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カテゴリ:永作師僧からの便り( 906 )

密教1332 寛容な心

他人の誤ちを責めれば、倍のカルマを積む事に成る。
兎角、他人の誤ちを責めたく成る気持ちは分かるが、
それが自らのカルマを積む事に成る事を知れば出来無いであろう。

責める事は簡単であり、許す事は難しいであろう。
増してや内情も知らず、上辺だけを観て責め立てる行為は如何なものであろうか。

責める、責め合う行為に、未来もしあわせも無い。
その逆に、認め、認め合う姿勢、行為には、発展、未来、調和、
様々なしあわせへの道が開けて居るのです。

寛容とは無条件に全てを許す事ではありません。
智慧と理性の裏付けが必要なのは言うまでもなく、根底に愛が無ければ
傲慢に成り兼ねないのである。

そして、親が子に、子が孫に教え伝える時、其処に開くのは、日本に古くから伝わる
寛容の教え文化である。

罪を犯せし者であろうと、真に反省し善に務める時、霊界もそれを認め
許しの道を開かれるのである。
許しの道は、偽りでは未来永劫開かれる事は無い。
人間界では偽りを見破れ無くとも、霊界では通用しない。
全ては白日の元に晒され、偽った事の罪も加算され、無間地獄、阿鼻地獄に學ぶ事に成るのである。

地獄は落とされると考えて居る人が多いと思うが、それは誤りである。
地獄は落とされるものでも、与えられるものでも無い。
己が率先して選択し、進み行く階層である。

密教の経典には明確にそれが記されている,。
解釈は自由だが、本質を変える事は何人も出来無い。


南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝


地獄へ自ら赴くには、そこに反省という気持ちがなければ
行けるものではないと思います。
現世においては、自分のしたことの何が罪なのか、何が問題だったのかを
理解できない人も多い印象がありますが、靈界では否が応でも向き合わされ
地獄での反省を、自ら選択せざるを得ない状況に追い込まれるのでしょう。

本来であれば、生きているうちに己が過ちに気付き、反省し、行動を正していくことが
因縁を解消し、魂を向上させることにも繋がります。

「何故生まれ、何故生きるのか」を、深く考え自らの内に落とし込んでこそ
真に寛容になれるのではないでしょうか。

今日もありがとうございます

慈葉


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by jiyou-925 | 2020-01-18 06:00 | 永作師僧からの便り

密教1331 治癒力【復活】

人間は極限に立たされた時、自らの中で様々な葛藤に苦しみ、
ある者は絶望し、ある者は最後の戦いに挑む今般、私も癌を発症し五時間の手術の末に生還した。

大腸癌と肝臓癌である。
そして生還した現在、手術前より氣は高まり充実して居る私は、
戦いを挑むより折衷する事を選択した。
どんな事にでも言える事だが、始めから対決姿勢を示す事は得策とは言い難い。
何故ならば、対決姿勢に調和は望め無いからである。
【宣戦布告】
争いは悲しみしか産まないからである。


個人の体内に置き換えて考えても同じである【病気】氣の病いである。
不調和、不協和の結果では、無いだろうか。
長年の蓄積や、身体からの悲鳴に似た危険信号なのである。
私事だが、身体からの危険信号にもっと早く私が氣付いて居れば、
身体を切り刻む事も避けられたかも知れ無いと思えば、反省しか無い。
また、上記以外の避けられ無い病いは、愛の學びと捉え
俯瞰し學びに特化する時、必ずや答えはもたらされます。
悲観、絶望からは、何事も好転しない。
折衷し達観する努力を続ければ、得られない答えは無い。

私は今回の入院で、様々な事を學ばさせて頂いた。
一例を挙げれば、病院側のミスに依り私の上に起きた事である。

下手をすれば手術延期に迄、発展する事態で有ったそれは、薬剤師のミスに依る
投薬遅れが原因であった。
その結果、私は手術当日の数時間前まで苦しむ結果に成ったが、手術は無事成功し今日がある。
その後も二度も投薬ミスが有ったが、私は霊的能力で未然に回避し事なきを得たが、
決して怒りはしなかった。
薬剤師、看護師長、医師が謝罪をしに病室に来られたが、私は言った。
私で良かったと、私で無ければ他の人が苦しむ結果と成り、最悪の事態にも成り兼ねないからである。

人間は間違いを犯すもの。
大切なのは反省し、二度と間違えを犯さない事である。
その後の私の入院生活は、入れ替わり立ち替わり看護師さん達の相談で賑わいを呈した【苦笑】

あるデータで言えば、人間の緊張感は最大で四十分が限界であり、それ以上は持たないと言う。
ダラダラするのでは無く、良い緊張感を持続させる事が良い。
相田みつを氏の言葉を引用させて頂けば【人間だもの】である。

