり易いのです。

他人を誹謗中傷する人間は、常にイライラや憎しみの感情に支配され、やがて破滅の道を辿ります。
そうならない為にも、皆さんは明るく、負の感情は捨てましょう。

全てには愛があることを悟って下さい。
全てに愛があることを悟る時、あなたは向かい入れてくれる存在に氣づく事でしょう。

私達は一人では何も出来ないし、一人では完結しない事に氣づくことは、しあわせに近づいた証しなのです。

増長傲慢

アメリカでは新しい大統領が就任し、韓国では大統領が失脚し、日本固有領土に少女像を安置すると騒いでおります。
また、北朝鮮では核ミサイル騒ぎ。正に増長傲慢の極みであります。

平和に生きれば安心が得られ、増長傲慢に生きれば、争いの芽が発芽する。
何故、こんな簡単な事が理解出来ないのでしょうか。

それは、国民性と人間性の希薄化が引き起こす魔界帰り現象が起きているからに他なりません。

増長傲慢は、侵略、争い、悲劇を呼び起こし人間界を破壊します。

平和を愛し、融和を実践する時、争いは影を潜め、隣人を愛する事が出来るのであります。
自らが争いを求め、平和を語るは正に、増長傲慢の極み。

日本は嘗て敗戦を味わい、国民は地獄を味わった経験を生かし、静かに生きて来た時代がありました。
然るに、昨今の日本は犯罪者が闊歩し、犯罪は凶悪化しています。

警視庁の発表では、犯罪の総数は減少しているといいますが、犯罪の質は言明を避けているように考えます。
ひと昔前では考えられないような子供が子供を殺し、子供が親を殺し、親が子供を殺し、性的異常者が横行する。
現行の日本は、決して正常とは言いがたいものがあります。

この異常事態を正常に戻して安心を得るには、正真正銘の學びと敬う心、尊ぶ心を呼び起こすことが急がれます。
そして、日本人が日本人の尊厳を心に刻み、厚顔無恥を知って道徳心を養い、自分に恥じ無い生き方を見直すことが肝要なのです。
更に言うならば、宗教と信仰の違いを確実に自身に刻み込むことであります。

日本には、古来より素晴らしい教えが数多く残されております。
葉隠《鍋島論語》修身、文武両道の精神、全て日本固有の思想であります。

外国文化に傾倒するも良し。
しかし、自国の文化も知らずして他国文化に傾倒する時、それは唯の猿真似に過ぎず、他国からは軽薄としか認知されません。

日本人の最低の証しとして、自国の文化を熟知してから、他国の文化に興味を抱いても遅くはないと考えます。
日本人の特性は、恥を知る文化です。

ベストパートナー

あなたにとってベストパートナーとは、どう考えますか?

様々な関係性を鑑みる時、夫婦関係を今回は考えてみて下さい。
真に俯瞰して考える時、純粋に人間性だけを捉えて相手を決めましたか?

容姿端麗、美しい、スタイルが良い、若い、頭が良い…など。
しかし、人間は年を取り、容姿は衰えて変貌を遂げます。
生活力、仕事があり、順風満帆な時は、誰しも自信に満ち溢れております。

しかし、職を失いうらぶれた時、自信を持ち続けられますか?
上記は、物質の裏付けなくして保つ事は不可能であります。

私は、六十三歳になるまで様々な人生を味わい、慟哭の涙を流した時もあります。
生きるとは、正に學びの連続です。
貧困に喘ぎ、愛する者との別離《死》、自らの老い、裏切り、裏切られ。
何故起こるか?物質に傾倒する時、魔を呼び込むのです。
心の闇も全て、物質的価値観を自身が受け入れた結果なのです。

あなたが、本当の意味でベストパートナーを求めるならば、自身を俯瞰し、物質的価値観を棄てて真の道を學ぶ事をお勧めします。
物質のみを求める時、人は無限の地獄を味わい続ける事になるのであります。

遺品整理

遺族は、悲しみのあまり遺品を片付け、整理する事が難しいと思います。

私にも、何度となく経験があります。
しかし、故人の為を思うのであれば、葬儀後の四十九日が経過した時点で遺品整理を進めることが、故人の浄化を助ける事になります。

遺品をあまり長く放置する事は、浄化の妨げになるだけです。
故人を思う心が強ければ強いほど、遺品整理をして下さい。
遺品が思いを現世に留め、浄化の妨げになっているケースを沢山みて来ました。

自分の靴に執着心を持ち、浄化出来ない人。
釣り竿、人形、コレクション…その他。
故人の執着心を、助長させないのも愛です。

遺族が遺品にすがる気持ちも解ります。
しかし、何よりも大切なのは、物ではなく故人の浄化を助ける事です。
故人がいつ迄も現世に残れば、最後は未浄化霊になります。

そうしない為にも、遺品整理は大切な事と考えて下さい。

遺品整理を業者に出す方は、気をつけてください。
悪い業者は、遺品を他に売り利益を稼ぎます。

故人の着物がいつの間にか、古物店の店先に並んでいるケースもありました。
それでは供養にも、何もなりません。

どうしようか?…悩んでいる方々は私にご相談下さい。
的確なアドバイスをさせていただきます。

毎日、何事もなく暮らしていた…。
そして、明日は来ると、思っている方が大半ではないでしょうか?

しかし明日は、誰にも保証されてはいません。
私とて同様です。

そして、突然迎える死…。
やりたい事、やり残した事を諦めざるを得ません。
理屈では解っていても、残して来た物が、他人にも家族にも知られたくない物がある時、人は執着心を抱きます。

私が、四十九日の法要を依頼され、その御宅に行った時の話です。
納骨前の遺骨を前に供養経を読誦している時…切実な声が。
「あの写真を家族に見られたくない…何とかお願いします」言うのである。

葬儀時に故人を知っていますが、美しい人でした。

法要が終わり、宴席の用意に家族の方々が他の部屋に行き、私は法衣を着替えている時も、仕切りに頼まれます。
故人に教えられた箪笥の中から、一枚の写真を鞄に入れて宴席に向かいました。
お接待を受けましたが、何か後ろめたさにうわの空でした。
寺に帰り、写真をお焚き上げする時に見たものは色っぽい写真でした。

供養の想いを込めて、お焚き上げが終わった時、故人が一礼されて浄化され、登られて行かれました。
あまり他に見られたくない物は、生前に整理しておく事をお勧め致します。

人にはそれぞれ、プライドがあります。
他から見ればたった一枚の写真でも、ご本人にとっては大切なプライドなのです。
私はこれからも、生者、故人に関わらず、皆さんのお役に立てれば本望で御座います。

小我の愛を知り

人は、様々な出会いと別れの中で、愛を知り、愛に泣き、愛の葛藤を覚え愛に苦しむ時、様々な愛の形を学びます。

平和を愛する人は、妻を愛し、家族を愛し、自分を愛し、
やがて、天を愛する心が芽生え、より大きな愛がある事に、氣付く事でしょう。

それは、大慈悲、大我の愛です。

人が愛に、無関心に成った時、国は滅び、人は死に絶えるでしょう‼️
昨今の猟奇的事件を耳にするたびに、人間の低級自然霊化に、歯止めをかけなければ、
地域は、荒廃し、やがて國は、弱者を切り捨ていき、やがては滅びし國の、二の舞に突入する事でしょう。

今こそ、貴女の心の中に宿る、大我を発揮する時なのです。
愛する我が子が、低級自然霊化する前に、本当の母性愛、すなわち、慈愛を持って接する事が、今求められているのです。

犯罪者にも、親はいます。親のいない生き物は、存在しません。
親は、子の鏡
子は、親の鏡
互いに助け合い、学び合う、魂の同志なのです。

子供達が、正しい愛を学び、正しい愛を実践する時、この世は、美しく再生します。

その逆に、子供の心が荒び、荒廃の渦に呑まれる時、この世は、確実に滅びの道に進みます。

私達の責任は、子供達と人生の先輩である。
御老人が安心して生きられる環境にする為に、叡智を結集する時ではないでしょうか。

涙のオートバイ

愚僧が担当した供養依頼の中でも、忘れられない事があります。

秋の日に一人の御婦人が、相談依頼に来られました。
とても疲れている様子で、暖かいお茶を出してからお話しを伺う事にした。

御婦人がポッリポッリと話されたこと。

息子さんが暴走族の仲間入りをして、母の貯金を持ち出しオートバイを購入。
暴走を繰り返し、ヤクザに
面白半分で追い回され電柱に激突して死にました。

親不孝な馬鹿息子です。

お母さんが泣き崩れます。

生前息子さんは、お母さんの貯金で買ったオートバイをお母さんに自慢して居たそうです。
マフラーの音が特別にしてあると、笑顔で話して居たそうです。
本当は、優しい子だったと涙。

相談は、亡くなった息子さんが毎夜オートバイの爆音を響かせ、家の周りを走っている。
隣近所にオートバイの爆音が毎夜有って困ったものね。と言ったら、オートバイの爆音など聞いた事が無いと、皆さんに言われました。
しかし、私は毎夜オートバイの爆音を響かせる息子の姿が分かるのです。

御婦人の相談内容も承知。

霊査する事に成り、御婦人の自宅に行くことになりました。

支度を整え、御婦人と二人ご自宅に到着。
息子さんの為に壇が、遺影があり、まだ少年である。
若い命を可哀想に視ると、息子さんは家には居ない。

事故現場に向かい視ると、全身血だらけの少年の姿。
頭から激突したので有ろう事は察しがつく。

此の儘では、毎夜オートバイで徘徊を繰り返す!
浄霊する事に。

自分が死んだ事を、理解させなくてはならない。
まず自分の姿を見せた。
かなり動揺して居たが、法を掛け、自宅に連れて帰り、ゆっくり自覚させるしか無い。

お母さんに、息子さんはここに今も居て、自分の死んだ時間になるとオートバイに乗り、一人で走り周っている。
自宅に連れて帰り、自分の死んだ事を理解させるしか無いので、愚僧に憑依させ自宅に連れて行きます。と説明。

自我を縮め憑依、成功!
お母さんと自宅に戻り、安心した様に愚僧から離れ、自分の部屋に入るが、様子が違うので戸惑っている。

お母さんに息子さんは、死んだのだと言って頂くと、息子さんは自分の死を受け入れた!

お母さんの目には、涙が溢れて居た。
愚僧は、息子さんが幼い頃に他界したおじいさんを召喚して、お孫さんを霊界に連れて行く様に頼む。

蓮華を観想、二人を蓮華に乗せて霊界へと旅立ちました。
息子さんは突然の死に理解出来ず、毎夜オートバイに乗ってお母さんを探して居たのです。

まさに母、子の情愛が生み出した悲しい出来事でした…

その後お母さんも、自宅でひっそりお亡くなりになられて居る処をご近所の方が発見され、警察に通報されたそうです。

今度は、霊界で親子仲良く暮らして頂くことをお祈りして居ります。

私達は霊的存在

毎日、考えられない事件、事故が発生する。
何故か?皆、死んだら終わり…と考えているからなのです。

先日の新幹線内での事件…全くもって、自分勝手で傲慢な犯行としか、言えない。
様々な人を巻き込み、自分は自爆する…自爆テロと変わりません。

その根底にあるのは、人間死んだら終わりという無知な思想の現れです。

どんな偉い人でも、一般人でも、死に逃げは出来ません。
必ず自分が犯した罪は、カルマ、因縁になり、自分に返ります。

カルマ、因縁とは…自分が犯した罪を反省、完全理解を果たすまで、未来永劫に渡り続きます。
これほど恐ろしい事はありません。
自分で犯した罪を反省する事は出来ますが、完全理解となると、簡単には出来ません。

何故か?答えを教えてくれません。
答えは、何世掛かろうと、自分で見つけなくてはならないのです。
答えを見いだすまで、未来永劫、同じ科目を履修するのである。これがカルマの法則です。

全てに、例外はありません。
ですから私がよく皆さんに申し上げる言葉に、究極の自己責任、蒔いた種は自分で苅る、責任主体、これが霊界の法則です。

この法則から逃れる事は、誰にも出来ません‼️
例え、御仏に仕える身であろうと逃れる事は、出来ません。

全ての法則は、平等に働きます。
現界でいかなる立場であろうと関係ありません。

全ては、大霊の愛なのです。
理解し自分の中に、落とし込む時、答えが見えて来ます。

大霊は、慈悲そのものなのだから。

水面下で起こる事

今、水面下で起こる事
私は、今年の始めに予言を書いた事を、皆さんは覚えておいでですか?

今、何処で何が起きても可笑しくない状況なのです。
私は、自分は、大丈夫‼️…だと思う方々は、それを信じてお進み下さい。
私には、何も出来ません。

物価の上昇、事件事故、あらゆる事が、私の書いた予言通りでは、ありませんか?
今、最も重要な事は、家族の結束です‼️
家族の結束なしには、この危機を脱する事は、難しいのです。

若い力と、お年寄りの智恵、夫婦の愛が、カギです。
調和が乱れる時に、出来る風穴を塞ぐのは、家族の結束です。
貴方が中心に成り、結束を固めるのです。

結束する事で、ある種の結界効果が生じます。
貴方や家族を護るのは、結束から生まれた愛の結界なのです。



by jiyou-925 | 2018-04-18 12:00 | ├ 愛について

霊的真理の自習室:愛に関する密教ブログ 7


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愛にはいろんな形があります。
親子愛、夫婦愛、人類愛など。
様々な愛の形について書かれた記事をシリーズで特集して参ります。
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兄弟家族

魂の世界から言えば、人類は、皆兄弟なのですが、それぞれ生き方も考え方も違います。

それは、何故違うのか?
広義《霊的》で言えば、學び合う為なのです。

そして、夫婦はより一層の學びを求めた相手と言えます。
夫婦は、身近で學び合える唯一の存在とも言えます。
良きにつけ悪しきにつけ、學ぶ意思さえ持って居れば、學ぶことは、容易い。
ただお互いの存在を癒すだけでは無く學び合う存在と自覚する時、新たな関係が生まれます。

それは、愛の學びです。
夫婦間の肉体関係も學びなのです《オーラの交換》
また、子供を通して《究極のボランティア》
また、お互いが年齢を重ねた時《いたわり合いの心に目覚め最後の愛に到達するのです》
子供から大人へ、大人から老人に最後は、誰も拒む事が出来無い世界に帰るのである。

人間の一生には、無駄は、ありません。
無駄と決め付ける心が無駄であり、傲慢なのです。
人間に最も必要の無い感情は、傲慢である。
そして最も必要で重要なのが愛なのです。

愛を知らない人は、居ません。
もし愛を否定出来る人が居るとしたら、その人は、人間から生まれて居ない事に成ります。

母は、十月十日、我が子をお腹の中で育て、この世に産み出し育てます。
その行為を男性が変わったとします?痛みに耐え切れ無いと産科の医師は、言います。

自身の父母を敬い、先祖を敬い、神仏を尊ぶ時、あなたの人生は、きっと良い方向に進んで行きます。

怠惰と傲慢の海から脱却するのは簡単である。
自身が深く反省し、學びの道に邁進する時、全ての霧は晴れ新しい道が開かれます。

祈りの輪

今年も残すところあと僅か、そんな事を考え今、私は此れを書いています。
様々な加持祈祷に明け暮れ、生きる時、人の愛を感じます。

家族を助けたい心、愛する人を助けたい心、自己の不運を好転させたいと願う心、私はそんな方々と向き合う時、明王尊にお願い申し上げます。

今の事象を好転させなければ、此の方々に真の信仰心を目覚めさせる事は叶いません。
どうか御力をお貸しくださいと、念じます。

人の世は、學び合い、一人では、生きられません。

来年は、今年以上に様々な出来事が、頻発する事が考えられます。
今迄に私は、何度も発信して参りました。

自分だけは、大丈夫と想う気持ちを捨てて下さいと。
しかし世の中は、ある方向へと進むばかり、自分の力の無さを痛感する今日この頃でございます。

願わくば、この記事を読んで頂いた方だけでも、御理解いただきたい。
いま何をすれば良いかと、答えは、今迄に何度も繰り返し書きました。

ただ目覚めて下さい、學んで下さい、愛情の裏返しは、無関心です。
全ては、無関心から発していますこの現況を改善するのは、人の愛です。

愛無き言葉、愛無き行動、愛無き現実、
これらは、全て私達の無関心から来る事象なのです。

正しい信仰には、愛があります。

御仏の慈愛です。
その慈愛に触れることが出来るのは、あなたなのです。

あなたが手を伸ばすだけなのです。
例えば、ムズカル幼子にそっと手を差し伸べる母のように、御仏はあなたに、手を差し伸べてお出でに成られます。

その御手に縋るか、縋らぬかは、あなたの選択であります。
御仏は、平等ですが、平等に意思込めるのは、あなたなのです。

私は、ある著名な霊能者の方々とも振興が御座いますが、皆さん異口同音に仰る言葉は、不動明王尊信仰です。

今を救えるのは、不動明王尊の御力だけだと。

皆さんの心の中に、不動明王尊の信仰心が芽生えるだけで良いのです。

御参りして、お金を使う事は、ありません。
ただひたすらに不動明王尊の御姿を観想するだけで、護られます。

不動明王尊は、お金を要求しません。
必要なのは、確固不抜な信仰心だけなのです。

心の飢餓

今、急速に心の飢餓が進んでいる。
此れは、私達が産んだとも言える。
原因は、無関心で在る。

自分に直接的な影響が起きないと人は、動こうとしない。
反面、少しでも不愉快な事には、異常なまでに反応する。
正に、現代の象徴の様に感じられる。

そのいい例が、すぐキレる、自分に非があるにも関わらず、逆ギレする。

私も遭遇した事がある。
相手が弱く見えた時、更に酷く襲い掛かって来る。
仕方無くかわすが、しつこい馬鹿者には、鉄鎚を喰らわせば尻尾を丸め、泣きが入る。
情け無い輩が居るものである。

私は身体は小柄だが、武芸十八判を納めた身、普通の者では歯が立つまい。

増してや、相手を小柄な爺いと侮るヘナチョコなど、取るに足り無いが、懲らしめてやらねば、普通の人に害を及ぼす怖れがあるので、懲らしめて置いた。
その情け無い醜態は、餓鬼以下である。

正に今の世は、末世末法の世を、彷彿する様な出来事であった。

男足るもの、本来であれば、強きを挫き、弱きを助くる者であるはずが、今日は、この体たらく。
世も末と想う私は、中世の遺物なのだろうか?

女性には優しく、幼きは愛でる、これが私の心情である。

家内にも同様。
然るに家内とあれば、負けるが勝ちも、諸般の男性諸氏には伝え置きます。

強さは魅せる物に非ず、感じるを待てば良い。
男子、質実剛健であれ。
女子よ大和撫子に帰縁、願いたい。

皆様の幸せを、御祈念申し上げます。

警告

水と揺れ、皆さんは、お気づきのはずです。

私は、予言、警告、注意、様々な形で伝えてきました。
今回の洪水、地震これは、自然霊からの警告です。

何故、警告が発せられたか。
それは、今の日本の現状を見て下さい。
私が予言した結果に、近づいて居る事がお解り頂けると思います。

原発、戦争法案、殺人事件の多発。
自分勝手が原因の事故、何一つとして、反省が無い。

私は選挙に無関心、無関係だから関係無いと思って居る方々、あなたも大いに関わって居るのです。

愛情の裏返しは、無関心!
まさに日本の現状は、無関心なのです。

自分に関わる事には、関心を示すが、直接的には、関係無い事には興味すら感じ無い、と考えて居ること自体がkarmaを呼び寄せます。
京都御所の結界が切れ、また皇居の結界も切れました。

私の仲間は、必死で各地の結界修復に奔走して居ります。

私もやります。
皆さん如何か、伝えて下さい。
平和の有り難さを、平和の尊さを。
あなたの大切な人を守る為には、大勢の善意が必要です。

密教塾

密教塾とは、拙僧が一般の方々に密教を理解し触れて戴く為に開いた私塾です。

密教とは、様々な苦しみを抱え生きる人々の寄る辺と成る為に、お大師様が創始したのが密教であり、最大の目的は人々の救済なのです。
安心立命、即身成仏を主眼とするものなのです。

安心立命とは、怯えも、怒りも、嫉妬も、無い。
明るい心で、愛を育み、愛に生きる心です。

即身成仏とは、全ての苦から離れ大日如来の慈悲に依り、生き乍ら菩薩行を歩み、一人ひとりが仏の心を具現化し、生きたまま菩薩或いは、明王に成り人々の 救済にあたり、自らも救われるのです。
そして、行者は、新たな階層に向かい、修行を重ねるのです。

悟り

人は、様々に生き、葛藤してある時は傷つき、汚れ、涙を流し、絶望の渦に飲み込まそうに成ります。
絶望の渦中にある時、人は学びを拒絶しようとします。

何故、自分だけ不幸なのか?
何故、自分だけこんな目に遭うか?

何故、何故、を繰り返す時、其処にあるのは、絶望に我が身を置くヒロインに成りたがるのである。

私は、様々な絶望を経験して参りました。
その経験を生かし言える事は、絶望に身を置いても何も解決しないと云う事である。

絶望を学びに転換する時あなたには、霊界からの救いの手が差し伸べられます。
あなたは、子供の頃の様な素直な自分に帰り、その手を掴めば良いのです。

絶望から来る拒否の心に封印し、学びましょう。
必ず導きの光が、あなたを誘います。

今の時代に必要な要素は、素直な明るい心なのです。

悟りは、あなたが、素直な明るい心を取り戻したいと願う時、既にあなたは悟りの境涯に包まれて居るのです。

難しい悟りの道もあります。

しかし、初心を忘れた者には、難しい悟りも簡単な悟りも、未来永劫訪れる事はありません。

まずは自分を信じ、御仏を信じ、愛を信じる事が、あなたを悟りの境地に誘います。
自己を愛せぬ者が、他を愛せぬも真理。
まずは自分を信じ、愛して下さい。


私は、今日もあなたのしあわせを願い、御祈念申し上げます。

愛別離苦

現界では、どれほど愛する人とも、別れは訪れます。

あれは、ちょうど今頃でした。
亡くなったお子さんの供養を頼まれて、お宅に伺いました。
重く沈んだ空気が立ち込めて居ました。

それも、仕方ありません。
幼い我が子との別れ。
私にも経験があります。

仏壇に灯明をともし線香を焚き、読経。
幼子は成仏して居ない。

読経を終えてから幼子と会話して、成仏出来ない理由が解りました。

娘ちゃんは三年近く入退院を繰り返し、桜の花が散る頃に亡くなったのです。

娘ちゃんが亡くなり、家族の顔から笑顔が消え、口数もメッキリ減り、暗い毎日の中で、おかあさんは娘ちゃんの写真を見ては泣くばかり。
このままではお父さんも、大好きなお兄ちゃんも、バラバラになってしまう。
自分が死んだ事で、家族がダメになるのはイヤと、
家の中を泣きながら走り回る姿には、私も涙を流しました。

私は、家族に全てを告げました。

おかあさんにの言葉、お父さんにの言葉、お兄ちゃんにの言葉で、娘ちゃんがこのままでは、お兄ちゃんは死んでしまうと、言うのである。

おかあさんも、お父さんも、お兄ちゃんをもっと見て、私の身体が弱かったから、みんな私に優しかったありがとう。

でもお兄ちゃんは、何時も我慢して、笑顔をくれた。
お兄ちゃん、ありがとう。

お兄ちゃんは、自殺を考えて居たのです。

学校でのイジメに耐え、家に帰って来ればおかあさんは泣いている。
お父さんは、何も喋らない。
そんな中で一人で我慢を重ねて来た、お兄ちゃん。
限界だったのです。

私は、お兄ちゃんに、普賢菩薩のお力をお借りして、強い意志を芽生えさせ強く、生きる事を念じました。

お父さんおかあさんには、文殊菩薩の智恵を頂き、家族に光明をもたらし給えと御祈願申し上げました。

娘ちゃんは、母方のご先祖様に護られながら昇天して行きました。

その顔には笑みを浮かべ、父、母、お兄ちゃんのしあわせを、願う幼子の姿がありました。

自由と責任

人間は自由であります!
しかし自由には、責任が伴うことを忘れてはなりません。
最後は、その責任によって償いが待っています。

全ての人に例外なく待って居るのが、自由と責任の法則です。
自身が正義と思い、行う行為にも責任は伴います。

あなたの一言が、もしかしたら人を傷つけているかも知れません。
また、あなたの行為が、愛する人に重荷を背負わせているかも知れません。
人間は傲慢になった時、大きな罪を犯します。
人間に必要のない感情は、傲慢であります!
傲慢になるとき、人間を人間と見ずに自身を王様に仕立て上げ、傲慢の限りを尽くします。

人間は譲り合い、助け合い、分かち合う時、調和と言う素晴らしい道に辿り着くのです。
啀み合い、そしり合う時、全ての調和は崩れ、争いの渦中に没入します。

ミーコ

私は、この時季になると一人の少女を思い出す。

私と彼女の出逢いは、仕事で広島に出かけた時…
明るく笑顔が可愛い十二歳の乙女である。
その顔は、天使の様に清らかで素敵です。

私は、彼女と夜明け前まで話しをした…

将来は、看護婦さんになって、苦しんでいる人の手伝いをしたい…
お母さんに新しい着物を買って、妹達に美味しい物を沢山食べさせる。
自分は真っ白なブラウスを着て、花屋さんで父が好きな百合の花を沢山買う。
甘い物が好きだった弟の為にお団子を作り、母と妹達と、父、弟が眠る墓に、お参りするのだ…と私に話してくれました。