私の医学的治療はこれからも続くが、良い人達との縁もまた開け、しあわせである。
私に残された命を今迄以上に昇華させ、私に救いを求める方々の為にまだまだ頑張ります。


南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝


極限の状態のなかにあっても、絶望せずに活路を見出そうとする姿勢が
しあわせを呼び込む秘訣なのかもしれません。

苦しみに身を任せ、何事も諦めてしまえば楽になれるとわかっていても
諦められなかったり、どんなにみっともなくても足掻こうするのは
そこに情熱があり、未来に希望を持っているからに他なりません。

人間が生きる意味も、そこにあるのではないでしょうか。

「今」の先にあるしあわせは、生きていてこそつかみ取ることができるのですから。

師僧の無事のご退院に安堵致しました
今日もありがとうございます

慈葉


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by jiyou-925 | 2020-01-17 06:00 | 永作師僧からの便り

密教1330 謹賀新年

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今年、赤不動明王院は、宗教法人に向けて始動します。
皆様の安寧を心より御祈念申し上げます。

金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝



新年あけましておめでとうございます

このブログをお読みくださった方々へ厚く御礼を申し上げます
新しい年が皆様にとりまして幸多き年となりますよう
心よりお祈り申し上げます

どうぞ本年もよろしくお願い致します

令和二年 元旦

慈葉



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by jiyou-925 | 2020-01-01 06:00 | 永作師僧からの便り

密教1329 身土不二【地産地消】

昔は今の様に交通機関が発達していなかったので、自家を中心として四里四方【十六Km】の物を食しておりましたが、現代では日本はおろか世界中の物が食べられます。

その昔は、野菜も家畜も全て自然の力と流れに任せて居た時代である。
当然、農薬など無い。
食品添加物などあろう筈が無い頃は、不自由もあったが添加物に神経を使う事も皆無でした。
現代では無添加品が評判を稼ぐ時代、何かおかしく無いですか?
このままの状態を続けて行く時、必ず何処かに歪みが来るのは必定と私は考える。
あなたの子孫の為にも考えて見ませんか。


昔の僧侶は様々な事を學ぶ事を要求されました。
薬学、地学、天文学と多岐に渡り、學ぶ事は地域に貢献する為で有った。

川に橋が無い時代では、雨が降り増水すれば川留と言い、
川を横断する事が禁止されておりました。
当然破れば罰せられる。
民衆は苦しくとも従うしか有りません。

今なら橋が有って当たり前の時代。
しかし、昔には橋を架ける技術も知識も乏しい時代である。
其処に立ち上がったのが有名な僧侶、行基大徳その人である。
溜池15窪、溝と堀9筋、架橋6所、その他の功績は多岐に及ぶ。
鑑真大和上と行基大徳は、拙僧が若い頃から崇拝する偉人である。

偉い人であろうが無かろうが、自分の家族を守れるのは、あなたしか居ないのです。
本当の安全【食の安全】を確保して、お子さんや家族に与えられる人は、あなただけなんです。


南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝


添加物の危険は、食物だけに限りません。
例えば、無農薬・有機栽培の野菜を使った料理を作っても
それを乗せるお皿を合成洗剤で洗っていては、有害物質が残留している危険があるのです。

最近では、洗濯洗剤や柔軟剤もコンパクト、多機能になっていますが
それだけ成分も複雑になっていて、肌荒れやアトピーの原因になる場合もあります。

食器用洗剤も洗濯洗剤も、スーパーやドラッグストアに「普通に」おいてあるものなので
それを疑うことはないかもしれませんが、口に入れるもの、肌に触れるものを意識することで
物の見方が変わり、広告や香りに惑わされない目を養えます。


今日もありがとうございます

慈葉

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by jiyou-925 | 2019-12-31 06:00 | 永作師僧からの便り

密教1328 般若心経秘鍵

【痛狂は酔わざるを笑い、酷睡は覚者を嘲る】
【哀れなるかな哀れなるかな長眠の子、苦しいかな痛いかな狂酔の人】

上記は般若心経秘鍵の一説であるが、真に言い得て妙なり、現代を象徴して居る様である。
難しい解説は敢えて割愛するが、上記の文を咀嚼して考える事は、正に學びである。

自らを棚に上げ他人を干渉嘲笑、または批評する行為など、
自分の人生と真剣に向き合って考えれば、如何に無駄な事であるかに氣づく筈です。

生身の身体は無限に動くものでは無い。
今、若くハツラツとして居ても、やがて中年期を迎え、身体は衰えて行き
やがて嫌でも死と向き合わねばならない日が来るのである。
医学が進歩して癌や様々な死病が解消されても、人間の肉体は永遠には持続出来ません。