その笑顔に出逢えた私はしあわせ者です。

ありがとう、ミー子…
君の夢と願いを聴かせてくれて…
でももう時間が来ました。

白いブラウスを着て、髪を綺麗に整えて、さあ、おゆきなさい…
君のお父さんと弟が、迎えに来ました…

私は、祈りました。


御本尊赤不動明王尊、お力をお貸し下さい…ミー子と母、妹達が安らかに還れますように…と。
我が為す術は、我が為すにあらず…明王の力成り。



一瞬にして、命を奪われた人々…
やりたい事も有ったでしょう。
沢山の夢も有ったでしょう。
愛する人の死を眼の前に悲しみに、泣いた事でしょう。

私達は、尊い犠牲者の方々の命に支えられて、今、生きているのです。
自分を大切に、他を大切に生きる事が、今、私達に託されているのです。

今、この瞬間は、二度と返って来ません。

あなたは、あなたの人生を大切に生きて下さい。

結婚と離婚

男女が愛を育み、一つ屋根の下で永遠の愛を育み、しあわせな人生を歩む…結婚。

良き伴侶と巡り会えたしあわせと、もう一つ大切な課題があるのです。
人間としての学び合い。
男としての学び…女としての学び…やがて二人の間に、子供が授かり、親としての学びが始まります。

甘いだけが、結婚ではありません。
男は、妻たる女性を庇い、愛を完成させる為に努力を惜しまず、男の気概を見せるのが男です。

妻は、夫を慕い、二人三脚、雨の日、風の日、嵐の日…そして日本晴れの日を、夫婦として迎えるその日を楽しみに、夫を支える人なのです。


人と言う字は、一人では完成しません。
互いに支え合う心と心…だから、夫婦なのです。

今、しあわせな貴女、貴方…努力を怠らず、夫婦相和し力を合わせて、頑張って下さい。


離婚とは…


悲しい事かも知れませんが、悲しみに眼を曇らせてはイケマセン。
涙眼で物事を見れば、霧や雲が掛かり、本質を見失います。

離婚は、学び合いが終わったのです。

いつまでも、その現象を引きずらず、前を向いて下さい。
必ず、分かります。
貴女に相応しい、学びが存在する事を…

今、次への準備段階です。
貴女の人間力を磨くチャンス到来です。



by jiyou-925 | 2018-04-17 12:00 | ├ 愛について

霊的真理の自習室:愛に関する密教ブログ 6


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愛にはいろんな形があります。
親子愛、夫婦愛、人類愛など。
様々な愛の形について書かれた記事をシリーズで特集して参ります。
どうぞご覧ください。

>>愛に関する密教ブログ1
>>愛に関する密教ブログ2
>>愛に関する密教ブログ3
>>愛に関する密教ブログ4
>>愛に関する密教ブログ5

縁結び法

密教には、様々な縁結び法が実在致します。

①好きな人と結ばれたい。
②相手はいないが、良縁を望む。
③好きな人がいるが、相手には、奥さん、旦那さんがいる。
④相手に、こちらを向かせる。
⑤仲の良い者同士が、最高の喜びを得る。
⑥死者同士の愛を、永久に続くようにする。


まだまだ御座いますが、縁結びで絶対に結ばれ無いケースを紹介します。
他に付き合って居る相手がいながら、また他にも欲しいと考え、縁結び法を依頼しても成就しません。
《隠して依頼しても、行者は騙せても、成就に導く眷属は騙せ無いのです》

縁結びは、本当に相手が欲しいと願い、御本尊様、行者、依頼者のトライアングルが完璧に揃う時、必ず成就します。

また、縁切り法もありますがこれも然り。
偽りがある場合は、成就しません。

全ては正心に始まり、正心に終わるのが密教の加持祈祷なのです。

名前

今日は、信徒様や弟子からよく尋ねられることについて語ります。
例えば、守護霊様の名前についてですが、守護霊に成るには輪廻転生を繰り返します。
そして、様々な時代と家に生を受け、現界の様々な事象を學びます。

その後に、今度は高級霊に成る為の準備として守護霊と成り、私達を見守って行く辛い修行の一環なのです。
例えば貴女が、自身の可愛い子供が危機にある時、貴女はじっと耐え、子供の成長の為に黙って見守る事が出来ますか?

一言も言わず、ただ子供の成長を見守る事は、想像以上に過酷な事なのです。
しかし、それは、後に子供を救うことに繋がります。

守護霊様は愛溢れる存在であり、人間界の個有名詞などと言うものを達観した境涯にあります。
従って、名前などにはこだわりません。

名前にこだわるのは、一部を除いて、低級霊が貴女を騙し、落とし入れる為に語る偽名である可能性が高いので注意が必要です。
人間界でも、ことさらに自身を売り込む者が居ますが、後は皆さんの見識と判断が必要と考えます。

危機感の無い生き方

人間には、様々な可能性があります。
しかし、それも見ぬ間に年老いては勿体無いと思いませんか?


ただ毎日を過ごした人間と、目標を立て生きた人間とは、必ず差が生じます。
現界には、歳だけを重ねた人間には、情がありません。

何故か?
物質に生き、考え方も物質的価値観の固まりに人間が堕ちる時、情は失われます。

物質的な思想の持ち主に、真の愛は訪れません。
従って、物質的価値観が助長され、いざ自分が死を迎える時、のたうち回る結果になるのです。

執着の無い生き方は、人間を成長させます。
物質的価値観に生きる者は、常に価値観を全面に打ち出し、争い奪い合い、分かち合う喜びを感じることがありません。

死後も奪い合い、無意味な争いの渦中に自らを投入する事になるのです。

死中に活を求める

私の友人は、阪神大震災を経験している一人である。
あの日は地震によって目覚め、灯りが付かない部屋を手探りで出口に向かっていた時、足に激痛が走った。
割れたガラス片を踏んだらしい。
暗くて、何も見え無い。

どれだけ時間が経過したかわからないが、灯りが見えた。
灯りでは無い、炎だ。
後は、無我夢中で逃げた。

彼は単身赴任で被災地にいたが、一人でも必死であったと語る。
私は、被災した彼から學んだ事から、次の物を用意してある。
まず、スリッパ、懐中電灯、ラジオ、保存食、水。

昔からの諺に、備えあれば憂いなし。

正にその通りである。
いつ何時、何が起こるかわからない、その時の備えが必要です。

死中に活を求めるとは、冷静に判断し、理性的に行動する事である。
他を押し退け、自身が助かる道など無い。
愛を忘れ、殺伐と生きる時、人は人に非ず。
餓鬼に堕ちる。

依代と人形

依代とは、神霊が寄りつくもの、神霊の憑依物のことです。
樹木、岩石、人形、人間などが依代として考えられています。
また、神体や神域のことを依代と言います



今から、30数年前に起きた悲しい出来事です。
ある男女が愛し合い、ようやく親の許しを得て結婚できる事になりました。

娘は、婚礼の日を指折り数えて待っておりました。
しかし、諸行無常。

娘は流行り病に掛かり、婚礼の前の日に亡くなってしまいました。
葬儀も終わったその夜、両親の夢の中に娘が現れて娘が言いました。

『自分は如何しても、好きな人と結婚がしたい 』

両親は、同時に見た夢を哀れに思いました。
娘が着るはずであった花嫁衣装で、腕の良い人形師に頼み、亡き娘にそっくりな人形を作って貰い、娘の祭壇に供えました。

人形が出来上がり、祭壇に供えて三日後の事です。
両親は、一本の電話に驚きました。
娘が、結婚するはずであった男性が急死したと言う知らせでした。

両親は急ぎ男性の家に行き、礼拝を済ませた後で、葬儀に出席して居る親戚から聴かされた話しに仰天するのである。

男性は、友人と出掛ける為に電車のホームに立っていました。
電車がホームに入って来た時、男性は訳の解ら無い事を口走り、そのまま電車に飛び込んだのです。
娘の両親は絶句しますが、葬儀の帰り道で話しました。

《あれは、娘が呼んだのだ。早速、人形師に婿の人形を作って貰い、結婚させよう。》

また人形師は精魂込めて作り上げ、祭壇には男女の人形が並びました。
それで止めれば良かったのですが、祈祷師を頼み、人形に結婚式を挙げさせたのです。

その後すぐに、異変が始まりました。
恐くなった両親は、私の寺に相談に来ました。
私は護摩の炎で、荼毘に伏す事を提案しました。

しかし、両親はそれを断り、和歌山のある神社に納めてしまいました。
今も、その人形は安置されていると聞きます。
古来依り、人形は依代とされ、呪詛や様々な魘魅に使われる依代であり、以上のように使えば結果は明白である。

読者の皆様は、決して出処の解らない人形や仏像を家に入れてはいけません。
被る事は、確実です。

心霊現象

心霊現象は、何故、起こるか?
それは、霊と成った者が現界の私たちに送るメッセージなのです。
メッセージの内容を知れば、怖れる必要も何もありません。

以下に一例を挙げれば
①遺族に自分がやり残した事を伝えたい。
②愛する人へのメッセージ
③物品への執着心
④危険を知らせたい一心様々にありますが、
以上の事は、一心を込めて向き合えば、遺族の方なら分かるでしょう。

以下は、上記以外の現象を基軸とした場合に起こる危険な事である。
①ラップ現象《騒霊現象》
②物品消滅現象
③悪臭現象
④異様な心霊写真《撮影》
まだありますが、代表的な例題を挙げて見ました。

以上の場合には、冷静沈着が最も必要であると共に、後の行動がその後の結果を大きく左右する事が多々あります。
先ずは、事象を記録し、然るべき機関に依頼する事《信用の出来る機関》素人判断は危険です。
同時に科学的検証が必要であります。

以上の項目を具備し多方面の検証が不可欠です。
いたずらに騒ぎ立てる事は、返って事を悪化させる事に繋がり易いので注意が必要です。

どんな事でも、先ずは冷静に対処する事が良いと私は考えます。

愛の學び

男女の交際から始まり、結婚。
人生は、巡り会いが転機と云えます。

そして、想いも様々です。
仲の良い時、口喧嘩、性格の相違、価値観、信仰、心情と様々に相違点が出て参ります。
それは、全てあなたが選んだ道であり、正しくは學びなのである。

夫婦は、人生の中で一番近い學び相手であると私は捉えて居ります。
深く考えれば、これほど素晴らしい関係は、他に類を見ないでしょう。
病いの時は助け合い、貧しい時は分け与え、老齢に成れば慈しみ合い、
正に人生に於いては、究極の學びこそが夫婦関係ではないでしょうか。

これから夫婦関係を構築しようと思う方は、相手をどこまで深く理解出来るか俯瞰する事も大切ではないでしょうか?
そして、一度契りを誓ったら邁進するのも道であり、學びなのである。

真実を知る

現代は情報化社会だが、間違った情報も垂れ流し状態である。

真実を知るのは、あなた自身の努力が最も必要である。
努力の無い真実は無いと言えます。

何が真実か?正義を探求する者には、正義が必ず示されます。
では、何処から示されるか?

簡単です。
自身が正を求め邁進する時、正義に関する事象が発生します。
後は、あなたがどう受け取るかに依り、変化します。

自身に甘く受け取れば、真実から遠ざかり自身を俯瞰し分析する時、依り真実に近づきます。

全ては、蒔かぬ種は生えぬ。
棚から牡丹餅など存在しないのです。

人の一生は、正に『光陰矢の如し』自身の一生は終わりに近づいて居る事に氣づくとき、あなたは何を考えますか?

自身の一生に悔いの無い生き方とは、恥じない生き方です。
物質的に恵まれても、心が貧しい生き方は、魂の弱体化を加速します。

生きる事は、魂の筋トレ。
鍛えれば鍛えるほど強く成ります。

今、あなたが悩み、苦しみ、苦悩する事は、あなたを鍛える愛の筋トレなのです。
御仏は、耐えられ無い試練は与えません。

結集

赤不動明王院は、此処に結集しました。

一人の力は、一人である。
しかし、小さな力でも結集するとき、想像だにしない力を発揮します。

其れが善の祈りであれば、無限の可能性を秘めて躍動します。
人の心は、善が基本であります。
善を行う事に微塵の揺るぎもありません。
そして、波動を産み輪と成す時、無限の可能性を発揮します。

私達は皆、御仏の子供です。
我がままを言い叱られる時も、其処には御仏の慈愛があります。

今、様々な苦しみの中にある方、一人で寂しい方、誹謗中傷の渦に飲み込まれ疲弊して居る方、お出で下さい。
私どもの仲間は、あなたを優しく迎え入れます!!
其処には、輪があります。調和と融合、あなたは一人ではありません。

傷つき、ボロボロに成ったカラダを癒し、豊かな愛を体感する時、人は目覚めます。
その目覚めを選び、実感するのは、あなたの選択です。

イヤなら何時でも辞める自由は、誰にでもあります。 悪の波動に身を任せるのも自由!!全ては自由選択なのです。
但し、自由には、責任が伴うことを忘れてはいけません。
何でも自由は存在しません。
結果を考え行動する事も大切です。



花のエナジーは、優しく愛に満ちています。

花のある生活は、あなたの心に優しく寄り添い、あなたの心を和らげる効果があり、心の浄化にも有効です。
花の命を見守ることも、魂の成長を促し、あなたに沢山の事を氣づかせてくれるでしょう。

子供の頃、友達と遊んだ野原、其処には、小さな花が咲いていたはずです。
様々な事象の中で自身が消耗した方も、花は、優しくあなたを包みます。
あなたに合った花を探すのも、良い心の娯楽ではないでしょうか。

心がざらつき悪い言葉を発すれば口から毒を吐くのと同じで、
やがてその毒は、自らの身体を害し、失意の中で果てる事に成ります。

花を愛し、自らを愛し、他を愛する時、あなたの人生は、変わります。
あなたの人生を変えるのは、あなた自身である事を完全に知る時、必ず変えられます。

大切な人生、変えてみませんか?変えるのは、あなた自身の選択が必要不可欠なのです。
怠惰の海からは、何も生まれません、みんなで學びませんか?
仲間から仲間に學びの輪を広げ、自身を俯瞰する時、あなたを縛る鎖は外れ魂の自由を知る事に成るのです。

by jiyou-925 | 2018-04-16 12:00 | ├ 愛について

霊的真理の自習室:愛に関する密教ブログ 5


愛にはいろんな形があります。
親子愛、夫婦愛、人類愛など。
様々な愛の形について書かれた記事をシリーズで特集して参ります。
どうぞご覧ください。

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怯えて生きる

人間は、怯えて生きるより、希望を持ち、清々しい気分で生きる為に生まれて来たのです。

しかし、毎日のように繰り返し起きる事件事故。
何故、起こるのか?
貴女は、考えた事がお有りですか?

密教の理想は、安心立命。
安心する事は、命を立たせるのである。
現代は、不安と怒りに満ちていると、私は考えます。

では、何故、不安や怒りに駆り立てられるのか?
それは、學びを知らない事から起きているのです。
無知は、暴力と混濁を招き、暴力と混濁は破滅を招きます。
言わば、私達が招いているのと同じなのです。

片方で、安心を求め、片方で快楽に耽る。
これでは、なんの解決にも成りません。

今、私達に必要なのは、正しい學びの道であり、自身がこの身このまま仏に成る事なのです。
無償の愛に目覚め、學ぶ時、必ず道は開けます。

その逆に、怠惰に生きる時、其処に残るものは虚無しかありません。
學ぶ事を選択し、生きる楽しさを知る時、貴女の人生は輝きます。

始まりの鐘を鳴らすのは、貴女なのです。

日本刀に宿る花嫁の怪

私が寺にいた頃、不思議な依頼が来た。

骨董商のAさんが、日本刀を供養して欲しい…と言うので、詳しく話しを聴くと、最近仕入れた二振りの日本刀が来てから、毎夜同じ夢を見てうなされると言うのです。

内容を聴くと、花嫁と少年の夢で、二人共血だらけの姿で現れると言うのです。
寺に刀を持って来るのも…と思い、私はAさんの家に行く事にして支度をした。

Aさんの家で、二振りの刀を持った時…

全てが判った。

一振りは嫁入り刀、一振りは元服刀
元服刀とは、十五歳の成人を祝う刀である。

その日、息子の元服の宴が開かれ酒を飲んでいると、祝いの席に敵が討ち入り、全員を殺し、最後に息子を元服刀で殺害したのです。
息子は死を理解出来ず…未だ刀と共に、現界にいるのです。

私は、死を理解させて、父母の待つ霊界へと帰しました。
晴れて二人は婚礼の日を迎え、喜びは万感迫るものでした。

二人は身分違いの間でも愛し合い、やっとの思いで迎えた婚礼の夜に、悲劇が待っておりました。

盗賊が押し入り、一家皆殺し…
最後に残った花嫁を恥ずかしめたのである。

花嫁は、懐にある嫁入り刀で胸を突き絶命したが、愛する夫への申し訳なさに成仏出来ずにいたのだった。
私は、霊界からの使者と行く様に促したが、夫に合わす顔が無い…と聞き入れず。
地蔵尊に願い、夫を召喚した。

夫も妻を探して、探して…最後は、疲れて霊界の片隅にいたのです。
私は、孔雀明王法にて二人を浄化して、新たに二人の縁結びを修して、来世は仲睦まじい夫婦になる事を御仏に願い、二人は手を携えて霊界へと帰って行きました。

供養の様子を見ていた人達の目にも、涙が流れておりました。

メッセージ

私達は、様々な形でメッセージを受け取って居ます。

しかし、受け取り方の間違いに氣づかず、誤った解釈をして行き詰まりを経験して参ります。

中でも、その最たる例が男女間の問題である。
男女が互いに求め合い結ばれる事を結婚に置き換えれて考えれば、解り易いと考えます。

結婚は、互いに學び合いなのである。 
金、金に執着する夫婦は、金により様々な學びを繰り返し、金に苦しみ、其処から貧困をも學ぶ事になります。

夫婦は、互いに學び合うパートナーである。
良きにつけ、悪しきにつけ、お互いに學び合うのである。
其れを理解出来ずに、互いに主張を繰り返す時、其処にあるのは不和という現実が発生します。

広義で言えば、人間関係そのものが學びと言えます。
また、狭義で言えば、夫婦関係は最良のパートナーを見いだしたと言えます。
共に學び、共に成長する時、本当の目的は達成されたとも言えるのではないでしょうか。

素晴らしいパートナーを獲得するのも、人生の目的なのです。
物質的価値観からは、本当のパートナーを見つける事も難しいのです。
愛するがゆえに許し合い、和合し學び合う時、あなたは最良のパートナーに巡り会えると考えます。

歯車

人間は、人生と言う學びの中で様々に経験と変化を体感します。

自分一人の経験の中では、歯車と云う現象を味わう事はありませんが、
例えば、仕事、恋愛、グループ活動の中で、上手く行かなかった経験をした方は、少なく無いと思います。

上手く行かなかった場合、自分が去るか、活動そのものが崩壊するか?
状況に応じて様々であります。
では、何故、上手く行かなかったのかを考え俯瞰する人は少ない。

何故か?
自分の気持ちを優先するからでは無いでしょうか。

口で言うのは簡単ですが、俯瞰する事が出来れば同じ失態は繰り返しません。
哲学の中に、人間は考える葦である。
と言う一節がありますが、様々な事象を分析し、次に備えることが出来るのは入門だけである。

正に葦が日進月歩、伸びる様に、人間は自身を俯瞰出来る唯一の生きものです。
自身を見つめ、自身を反省し、明日に繋げて行く努力こそが、私達に与えられた使命であり學びなのです。
あの人が、彼奴がと他を責める前に、全ての事象を振り返り、分析し反省して明日に臨む時、あなたの明日は変わります。

人間関係は、歯車の様に複雑に絡み合い、また助け合う大切さも教えています。
明日への努力をせず、ただながら的に生きる時、あなたの周りには同じ波長の者しか集まりません。
挫折をバネにし、明日に向けて學ぶ時、あなたは歯車では無く、独立した個人としての人生に氣づきます。

私達は、それぞれにお役目を持った人生の代表選手なのです。
絶望、悲観、愚痴、怠惰は、人間から學ぶ意欲を奪い、衰退させる毒素と同じです。
あなたの人生をより良くする為に學んで下さい。
學びの門は、何時でも、誰にでも開かれて居るのだから。

心の居所

喜怒哀楽、人間の心は、状況に応じて様々に変化しますが、其れは全て學びを進める為には、必要不可欠な変化なのです。

平坦な中で學べるほど人間は、未だ進化して居ないのです。
その証拠に様々な犯罪は、後を絶ちません。
哀しい限りであります。

私は、此処で犯罪者の論理を語るつもりは、ありません。
しかし、平坦な道は、人を苦しめ無いが、學びも、もたらしません。
坂あり、谷あり、崖あり、の中で自身が正しい志しを持つ時、道は開かれます。

その逆に、不平不満を抱いて生きる時、波長の法則に依り、同じ様に、不平不満を持つ者が集い、
欺瞞と破壊を糧と成す集団と化します。
不平不満の旗印を掲げ、戦に生きる時、全ての門戸は、閉ざされ暗黒の闇に身を晒し全てを失います。
悪口、罵詈雑言、誹謗中傷、イジメ、全ては、自身を滅ぼす毒と変わります。

神仏を信じざるも良し、他人を信じざるも良し、誰も信じざるも良し。
しかし、自身の心に嘘、偽りの塊を凝固してしまった時、人は、人では、無くなります。
人が真に求める境涯は、安心であり、愛なのだと私は、考えます。

迎合する行為は、愛とは、言いがたいと考えます。
様々に意見交換を繰り返し、正論に耳を傾ける姿勢を持つ事に依り自身の成長が促されると考えます。
正論を退け、自身の持論を展開するも良し、しかし、全ては、自身に帰ることを、踏まえて置かなくては、なら無い。

純真無垢な心の時代は、例外無く誰もが経験して来たのだから。

心の調味料

人生の中で食べる行為をしない人は、皆無に等しいですが
本当の意味で美味を味わう事は、少ない《美食ではない》と考えます。

女性の立場に立って考えてみてください。
料理を作るのは当たり前、料理が出来て当然の様に思われているのではないでしょうか?

私は僧侶。料理も当たり前にこなし、全ての家事もこなせます。
私は貧しい家に生まれ育ちましたが、心に残る料理を持って居ります。

小麦粉を水で溶き、団子のようにして作った粗末な料理ですが、母が作ってくれた《すいとん》未だに忘れられません。

そんな思い出は、皆さんお持ちではないでしょうか。
今から考えれば、何故、粗末な料理が美味しかったのか?
貧困でも空腹でもありません。其処には、心の調味料が加えられていたのです。

粗末な材料で子供達に少しでも美味しいものを食べさせたいと思う母の調味料が入っていたのです。
主婦も料理人も変わりありません。
食べる人に、美味しいものを食べて貰いたいと心を込めて作る時其処には、愛があります。
例え一流の料理人が作った料理でも、ただ「ながら的」に作った料理には、何の深みも感じません。
其処にあるのは、虚構の美食。
心を打つ感動は無いでしょう。

また、食する側にも問題があります。美食、飽食を繰り返した結果、心で食する事を出来無くなっているのである。
その結果、感謝も感動も忘却し、ギスギスした人生を送る事に成って居ると考えます。

今、必要なのは、心の調味料ではないでしょうか。
料理に限らず、心の調味料を理解した時、あなたの人生は一変します。

素直に思い出してください。寒さの中で食べたあの味噌汁の味、喉の渇きを癒す為に飲んだ石清水、全て、愛があります。
石清水には自然の愛がある様に、其れらに愛を見だすのは自分であると氣づくはずです。

殺伐とした心には修羅が宿り、卑しい心には餓鬼が宿り愛無き心には鬼畜が宿ります。
全ては、与える者、受ける者の心次第で変わります。
純真な心の時代を思い出して、愛を真から理解し得た時、あなたの人生は変えられます。

愛の存在

昨今愛の無い事象を視るに付け、此の国の未来を案じる次第である。
正に、愛情の裏返し《無関心》の横行は、眼に余る物がある。

自分さえ良ければ良いは、最後には破滅を意味する事も知らず。
我が世の春を謳歌するが如く振る舞い、他を顧みない所業は、己がカルマを呼び寄せ、増大させているのである。


その反対に、愛を捧げ続ける人々は約束されます。
魂の浄化向上こそ、真の御利益なのである。
御仏の心は、正に大慈悲。
あなたが真の信仰心に目覚める時、御手を差し伸べ、あなたを御救い下さいます。
《信じるは、我にあり》

御仏に帰依する事こそ、誠の信仰心に目覚める事なのです。
御仏の前では、貴賎はありません。
あるのは如何に生きたか、だけが全てであるのです。

人間は母の胎内に宿り、十月十日、母の愛に満たされ、生まれて来ます。
その時は、無垢の状態である。

厚顔無恥な者など存在しません。
皆、愛の旅人だったのです。

思い出して下さい。
優しい母の面影を。

尊敬、敬愛

私の若年時代は、しあわせである。

唐手の師匠、剣術の師匠、古武術の師匠に教えを頂き、
父母亡きあとには、法華経の師僧、密教の師僧に教えを賜わり、現在があります。

そして、敬愛する文学者の諸先生方に教えを賜わり、感性の大切さを學ばさせて頂きました。
思えば、各、諸先生方には、尊敬と敬愛の念を禁じ得ません。

拙僧も早、上記の諸先生方の御歳に近づき、回想するも、
人間にとって、尊敬、敬愛の念が如何に大切であるかを再認識して居ります。
文武両道、何方が欠けても、今の自分は、無かったとしみじみと考える今日この頃である。