今を學ばなければ死の恐怖も克服出来ません。
上記で記した様な稚拙な事を繰り返して居ては、死を達観する事など到底出来ません。

私の経験で言えば、死なんか怖く無いと言う者ほど、自分の事となった時、
慌て死の恐怖に震え上がるものである。
その逆に、人生を學んだ人は静かに死を受け入れ、最後は安らかです。

皆さんも死を他人事と考えず、自らに置き換え考えてみては如何であろうか。


南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝


「死」は、この世からの卒業です。

肉体を脱ぎ去り、本来の姿である魂に戻り霊界に帰るその時には
後悔や未練を残さずに旅立ちたいものです。

欲求や快楽だけを追い求め、刹那的な生き方をしていたり
人生を投げやりに、自暴自棄に生きていると、浮遊霊、未浄化霊の憑依を招き
破滅の道へと誘導されて「死」へ引き込まれることがあります。
悪霊に取り込まれては「卒業」はできません。

自らの人生を生ききって、「門出」を迎えたいものです。


今日もありがとうございます

慈葉


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by jiyou-925 | 2019-12-30 06:00 | 永作師僧からの便り

密教1327 恐怖

このフレーズを観るとオカルトと考えるかも知れないが違います。
人間の感情と置かれた環境に依り変化する様相である。

最も辛いのが飢餓だと私は想う。
私も過去に断食行を一週間敢行したが、飢餓は断食の比では無い。 

食べたいが食べる物が無い状態が、いつ終わるでも無い状態が
場合によっては死ぬまで続く状態が飢餓である。
想像を絶する世界である。

心の飢餓は精神力を鍛えれば克服出来るが、肉体的飢餓は、食を持ってしか解消出来ません。
幸いな事に、現行の日本では飢餓は無いに等しいが、過去の日本では、大勢の人々が飢餓に喘ぎ
死んで行ったのである。

その魂は今も癒える事は少ない。
何故ならば、食を得るにも棲家を得るにも金、金、金と、自らは働かず求め流離う者の魂は、
浮ばれ無い魂と同調する事が多々あるからである。

何の努力もせずに欲しがる者の姿は、正に餓鬼である。
他人のお金を狙い、強盗殺人を犯した犯人の面妖は正に餓鬼である。

犯罪者も人の子と言うが、反省無き犯罪者は餓鬼であり、修羅そのものである。
最早、人間では無い。
刑罰を課しても期限が過ぎればまた繰り返すであろう。
【死刑は自由を与えるだけである】
なれば死しても五百年の呪縛を掛け、徹底的に反省をさせるべきである。

浮遊霊、未浄化霊が上記の者の魂に同調する時、犯罪は激化し、
戦争では無い惨劇が繰り返されるであろう。

物欲は真面目に働き満たせば良い。
心の飢餓は精神力を鍛え付ければ良い。
しかし、最も重要な事は理性を身に焼き付ける事である。

人間の理性の脆さは學びの深浅に比例するのだから。


南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝


>浮遊霊、未浄化霊が上記の者の魂に同調する時、犯罪は激化し、
戦争では無い惨劇が繰り返されるであろう。

現在の世界の状態は、既に上記のようになってきているのではないでしょうか。

テロ、紛争や侵攻、猟奇的犯罪、虐待…
猟奇的でなくても「誰でもいいから殺したかった」と、道を歩いているだけで
刺されかねない時代です。

浮遊霊や未浄化霊の憑依を受けないためには、
理性を持ち、自分自身を見失わないようにする必要があります。
瞬間湯沸かし器のようにすぐにカッとなったり、悲劇の主人公のように泣き喚いたり
感情の波にさらわれないように気を付けなくてはいけません。

そのうえで、個人で霊的な護りを強化しなくてはいけない時代になっているのだと思います。


今日もありがとうございます

慈葉


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by jiyou-925 | 2019-12-29 06:00 | 永作師僧からの便り

密教1326 秘蔵宝鑰

今、私は病院のベッドで、弘法大師が残された秘蔵宝鑰を読んでおります。
その一説に、皆さんに伝えたい教えがあるので以下に記します。

【狂毒自ら解けず医王よく治す、摩尼自ら宝にあらず工人よく磨く】

これは、激しい毒は自分で消す事は出来無い、医王のみが消す事が出来る。
宝珠は元から宝珠では無い、工人が磨く事で宝珠となるのである。

即ち、病いを患った場合は、自己判断はせずに名医にかかり治療を受ける事、
どんな宝石も、それを磨ける確かな腕を持った職人がいなければ、唯の石ころ同然である。
【仏を例えれば医王であり工人である】

病いや貧に嘆く事無かれ、全てはこの世の學び【試練】なのである。
御仏は、その者に耐えられない試練は御与えに成りません。
医王【医師】を目指す者、工人【職人、匠】を目指す者、
道は違えど努力の過程は大差無いのである。