人間には、波長の法則が付き纏い何人なりと此の法則から逃れる事は、出来ません。
心に尊敬と敬愛の念を持つ者には、師の導きがあり、心に卑しさを持つ者には、餓鬼がまとわりつく、
これは、変えがたい法則のなせる業である。

しあわせを望まぬ者は、無いが、真にしあわせを望むのであれば、先ず、尊敬と敬愛の念を學び持つ事である。
しあわせを実現する事は、容易である。
自身を認める時、しあわせは、駈歩であなたのもとにやって来ます。

しあわせは、追うものでは無く、招き入れるものである。
招き入れ方は、簡単明瞭です。
敬い尊ぶ心を養えば良いのです。

報恩謝徳

恩に報いることに依り、様々な謝徳を得ると云う事は、古来依り受け継がれて来た美徳であります。

例えば、自分は、御返しが頂きたくてやった事では無いのに、
考えもしなかった出来事で幸せな生活を得る事が出来た。
これは、正に報恩謝徳である。

私達は、ともすれば、見返りを望んでしまいますが、我が子に対して、見返りを求めますか?
そう見返りを求める事は、無いでしょう。
正に無償の愛があるからです。

見返りを求めて行う行為は、傲慢であり、物質的価値観と言わざるを得を得ません。
結果を求めず、結果を追わず、常に感謝し生きる人は、幸いである。
その逆に、こうして、ああして、やったのにと考える時、其処には安心どころか、不幸の種が芽生えて居るのである。

一度、不幸の種が芽生えて仕舞えば、尋常一様な事では、刈り取ることは、出来ないのが現実なのです。
この世《現界》に生を成し學びに意欲を燃やして居た時の自分を思い出すことは、容易です。
自分が詰まらない小我を棄て、本来の自分に戻り、素直な心で、自身を認める時、
報恩謝徳の意味を理解出来るのである。

無機質と傲慢

昨今、無機質な人が、増えて居るのは何故か?
犯罪者を観て頂けば解るように、正に無機質そのものが現れています。

その一例、弟を殺し、遺体をバラバラに切断する。

あなたに出来ますか?
私には、出来ません!

それは、何故か?
まだ、理性が働いているからです。
無機質なものには、それが無いのです。
あるのは、そこにある現実だけで、感性も理性も無い。
傲慢さしか、無いのである。

機械と同じで、其処にある善悪も理性も情愛も無く、ただ処理する機械なのです。
例えば、良い人が機械を使っているから、機械がその人を機械の中に巻き込まないですか?
逆に、悪い人が使っているから巻き込みますか?

機械は、全て同じである。
無機質に作業をするだけである。
無機質な人間は、自分に都合の悪い者を排除したと云う感情しか無いのです。

イジメも同じである。

自分に都合の悪い者を、排除して居る感覚なのです。
その根底にあるのは、傲慢さである。

全て自分の都合で考え、行動し、意に反する者を排除しようとする利己的感情こそ、傲慢であり無機質なのです。
では、何故そんな感情が芽生えるか?

まだ、人間に成って浅い魂だからである。《魂年齢の低さ》

では、どうしたら良いか?
學びである。
學ぶ事は、楽ではありません。
楽な學びなど存在しません。
《楽な學びがあるとするならば、それは、學びではなく、遊びであると知るべきである》

楽あれば苦あり、苦あれば楽あり。

私が主催する密教塾は、學びは自由である。
しかし、學ぶ者と、そうで無い者の差は歴然と出て来ます。

學びとは、他の人に強要されるものではありません。
自らが、心に落とし込み、俯瞰を繰り返し、成長するのである。

by jiyou-925 | 2018-04-15 12:00 | ├ 愛について

霊的真理の自習室:愛に関する密教ブログ 4

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愛にはいろんな形があります。
親子愛、夫婦愛、人類愛など。
様々な愛の形について書かれた記事をシリーズで特集して参ります。
どうぞご覧ください。

>>愛に関する密教ブログ1
>>愛に関する密教ブログ2
>>愛に関する密教ブログ3


宝の言葉

宝の言葉は、人を活かし、罵詈雑言は、人を殺める。

ありがとう、おかげさま、愛しています、様々に表現される日本の美しい言葉には、魂が宿ります。
また、魂が宿る言葉には、癒しが生まれます。

草木に向かい、今日も元気でありがとう、動物に向かい、可愛いさをありがとう、家族に向かいありがとう、
御仏に向かいありがとうございます。
魂を宿した言葉を発する事は、自身の魂を成長させる大切な行為なのです。

その逆に、罵詈雑言は、人を殺める悪言である。
例えば大勢の人の前で罵詈雑言を発すれば、信用を失い、
誰も見て居ないからと勝手に思い込み、好き勝手に罵詈雑言を垂れ流せば、濁流と成って我が身に降り掛かり、破滅の坂を転げ堕ちます。

全ての言葉には、魂が宿り言霊に成ります。
その時に、己れ一人ならまだ、反省しやり直す事も容易いが、家族や様々な人間関係が存在する場合、
償いの代償は、計り知れない大きさに成り、我が身に降り掛かります。

たかが言葉されど言葉、魂の言葉を學び理解する事は、あなたのしあわせに繋がる大きな橋なのです。

ある夫婦の物語

夫婦は共に再婚。
極平凡な二人の過去世には、悲しい接点があったのです。

奥さんは真面目でとても明るく優しい方で、暗い過去など微塵も見せない才女です。
前のご主人と別れ、母一人子一人で、事務員として夜遅くまで働き、お子さんを育てておられる優しいお母さんです。
様々な迫害にも耐えて寄り添う親子に、愚僧はエールを送りました。

今のご主人は真面目で静かな方ですが、過去には壮絶極まり無い悲しい人生を歩まれて来たお方です。
その二人がひょんな事から知り合い、恋に発展するのに時間は必要ありません。

実は、前世で二人は、愛し合う中でした…しかし結ばれる事はなく、別れさせられたのです。
そして女性は他家に嫁がされ、挙句には、生まれた子供を取り上げられて失意の中で亡くなったのです。

そして、子供を取返す為に今世に帰って来たのです。
今のご主人と知り合い、結婚の約束を…
御本尊赤不動明王尊の御前で、誓いを立てた後にお計らいの力が動いたのです。

奥さんの子供に面会するも、お母さんの結婚を承諾。
ご両親に面会するも承諾。
家を購入するも破格な値段、破格な待遇。
正に、絵に書いた様な展開である。

前世のカルマも今世で解消して、来世は共にと誓い合う二人の後ろには、赤不動明王尊が見護っていて下さっている事を、愚僧は二人には明かしていない。
明かさず共、二人の愛と信仰心は本物である。

別離

別れには、様々な形がある。

生き別れ、死に別れ、別れの経験は、どちらも辛く、苦しいものである。
その中でも死に別れの経験は、筆舌に尽くしがたいものがある。

私も幾度と無く経験して来たが、頭では、解って居るが涙がでるものです。
あの時、私に信仰《不動信仰》が無かったら私は、現界には居なかっただろう。

今は、霊的真理と言う学問が日本に定着し分かりやすく學ぶ事が出来ますが、
其れとて自身が求め學ば無ければ、得られるものではありません。
とかく人間は、悲劇の主人公になりやすく、一旦、自身を悲劇主人公にしてしまうと自身を取り戻すことが難しく、
最悪の場合、自爆のボタンを押してしまいます。

絶対に押しては、いけないのが自爆のボタンです。
泣いても良い、恨んでも良い、憎んでも良い、全ての感情を剥き出して、疲れた時は、静かに自身を視つめ自身を愛して下さい。
そして、目覚めた時、自愛について俯瞰して観て下さい。
自愛は、慈愛に繋がり、優しく生きる事に繋がります。

あなたは、かけがいの無い命なのです、この世《現界》に不必要な命など存在しません。
今のあなたが思う様に成らない状況にあったとしても、其れは、魂の負荷であり、必ず道は開けます。

そして、足るを知る時、あなたは幸せを感じ、幸せを知る事に繋がります。

全ての事象には、繋がりがあります。
繋がりを完全に理解し我が身に落とし込んだ時、幸せとは何かを知る事に繋がります。

いたわる心

若く勇猛だった父、若く美しかった母、幼く弱かった自分、誰にでもあった、あの頃。

光陰矢の如し、それぞれに歳を重ね、老いた父母、老いと病から逃れられる者は、居ない。

いたわりは、他の為にあらず自身をいたわる事に繋がります。
歳老いた父母、強かった父母、病を得た父母。
親孝行とは、親の事を考えて自分がどう行うが問われる時が来たと言う事である。
そして、何時かは、自分にも老は訪れるのである。

永遠の若さも、永遠の命も存在し無い。
優しさが希薄に成って来た、昨今、自分だけが良ければ、私には関係無いと考え生きる時、必ず帰って来る代償があります。
その代償は、言葉の裏返し。

例えば、愛の裏返しは、無関心の様に自分が行って来た事の裏返しを味わう事に成るのです。
自身を振り返って、改め生きる時、全ての雲は、晴れ、新たな道が開かれます。

改める事に、遅い、早いは無い、氣づきは、あなた自身が得る真実です。

自愛

頑張ら無くて良いよ、自分の速度で歩めば良い、他と競う必要など無い、のです。

自分が崩壊するまで頑張ることなど無いのです。
自分を愛してあげて下さい。

私達は、機械でも奴隷でもありません。人格を持った一人の人間です。
愛する事は、甘えでは無い。
自身が崩壊するほどの頑張りは、頑張りでは無く自身の放棄である。

自分らしく生きる道は、何本でもあります。
自身を崩壊させるほどの環境であるならば、自身がその環境を捨てれば良いのです。

あなたは、あなたしか居ないのです。
現在、自殺する人が急増しています。状況、環境、場所は、異なっても命の尊さには、何の変わりもありません。

あなたは一人では無い、あなたが手を伸ばせば、優しい仲間が待って居るのだから。

闇の兆候

闇は、自分で作り上げて居る場合が多々あります。

満足、不満足、欲しい、得られない。
愛しても愛してくれない、やったのにやってくれない、わかってくれない。
全て同じ意識から発し、自らを苦しめて居るのである。

また、価値観の麻痺も以上の意識低下を招く要因である。
例えば、1カ月の生活費が30万円で満足して居た人が、稼げる様に成り、やがて百万円を軽く考えて行く過程と同じである。

ある意味《溺れた者》哀れである。
永遠な物が無い様に、永遠な繁栄も無いのである。

常に初心を忘れず《貧しい頃》物事に対する時、あなたは最良の選択が出来るはずである。

選択を自らが誤った時は、素直に誤りを認め、悲観せず新たな道を模索する事である。

また、模索できる理性と叡智を身につける為に、現在を學ぶ時、其処にあるのが御仏の慈悲である。


病い

肉体的病い、精神的病い。人間と生まれ、病い《病気》を経験した事が無い人は、居ないでしよう。

子供の頃、風邪をひいて、熱、咳、鼻水を流し床に伏した時、優しい母の手が差し伸べられ、気づいたら、元気だったとゆう経験は皆さん、お持ちだと思います。

其処から學んだ事は、母の愛であり、優しさ、痛み、苦しさ、全て愛の學びなのです。
看病する者、看病される者、それぞれの違いがあっても、愛を學ぶ場を与えられたのである。

自身の痛みを知る事に依り、他人の痛みを知る事にも繋がります。
痛みを知らず、痛みを理解せず、ただ生きる者に、愛を理解する事は出来無い。

経験は、學び、実経験は、學びを深くします。
愛別離苦、愛する者との別れは、愛を知った者には、逃れられ無い事象であるが、愛を理解する事に依り、學びと変わるのである。

失う事は、辛い、失う事は、苦しい、
しかし、辛い苦しいの境涯を持ち続ける時、辛い苦しいは、執着に変わり、自身を苦しめ続けます。

愛を悟り、本当の愛を実践する時、あなたは一人では、無い事を知るのです。

或る少女の生涯

私のもとに、一通の手紙が届きました。
その手紙には、末期の病に苦しむ娘さんの事が書かれておりました。

私は、手紙を読んだ後にご両親に電話をし、翌朝伺う事を告げました。

娘さんは18歳。
名古屋の隔離病棟に居られます。
身体は、痩せ細り、飲むことも食べることも出来ない容態です。

しかし、唯一、意識だけはハッキリとしているのです。
逆にそれが、当人を苦しめる事にも成っておりました。

娘さんは、幼い頃は明るく快活な性格で皆に好かれていたそうで、友達も多く、中学卒業まで真面目な女の子でした。
それが、高校生に成り、彼が出来た頃から変わり始め、僅かな期間で変貌して行ったのです。

最後には、麻薬、売春に染まり。
その結末は、麻薬中毒になってしまいました。
最後には、第四の性病に感染し入院。
入院した時には、現代医学では手の施しようが無い病状に成って居たのです。

寝返りをすれば身体中に激痛が走り、排泄をすれば激痛が走る状態でした。
正に、生き地獄であります。
私は、薬師如来の慈悲にお願いを致しました。

すると、医師に呼ばれて行って居たご両親が、帰って来て私に言いました。
『 有り難う御座います』と、深々と頭を下げられました。
『 医師がモルヒネを使うと、言ってくれました』と、涙を流して居られました。

モルヒネは、痛みを緩和するが、意識は、朦朧とし…。

お父さんが、ポッリと言われました。
『 痛みの中で苦しむ娘を見ることは、我が身が切り刻まれる依り苦しい』

それから数日後、娘さんは亡くなりました。
お父さんは、娘さんの遺体に向かい一言。

『 これで楽に成ったね』
涙が溢れておりました。

母の愛は海よりも深く、父の愛は山よりも高い。

葬儀は私が導師を勤めさせて頂き、引導を渡しました。

葬儀の間、娘さんはご両親に詫びて居ります《霊体》
私は、これ以上娑婆に置くのは良く無いと判断し、〇〇家の御先祖を召喚し、遺体を荼毘に伏すと同時に帰幽させました。

この出来事は、正に物質的価値観が生んだ悲劇であり、憂うものがあります。
この世《現界》だけを信じ、《霊界》を軽んじた結果、物質的価値観に翻弄され、真の生き方を見失う結果に成るのです。

私の話を信じるかどうかは、皆様の判断にお任せ致します。
キチガイ坊主と嘲笑いたい方はどうぞ、お笑い下さい。

但し、笑い終わった後には、一度真剣に、物質的価値観とは何か? をお考え下さい。

御役目を授かる

御役目は、授かりものであり、勝手に放棄も出来ません。

私は、若年期に様々な経験をして参りましたが、決して楽しいものでは、ありませんでした。
家族との別れ《死別》青年期には最愛の人との別れ《死別》いつでも、死と向かい合わせの様に感じていたのです。

在家から出家し、イジメ、誹謗中傷の中で、私が考えたのは、生きて居ても仕方が無い、いっそ死を選ぼうかと考えました。
その時、私を支えたのが、幼い頃から続けて来た、武術でした。
思い出す言葉が、文武両道です。
こんな事に負けて成るものかと、必死に堪え耐えました。

現在は、六十を越えた爺ですが、今にして思えば、あの時代があったればこそ、今の自分があるのだと理解出来ます。

人間は、苦しみの中にこそ、真理を求め、探し、達観するのである。
しかし、誰しも苦しみを求めて行く者は、いません。
私も苦しみが好きな訳では、ありません。
苦しみが来るから対処したに過ぎ無いのです。

理解や達観は、乗り越えたからこそ、得られたと言えます。
今、苦しみの中に居るあなた、あなたは一人ではありません。
苦しくて、どうしようも無い時は頼ることも必要です。
私で良ければ、いつでも応じます。

絶望は、愚か者の結論であると言う言葉もあります。
一抹の希望が無い事など、あり得ません。
もしかしたら、あなたの苦悩は、御役目を与えられる為のテストかも知れ無いのです。

強く生きる事こと。
それが、私達に与えられた本当の御役目なのかも知れません。

願意

昔から続くのが、願掛けである。
人間の力ではどうしょうも無い事を、神仏に頼り、願意を託す人が後を絶ちません。
しかし、一番肝心なのが御礼詣りであるのです。

此処で一例を挙げれば、大きな願いが叶い、それ以上に欲を増大させた時、今までの願いは水泡に帰し、全ては前以下の状態に成ることがあります。
人間の欲は果てし無く続き、その先に待つ物は破滅である。

足る事を知る。
人間は、足る事を忘れた時、我欲に走り滅びの笛を吹く。
一旦、吹いた笛の音は止む事は無い。

同じ欲でも、知識欲は人間を向上させます。
探究心を持ち、學び続ける時、人は開花します。
霊界の摂理を學び続ける時、人は真理を知り、争うことの愚かさを知るのです。

飽食は餓鬼道であり、人の道では無い。
足る事を知り、先祖を敬い、御仏を尊ぶ時、人は真理に導かれ、本当の幸せを感じ、知る事になる。
無償の愛こそ人を救い、人を育て、霊格は向上し、自身も救われる事に繋がるのである。

by jiyou-925 | 2018-04-14 12:00 | ├ 愛について

霊的真理の自習室:愛に関する密教ブログ 3


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愛にはいろんな形があります。
親子愛、夫婦愛、人類愛など。
様々な愛の形について書かれた記事をシリーズで特集して参ります。
どうぞご覧ください。

>>愛に関する密教ブログ1
>>愛に関する密教ブログ2

同調現象

ごく稀に見受けられるのが同調現象である。

これを感受するのは、1万人に1人位の比率である。

事例①母と娘が、同じ所を同じ様な痛みや怪我に襲われたり、別の場所に居るのに、同じ時間に同じものを食べて居たりと、様々に同調する事がある。

事例②これは深刻である。
面識の無い死人の苦しみに身体が反応し同じ痛み、苦しみを共有する現象である。
《上記の場合は然るべき機関に相談が必要である、要注意》

事例③自殺霊に同調して引き込まれ、自殺をしてしまいそうに成る。
此れも要注意《報告例もある》

事例④様々な場所で感受し、気分が一変する。
此れも要注意である。


上記の様な例は1万人に1人位だが、自身に当てはまる場合は注意が必要です。

不思議ちゃんに成らず、科学的知識を養い、理性的に考え學ぶ時、大部分は回避できるので、あまり神経質に成る必要は無い。

美しいものを愛し《花や美術》理性的に思考する事は、自身のしあわせにも繋がります。

その逆に、誹謗中傷やイジメを好むものは、様々な現象を味わう事に成るので覚悟が必要である。


正心に生き、美しいものを愛する人には、今は苦しくとも必ず光明が差して来ます。

母の念

子供を想う母親の念は、ある一定段階を超えた時、凄まじい念を発することがある。

古い文献には、母親の念について様々な事例が書かれて居ります。
一例を挙げれば、子供の頃に囲炉裏で火傷を負い、其れでも一流画家に成った先生とお母さんの話がある《以下仮名》



A先生は幼い頃、囲炉裏に手を入れてしまった為に指が動かない。

しかし、両手で筆を挟み持ち、素晴らしい絵が書かれる画家である。

事故が起きたのは、ハイハイし始めた幼い頃。
お母さんがチョット眼を離した瞬間に、囲炉裏の中に手を入れて居た。

母は急いで病院に走った。
しかし火傷は深く、医師が言うには『大きくなっても指は動かない』

お母さんは誓った。
この子の手に自分が成ろう。と!

やがて小学生に成ったA氏は、お母さんが作った手のひらベルトに鉛筆を挟み勉強し始めたのです。
成績はぐんぐん伸びて、首席を取るところまで成長した。

そして、最もうまかったのが絵である。

美術の先生が、この子は将来、美大に進学する事を勧めます。とお母さんに言いました。

お母さんはその日から、仕事を掛け持ちで働き、預金する事にしたのです《お父さんは戦死》

しかし、まだその時代には女性にまともな仕事などありません。
賃金も最低である。

やがて息子は大学受験、見事に美大に進学し才能を開花させます。
そして卒業前の課題で問題が発生した。
裸婦を描かなくてはいけない状況に成ったのです。

高いモデル料を支払うことが出来ない。
苦労を掛けた母に、これ以上お金の苦労を掛けられない。

A氏は考え、母の暮らす田舎に帰郷する。

母は、なんで卒業前の大事な時に田舎に帰って来たのか。と息子を問いただしました。

お母さん、僕は卒業しなくても良いよ。
これ以上、お母さんに苦労を掛けられない。

と云うと、母は『何を言って居るんだいお母さんだって女だよ、お母さんを書きなさい』

しかし、モデルは何時間も同じ姿勢を保たねばならない。
ましてや真冬、ストーブも無く囲炉裏だけの家。
隙間風が入り、ただでさえ寒いのに裸でモデルなど出来る訳が無い。

息子は、母にせめて火鉢の温もりを。と火鉢を母の側に置いた。
デッサンに入り数時間、母は微動だにしなかった。
そして完成。
その絵を提出しました。

見事に特選を獲得し、首席で卒業。
母に卒業証書を見せたくて、夜汽車で家路につくと、母は病の床に伏せって居ました。

母を気遣って医師を呼ぼうとすると、母が止めた《医者は嫌だ》

その時、手伝いに来て居たおばさんが一言。
『お母さんの布団を上げてご覧』

息子は母の布団をめくって観て驚いた。
太ももが火傷で大変な状態である。

《母はモデルになって居た時に、寒さと疲労で何度も意識を失いかけた時、

火鉢の中にある火箸で自分の太ももを焼いて、意識を保つて居たのです》

其れからしばらくして、母は死にました。

しかし、死ぬ前に息子に言いました。

お母さんは、あんたの立派な姿を見られた事が最高のしあわせ。

母の愛は精神力を極限まで高め、正に念の領域である。

母の愛


御本尊様を頼り、毎日、様々なご相談が御座います。
その中でも特に胸を打たれるのが母の愛である。


昨今は、そんな母の愛を裏切る様な振る舞いが多く見受けられます。

真面目に生きれば必ずや大成したで在ろう人生。
家族と寄り添い、家族を護れば護られた人生。
大学に行かせて頂いたのに遊び呆け転落する人生。
全て自己責任である。

しかし母の愛は、いつまでも我が子を愛し続けて居るのです。

涙しながら、我が子を迎えに行く母の後ろ姿を見て、笑える人はいないで在ろう。

今、振り返り母の愛を想う時、人は優しさを思い出すで在ろう。
母のい無い人は存在しない。
思い出の中に居ないだけである。

悪事をはたらく時、母の愛を思い出し自らを見れば、自身の醜さに驚愕するで在ろう。

しかし、我が子を思わない母はいない。

以下は戦時中、戦火の中にあっても息子を思い続けた母の話しである。

岸壁の母
第二次世界大戦後、ソ連による抑留から解放され、引揚船で帰ってくる息子の帰りを待つ母親をマスコミ等が取り上げた呼称。
その一人である端野いせをモデルとして流行歌の楽曲、映画作品のタイトルともなった。

流行歌、映画「岸壁の母」のモデルとなったのは、端野いせ(1899年9月15日 - 1981年7月1日)。

明治32年(1899年)9月15日、石川県羽咋郡富来町(現在の志賀町)に生まれ、函館に青函連絡船乗組みの夫端野清松、娘とともに居住していたが、昭和5年(1930年)頃夫と娘を相次いで亡くし、家主で函館の資産家であった橋本家から新二を養子にもらい昭和6年(1931年)に上京する。

新二は立教大学を中退し、高等商船学校を目指すが、軍人を志し昭和19年(1944年)満洲国に渡り関東軍石頭予備士官学校に入学、同年ソ連軍の攻撃を受けて中国牡丹江にて行方不明となる。

終戦後、いせは東京都大森に居住しながら新二の生存と復員を信じて昭和25年(1950年)1月の引揚船初入港から以後6年間、ソ連ナホトカ港からの引揚船が入港する度に舞鶴の岸壁に立つ。

昭和29年(1954年)9月には厚生省の死亡理由認定書が発行され、昭和31年には東京都知事が昭和20年(1945年)8月15日牡丹江にて戦死との戦死告知書(舞鶴引揚記念館に保存)を発行。

しかしながら、帰還を待たれていた子・新二(1926年 - )は戦後も生存していたとされる。
それが明らかになったのは、母の没後、平成12年(2000年)8月のことであった。

ソ連軍の捕虜となりシベリア抑留、後に満州に移され中国共産党八路軍に従軍。その後はレントゲン技師助手として上海に居住。
妻子をもうけていた。新二は母が舞鶴で待っていることを知っていたが、帰ることも連絡することもなかった。

理由は様々に推測され語られているがはっきりしない。
新二を発見した慰霊墓参団のメンバーは平成8年(1996年)以降、3度会ったが、新二は「自分は死んだことになっており、今さら帰れない」と帰国を拒んだという。

旧満州(現中国東北部)の関東軍陸軍石頭(せきとう)予備士官学校の第13期生で構成される「石頭五・四会」会長・斉藤寅雄は「あのひどい戦いで生きているはずがない」と証言し、同会の公式見解では「新二君は八月十三日、夜陰に乗じて敵戦車を肉薄攻撃、その際玉砕戦死しました」と述べられている(北國新聞社平成18年(2006年)10月4日)。

端野いせは新人物往来社から「未帰還兵の母」を発表。
昭和51年9月以降は高齢と病のため、通院しながらも和裁を続け生計をたてる。息子の生存を信じながらも昭和56年(1981年)7月1日午前3時55分に享年81で死去。「新二が帰ってきたら、私の手作りのものを一番に食べさせてやりたい」と入院中も話し、一瞬たりとも新二のことを忘れたことがなかったことを、病院を見舞った二葉百合子が証言している。

平成12年(2000年)8月に慰霊墓参団のメンバーが、新二が上海市で生存していたことを確認。
京都新聞が新二の生存を報道。
中国政府発行、端野新二名義の身分証明書を確認。
だが、その人物が本当に新二であるかについてはいまだに疑問がある。
平成15年文藝春秋に「『岸壁の母』49年目の新証言」が掲載。
Wikipediaより引用


遠く離れた島で戦う息子を思い、母は毎日、祈りました。
《あの子の命が救われるのであれば、私は、どうなっても構いません》

そう祈り続けて居たある晩のこと、深夜に母は、立ち上がり叫んだ。
《手を離したらいかん!》

その時、息子さんは敵兵に追われ、崖にぶら下がり身を隠して居たのである。

しかし、手は痺れ、精根尽き掛けた時、お母さんの声が聞こえたのです。
《手を離したらいかん!》

ハッと我に返り、崖を登り、見た時には敵兵は去った後でした。

やがて終戦。
日本に帰国し、親子は涙の再会を果たし、その後、息子さんはお母さんに聞いてみました。

お母さん僕は、戦地でお母さんの声に助けられて帰って来れたのだよ。

お母さんは恥ずかしそうに言いました。

我が子を思わない親など、どこの世界にも居るもんかね。
私はお前が危ないと思ったから叫んだんだよ。

その後、親子は仲良く暮らしました。

愛と平和

人を愛する事は尊い。
しかし、愛と我欲を混同する時、愛は失せ魂の意味も解らず生涯を過ごすことに成ります。

女性は男性のオモチャでは無い。

男性は女性のスポンサーでは無い。
男女同権とは、互いがいたわり合い初めて成立するのです。

自己の主張を優先したいのであれば、男女共に独身を貫いた方がしあわせである。

しかし日本の現状は、今だ女性が涙する事が多いのが現状である。
私の元に寄せられる相談も、女性が泣いて居る事が大半を占めて居る。
嘆かわしい事である。


しかし、そんな場合でもご安心下さい。

カルマの法則《因縁》からは、逃げられ無いのである。
女性を泣かした男性には、必ず報いが参ります。

また女性も同じで、男性を落としめた場合にもカルマの法則は見逃しません。

泣かせば泣かされ、奪えば奪われ、傷つければ傷つけられ、殺せば殺される、これが法則である。
何人たりともこの法則から逃れる事は、出来ないのである。

但しある事を持ってすれば可能と言えますが、此処では書くことは出来ません《模倣、悪用を避ける為》

従って、泣かし傷つける事は、双方、何の得にもならない事を知るべきである。

一例を挙げれば、過去に美しい女性が居ました。
女性は自己の美貌を武器として様々な男性を騙し、ある男性は失意の内に自殺をしました。

その女性は男性の自殺から一年後に事故を起こし、顔の半面を見るも無惨に失い、その後の人生は惨憺たるものでした。
スーパーの店員にも採用されず、狂乱し強制入院させられその後は…。

正に因縁である。

僅かな徳と虚栄心の為に取った行動が、後でとんでも無い結末を迎え様とは知る由も無い。
これを信じ様が信じまいが自由である。

男女問わず、キチガイ坊主の戯言と笑う方はご自由に。

心と自我

自分、私は、自我であり、心では無い。
心とは魂であり、私達は魂を磨く為に現界に来た。

肉体と言う衣を纏い、肉体を持たなければ成し得ない、経験と言う學びを深める為に現界に存在するのである。
心は、魂の声を発して居る。

怠惰、悪心は、肉体である衣の部分が発して居る。
肉体である衣が満足する事は、必ずしも心が満足する事では無いのです。

その逆の場合の方が多い様である。

人は、何故生きる?

個々に俯瞰する時、本当の自分の生き方を知るであろう。
しかし、方法は分かっても、実行に至らないのが現界の様である。

欲は欲を呼び、増してや物欲に至っては、過度に成れば破滅を招き、崩壊に至る事は自明の理である。

分け合い、分かち合う時、人は真理を得る。
先ずは、自身の周りに分け合い、分け与えられた者は、また他に分け合う。

究極は、全ての人が分け合い、分かち合う時、現界から全ての奪い合いは消滅し、真の平和が訪れるのです。
先ずは、あなたの大切な人に分け与えましよう。
そして、盤石の愛を築く時、他はそれを見習い、優しさの輪が広がり、愛は永遠と成るのです。

心の汗

人間は誰しも、辛い事からは逃げたいと思うのは当然である。
快適に過ごし、快適に暮らせれば最高でしょう。
なんの苦労も無く、泣くことなど無い人生は最高でしょう。

つまづき、傷つき、涙を流す事など面倒くさい、カッコ悪い。


もっとエンジョイして、スマートに生きたい。

涙し、鼻水を垂れ流し、生きるなんて最低と云う人間。

好きに生きるが良い。
但し、魂の成長は無いと断言します。

魂の成長が無い人間は争いを好み、殺戮に快感を覚え繰り返すのである。
自分に不都合な者を排除し、自分に媚び諂い、迎合する者を寵愛する時、全ての成長は停止します。

仕事も同じである。

自分に都合の良いものを、誰しも望みたいで在ろう。
しかし、そんな都合の良い事など無いのが現実である。

人生は厳しく辛いからこそ、磨かれるのである。
御仏は、耐えられない試練は与えません。


私は二十歳で両親と死別。

その後仏門に入り、雲水となって行脚の日々を重ね、幾多の死別を経験し現在に至ります。

涙は枯れない感動に涙し、己れを磨く。
闘いを挑む者が居れば、例えウサギで在ろうと全力で倒す。
それが私の信念であります。

今ある事を喜び、精一杯生きる。

ながら的にならず、一日の終わりに感謝する時、ほっと一息する時わかります。

人間関係《関わり》

愛の裏返しは、無関心と云う言葉の通り、関心を持ち関わる事は大変な力が必要です。

が、無関心からは何も生まれ無いのも事実であります。
言い変えれば、自身も無関心に成って行くのであります。

良い事だけに関わりたい。
嫌な事には関わりたく無い。
それはあり得ません。

嫌な事を克服しようとする事が學びであり、魂を磨く事に繋がるのです。

もし全てが自分の思い描く様になれば、人生に學びは必要ありませんが、

同時に達成感をも失うことに成ります。

一般の方々は死を嫌うでしょう。

しかし、死から逃れることは誰にも出来ないのです。

何故、死を嫌い、死を怖れるのか?
死とは何かを理解しようとし無いから、闇雲に怖れ、嫌うのです。

私は、現代風に言えば臨死体験を二度経験して居ります。

また、幽体離脱も数多く体験して居ります。
内容は書きませんが、私の今迄の経験を知る方々は、皆さん納得して居られます。

誰にも関わる事無く生きる事は不可能です。
例えばスーパーで買い物をしても、生産者、販売者に関わって居るのです。

仕事も同じです。
社長、上司、同僚、関わりの無い事象など無いのです。

その逆に、自分が好きな人だけにしか関わら無い。と云う人が居たならば、可哀想な人です。

何故か?
自分から関わりたく無いと考えれば、相手も同じことを考えていると思って下さい。
若い内はまだ良いですが、高齢に成った時、上記の考え方の方は悲惨を味わうでしょう。

しかし、全て自分が蒔いた種、蒔いた種は自分が刈るしか無いのです。

必要以上に濃密に関わる事は無いでしょう。

人間関係を円滑にする事は、協調性、感性、理性、その他、人間にとって必要な學びを得る授業なのです。
心の傷を放念して忘却する時、あなたの中に學びの種が芽生えます。


理性と行動

理性とは、人間が持ち合わせて居る感情であります。

が、理性を失い本能のままに生きる時、人間は人間の尊厳を失い獣人と化し、傷つけ破壊する事に終始します。

先の戦争で核兵器の恐ろしさを知って居るはずの人類が、未だ核を手放そうとし無いのは正に愚行以下の所業である。

北朝鮮とアメリカが武力衝突をすれば、日本も只では済みません。
最早、対岸の火事では無い事を、私達は知るべきと考えます。

皆さんは、日本に核施設がどれだけあるかご存知ですか。


例えば戦争に成り、核施設が標的に成った事を想像してください。
ただ一発のミサイルが核施設に命中したらどうなるか?
未だ終息を見ない原発事故を、私達は知って居るはずです。



平和も家庭も、ただ黙って居ては築けるものではありません。
汗と努力が其処に有るから守れるのです。

あなたの家族を守るのは、あなたしかいないのです。

そうは、言っても何も出来ないとお考えの方々に一言。
祈りは、霊的防御です。

霊的防御こそ、我々皆に平等に存在します。

何も出来ないでは無く、しないだけではないでしょうか。

家族や愛する人達の為に祈る事は、平和を祈る事に繋がります。
正しい祈りは、簡単です。
私達が幼い頃、持っていた心を思い出して下さい。

其処には、無邪気があるはずです。

慈愛

ある一組のご夫婦は、愛し愛され結婚。

その結婚生活は、正に夫婦愛そのものでした。

やがて二人の間に、神仏の加護があり、お子さんが授かりました。


二人は、子供の将来を夢見て語り合い、どうかこの子が丈夫に育ちます様にと願いを込めました。

しかし、運命は過酷でした、一年後、奥さんは、癌を患い他界されました。


ご主人は、嘆き悲しみ、生きる気力を失い掛けた時、

私の相談室に御本人からお話しがありました。

私は誠心誠意、対応させて頂きました。

御本人は、納得され、今は亡き奥さんの忘れ形見であるお子さんと

毎日を力強く生きておられます。

私は、込めて祈ります、この親子に幸多かれと。


以下は、今昔物語の一節であります。

ある村に真面目な青年が居りました。

青年には心に秘めた女性が居りますが、村や近隣で評判の美人で気立ての良い娘であります。

青年は諦められず悶々としながらも仕事に汗を流して居りました。

村祭りの夜、青年は意を決して女性に告白しました。

そして見事に返事を貰いました《あなたの妻にして下さい》

青年は天に昇る様な喜びである。

そして婚礼、青年は男になり、前以上に働き妻を大切にしました。


そして瞬く間に一年が過ぎた頃、妻は流行り病を冒され死んでしまいました。


男は嘆き悲しみ仕事も手に付きません。

毎日、毎夜、考えるのは美しい妻の事ばかり。


ある夜、男は如何しても妻に逢いたい気持ちが抑えられず、

気がつけば妻の墓の前、男は夢中で妻の墓を掘り起こしました。


棺桶の蓋が見えた時、男は我にかえりましたが、

美しい妻に逢いたい気持ちが抑えきれず、棺桶の蓋を開けてしまいました。


そして美しい妻の顔を見た瞬間、ぅわ〜と声を上げ驚きました。


あの美人の妻とは似ても似つかぬ姿に男はその場に尻餅を付き、涙しました。


腐り果てた妻の亡骸を見て男は、この世の無情を感じ、

その足で寺に入り出家し修行の道に入りました。


そして、雲水に成り諸国を行脚し妻の菩提を終生祈り続けたそうであります。


手放す勇気

人生には、様々な困難があります。

しかしそのほとんどは、自身から発している事に氣づく人は少ない。

傷つけ、傷つく前に手放す勇気を持って下さい。

手放すことは、執着から離れることにも繋がり、人生をより深く掘り下げる早道と言えます。


手放すことを知らず、怨み辛みの中に身を任せる時、人は人の感情を失い夜叉、魔物の心に支配され

全てを見誤り地獄の中に生きる事に成ります。


報いは、人間が与えるものでは無く、自身が自身に与えるのである。


他人を騙し《詐欺師》他人を誹謗中傷する者達の末路は、哀れである。

それはいずれその者達が味わう事になる。



何故か?全てを知って居るのは自身だからである。


今、悲しみの中に居る方々は、お泣きなさい。

全ての涙が枯れるまで、そして涙が枯れたら立ち上がり空を見て下さい。



自然は、平等にあなたを包み癒しの力を与えてくれます。

その逆に傷つけ喜ぶ者達には、真の自然を終生味わう事はありません。

手放す勇気を持つ人は、幸いである、執着の海は深く暗い。

例えば男女間の争い事も、片方だけに非がある訳では無いはずである。

様々な原因が無ければ結果も無いのです。


そこで憎しみ合うのは愚かな結果しか生みません。



かつては愛し愛された過去があるはず。

それが最後、憎しみ合うだけであれば、過去も現在も未来も憎しみの想いに捉われ、

安心の日々は遠ざかり、不安の渦中に身を任せる事に繋がり、しあわせは訪れません。

憎む気持ちを手放し理性的に対処する人には、理解の海が視える様に成るのです。



by jiyou-925 | 2018-04-13 12:00 | ├ 愛について

霊的真理の自習室:愛に関する密教ブログ 2


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愛にはいろんな形があります。
親子愛、夫婦愛、人類愛など。
様々な愛の形について書かれた記事をシリーズで特集して参ります。
どうぞご覧ください。

>>愛に関する密教ブログ1


縁切り法

人間関係は、何時の時代も悩みの種は尽きません。
増して男女の関係は、複雑な事情が入り組み、中には事件に発展するケースも少なくありません。

それは、執着心が高じて愛憎に変わるからなのです。

あれ程、愛して居たのに。
あんなに良くしたのに。
あれだけ尽くしたのに。
理由は、様々です。

しかし、根底にあるのは、全てがエゴイズムから発する執着心と傲慢さなのであるのです。
女性から、愛想をつかされたら、綺麗に別れれば良いのです。
それが男だと私は想いますが、なかなか簡単には行かないようです。

私の寺には、様々な事情で相談が絶えませんが、縁切りの相談が多いのも事実で御座います。
昔から縁切り寺がある様に、縁切り法の依頼は絶えません。

それは人の心に、価値観の変化が如実に現れた結果 生じた結果であり、当然と言えます。
しかし乍ら現実には、皆さん苦しんで居られのが現状で御座います。

密教の秘法は、それらの苦悩、苦しみを解放し、しあわせに導く法が用意されて御座います。

絶望や諦めに翻弄される前に、ご相談下さい。
全ては、人事を尽くして天命を待つの境涯を目指し、頑張りましょう。

純真無垢

今日、私は可愛い手紙を頂戴しました。
以下は、御本尊様に宛てられた可愛い手紙の一節でございます。

ほとけさま、はやく、ぱぱといっしょにくらせますように。
ぱぱとおふろにはいって、たくさんあそんで、ぱぱとといっしょにくらせますように。

もう一通は、幼い妹さんが書かれました。

ぱぱとといっしょにくらせますようにほとけさまおねがいします。
ぱぱがだいすきです。

御本尊様は、子供の純真無垢な心に観応されて御眷属を御使者に立たせました。
それは、子供達のパパを思う気持ちを汲み取りになられての事です。

子供達には、大人の様な我欲はありません。
唯、ひたすらにパパ恋しさだけなのです。

私も、子供達の純真無垢な心に打たれました。
私たち大人も、子供の頃にはその純真さがあったのでございます。
しかし、世の垢にまみれて、あの頃の心を忘れて来てしまったのです。

私は、考えます。

改めて、生きるとは何か?を改めて學び直そう。
そう、子供達の手紙に教わりました。

一喜一憂

人間は、生まれてから死ぬその瞬間まで、様々な経験を積んでゆきます。

例え病いの床にあっても、介護される愛に出会います。
例え意識が無かろうと、魂の内に経験を重ねて居るのである。
人の死とは、肉体が滅した時、肉体の學びが終わっただけである。

本当の死とは、人を怨み自ら死する事である。

小さな事に一喜一憂し、これから来るであろう人生を自身が放棄する事は、魂の中退行為である。

生きる事は本来素晴らしい事であり、學びを深める千載一遇の好機と捉えるべきである。
疲弊しても立ち上がる氣力、転んでも饅頭を両手に持って立ち上がると決めた時、人は強く成ります。

私の信念は、寄る辺は御仏、立ち上がるは自分。である。
泣きながらでも立ち上がる時、必ず力は湧いて来ます。


もう立ち上がる力が無い。と言うのは甘えである。

何度も何度も躓き、何度も泣いても、諦めてはいけない。
増してや、自身で命を絶ってはいけない。

それは、自身が傲慢であるから命の私物化につながるのである。

一般的に良い事とは何か?
お金に不自由しない事かもしれないが、私が思う良い事とは笑顔で生きる事だと考えます。

お金が有っても、周りが安心出来なければ、何の為に生きたのかと考えます。

縁を結ぶとは

私の寺では今回、聖天尊《象頭双身歓喜自在天》仮称を、在家聖天法を伝授する講座を開講する事に成りました。
早速、お申し込みが殺到致しております。

私は常々、御仏との在り方は敬愛と説いております。

例えば好きな人が出来た時、相手依り優位に立ちたいと想って交際を始めても、結果は解っています。
相手を互いに尊重しあい、進む時、其処には敬愛が生まれるのです。

どんな神仏であろうが、恐れおののくだけでは距離は縮まりません。

こちら側から飛び込み、近寄る事で、ある種の親近感が生まれるのです。
敬いと根拠の無い恐れとは、次元は当然異なるのであります。

恐れるだけで本質を知らなければ、それは無知と成ります。

無知は、時として傲慢を生む種になるのです。
御仏は、皆さんのお出でを、両手を広げて待って居て下さるのです。

魅力

あなたを惹きつける魅力とは何ですか?

お金ですか、美貌ですか、家柄ですか。
何れも不確かなものと私は考えます。

例えば、お金など使い果たせば終わりであり、美貌、歳を重ねれば失せるもの、家柄、没落すれば何の意味もなさない。

魅力とは、個々の人間力である。

人生の風雨に晒されても立ち上がり、愛別離苦の中に遭っても己れを見失わず生き抜く力こそ人間力であり、

魅力に繋がるのである。
人間は苦に弱いが、苦に立ち向かう勇気も同時に持って居る。
己れを憐れみ屈する時、人間力をも衰退させ、己れを負に誘い込む要因になる。

私はそんなに強く無いと言う人も居るでしょう。

しかし、乗り越え無くてはいけない場合も多々あります。

逃げは、苦の繰り返しに繋がります。
その逆に、苦を受け止め立ち向かう時、人は磨かれ強く成ります。
そして、振り向けば泰然自若たる自分を観る事が出来ます。

不確かな魅力に執着して居る間は、真の魅力を理解する事も無いでしょう。

本当の魅力とは、あなた自身の中に眠る正心であり、優しさである。
他を誹謗中傷して勝ち誇った気分に酔って居る内は、人間としての魅力など理解の範疇にも無いで有ろう。

今、様々な苦の中に居る人、あなたは一人では無い。

勇気を振り絞り、立ち上がり観て下さい。
あなたには、強い味方が居るのだから。

それでも心が折れそうな人には、私が寄り添います。

愛を引き寄せる

恋愛で悩む人は多い。

好きな人は居るけど、話しもした事が無い。
声を掛けて話しをしたい。
自分なんか相手にして貰えないと悩む。
異性と付き合いたいが機会がない。

理由は、様々でしょう。
キッカケがないが共通点ではあり、男女ともに悩むところでは無いでしょうか。

ご安心下さい。
密教には解決策があります。

古来より、男女の結びつきに悩む事は多く、それを解消すべく、各高僧が経典を紐解き、
現代に伝えられて居るのが、密教秘法であります。

そして、密教秘法を現代語に訳し、誰にでも活用出来る様に製作しました。

簡単そうで難しいのが、男女の仲。
キッカケ無しにいきなり女性に声を掛ければ、嫌われたり、悪くすれば痴漢と間違われて大変な目に合い兼ねません。

その逆に、こちらに興味があっても中々、女性から声を掛けられるものでは、ありません。

男性も同じで、変に思われたく無い、断られたら恥ずかしい、いろいろな想いが交錯して、中々踏み切れ無いのが現実では無いでしょうか。
でも、異性とのお付き合いをたい。

なれば、あなたの想いを目指す相手に飛ばし、引き寄せては如何でしょう。
一人で悶々と考えるよりも、爽やかに想いを伝えられるキッカケにしても、誰にも知られず完結できます。

愛はあなたに様々な事をもたらします。

何も言えず、何も進展せずでは、先には進みません。

愛を体感し、愛の素晴らしさを知った時、あなたは一回り成長して居るのです。

悲惨

昨日、ニュースでの報道で、ゴールデンウイーク中の事故死者数が異常な程多いと発表されました。

これを、あなたはどう捉えますか?
捉え方も、考え方も、自由です 。

しかし、私はあえて提言致します。
ゴールデンウイーク以外でも、異常な事故の多発は近年にありましたか?

運が悪かった、たまたま多いだけと、捉えるのも自由です。
しかし、自分に降りかかった時、果たしてそう断言出来ますか?

私達は、振り返れば、何時も何処かで他人事と捉えて居ませんか?
それは、実は大変な事なのです。

愛情の裏返しは、無関心。
私達は、様々に起こる事象に対して、無関心に成りつつあるのです。

私達が完全に事象に対し、無関心に成った時、學ぶか?學ば無いか?
その時、選択が、現れます。

あなたは、どちらを選びますか?

全ては、あなたに委ねられた、自由なのです。
私は、言います。
自由の裏返しは、責任なのだと。

願いを叶える

誰しも、自分の願いを叶えたいと考えるのは当たり前のことですが、中々難しいのが現実ではないでしょうか。


願いは様々。
人によって違うでしょう。
努力して叶えられる願いもあれば、努力だけでは叶わない願いも存在します。
しかし、最初から諦めて居たのでは叶う願いも叶いません。


例えば恋愛。
これは相手が居なくては出来ない。
出会いが必要である。

出会いは求めるだけで実現しますか?
これには縁が必要である。
縁とはどうすれば得られるのか。
引き寄せる心である。

容姿、学歴、金銭に引き寄せられる縁には注意が必要である。

上記は打算であり、結果は見えて居るからである。
本物の縁とは、學び合いである。

富める時も病める時も、互いをいたわり共に生きる。
そこに愛が育まれます。

密教には、古来より様々な秘法が存在します。

願望を達成し、新たな境涯に至る為に用意されて来た。と言っても過言ではありません。
悩み苦しみ、もがく中に安心は得られず、安心の中こそ真理があるのです。

当院では様々な相談を受け、日々活動が活発化しております。
一人で悩み苦しむ前に、相談してみては如何でしょうか。


じいちゃん先生

私には、可愛いファンが居ります(⌒▽⌒)
中学生の女の子で、とてもピュアな心の子です。

小さな身体に、沢山の心の傷を隠し、けなげに咲いた一輪の花。

私は、護ります。
今の日本は、弱い者イジメが流行の様に横行して居るのは何故か?
それは、心がしあわせでは無いからなのである。

しあわせな人は、意地悪しない。
心が貧しく、しあわせで無いから、イジメを繰り返すのであるのです。

ウチの子には不自由は差せて居ません。と言う親御さんが居ます。

しかし、その親御さんは子供に物質を与えただけであり、心の豊かさを与え、教えた訳では無いのである。

例えば、花を育てる段階で二つの鉢を用意し、同じところに置き、一鉢には愛情を注いで話し掛け水をやります。
もう一鉢には、普通に水やりをします。

そして、花が咲いた時に全ての答えが出ます。
愛情を注いで育てた花は見事に咲き、愛に応えます。

もう1つの無い方の花は、?

不信な方は、ご自分でお試し下さい。

全ては原因があり、結果があるのです。
原因が無い結果など、存在しないのである。

私は、護ります。

小さなピュアな魂を、この老骨に鞭打っても護り通します。

子供は、國の宝也(⌒▽⌒)

じいちゃん先生奮戦記②

痛ましい事件が、勃発しています。

子供達には、本質的には悪意は無いのです。

今、世界に蔓延する想念⁉︎
それは怒りのエネルギー。

私達は知らず知らずに、怒りのエネルギーを放出して居るのである。
あの人が嫌い、あいつは嫌な奴だ、あの人がいなければ?
其処にあるのは、學びであり、成長なのです。

しかし昨今の事象は、少し違います。
何が違うのか?

怒り《小我》なのである。
処にあるのは、自分優先。

自分を優先することは、他を退け顧み無い心。
其処には、愛は存在しません。

あるのは、思い通りにならない怒りしか無いのです。
人間に必要の無い感情は、怒りである。
怒りのエネルギーは強く、全てのものを巻き込みます。

子供達は、怒りのエネルギーを知らず知らずに蓄積し、自身も訳も分からず苛立ちを覚え、非行、不登校、引きこもり、家庭内暴力、他、様々な感情に翻弄され、悲しみの中に居るのです。

世のお母さん、お父さん、子供達を抱きしめてあげて下さい。
そして、自身の子供時代を思い出して下さい。

其処には全ての答えがあります《子供、目線では無い》
純粋に我が身の子供の頃を考えれば、其処にあるのは子供心です。

子供が何を考えて居るか分からない、では無く、自分が子供時代を振り返り、思い出し、子供達に接して下さい。
子供は、あなたしか頼る人はいないのだから。

甘やかすのでは無く、怒るのでは無く、そっと寄り添い、心を通わすだけで、子供達には解ります。
自分が愛されて居る事が。

by jiyou-925 | 2018-04-12 12:00 | ├ 愛について

金剛山赤不動明王院 永作優三輝師僧のもとで霊的真理を學ぶ慈葉のブログです


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