差があるとすれば、考え方と心の持ち方である。
自分には出来無い、自分はもう駄目だ、駄目だ駄目だは誰が決めて居るのか?
自分である。

例え治る望みが無い病いで有っても、精一杯、生きる事こそ努力であり
試練の終末なのである。

愚痴や未練にはキリがない。
正々堂々と事に向かい、その後は【人事を尽くして天命を待つ】
潔く生きるも人生、愚痴や未練に生きるも人生である。
それを選択するのは自分である。


南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝


人生、幸福なときもあれば、不運、不遇に泣くときもあります。
いくら嘆いても、悲しんでも、それで状況が変わるわけではありません。
状況打破のために、時には、他者が力を貸してくれることもありますが、
基本的には自分が動かなくては、問題の根本的な解決には至りません。

乗り越えられないと思った試練、大きな山だと思っていたことも
ゆっくりでも、泣きながらでも、前進し続ければ景色は変わっていきます。

真摯に努力を重ねる姿に人は心打たれ、きっと仏様も感応してくださるものと思います。


今日もありがとうございます

慈葉


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by jiyou-925 | 2019-12-28 06:00 | 永作師僧からの便り

密教1325 愛の學び

人間は生き物、病に倒れる事もある。

機械でも故障した場合には、修理や部品交換が必要と成ります。
人間でも機械でも、傷んだ時に必要なのは、それに従事する方々の力である。

例えば、長年愛用して来た機械が壊れた場合、修理を考えます。
それには、長年の愛着と支えてくれた愛があるからである。

人間の場合では、病院があり、切除しなければいけない場合には当然手術と成りますが、
家族の心労は計り知れません。
例えば、一家の柱が入院と成れば、金銭的にも家族に重圧が掛かるばかりか
様々な不安に苛まれ、その気持ちは筆舌に尽くし難い心境であろう。

それは、病に侵された本人も同じであるが、病気は愛の學びと捉え一日も早く快癒し
家族や待っている人達の為にも耐えねばならないのである。

入院して氣付いた事は、様々な愛がある事である。
看護師さんの献身的な看護は、正に愛そのものである。

例え病や怪我が軽傷で有ろうと、自分だけで快癒させる事は難しいであろう。
それが重病になれば、大勢の方々に力を借りねば成りません。

正に感謝である。
私は今、病の床にありますが、愛に包まれとても幸せです。
私は全身全霊の氣力を振り絞っても生還します。
皆さんそれ迄待って居て下さい。


南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝


生老病死
それは誰にでも訪れる苦しみです。

病に倒れることは苦ですが、元気なときには見えなかった景色であったり
気付けないこともたくさんあるでしょう。
周囲の者に与える影響もそのひとつかもしれません。

苦の中でしか学べないことをつかみ取るのは、並大抵のことではないかもしれません。
しかし、それは大きな気付きとなり、その後の人生においても多大な影響を与えるものと思います。

そして、苦しみを救い、癒してくれるものが愛なのだと思います。
どれだけの愛が自分を支えているのかを想うとき、
つらい治療やリハビリに耐える力になるのではないでしょうか。


今日もありがとうございます

慈葉

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by jiyou-925 | 2019-12-27 06:00 | 永作師僧からの便り

密教1324 視点を定める

喜び、哀しみ、苦境にある時、気持ちも視点も変化します。

例えば、上記を涙眼で捉えて判断した場合、気持ちは乱れ正確な判断は難しくなるで有ろう。
何故か?
曇りガラスで景色が見えますか。
涙眼とは曇りガラスで景色を眺めるのと同じなのである。 

涙眼を回避するには、理性を高める他は無い。
理性を高めるには學び以外には方法は無い。

自分を涙眼で眺めた場合、どんな事が想定されるか以下を参照して頂きたい。
そして心当たりがある場合は、治す事をお勧めします。

①自分を哀れみ卑下する
②他と自分を比較対象し己れを哀れむ。
③妬む気持ちは、見方の誤りから来る愚挙である。

全ては客観的に捉えられず、自らの気持ちの視点からしか見られ無い
未熟さから発生したものである。

目線の大切さを考えて下さい。
上記以外にも、様々な見間違いがその後の人生に如何に影響を及ぼす事か、
冷静に考えればお解り頂けると考えます。

この他にも、不思議目線は學びの妨げに成るばかりか、理性的理解をも妨げるのである。

不思議目線とは何か。
何の検証もせずに不思議な事で片付けたり、不安を煽り自らも迷宮に迷い込むのである。

目線の誤りは上記だけでもお解り頂けると想うが、自分の人生をも狂わす結果にも繋がる事を
知って頂きたい。
たかが目線なれど、誤れば長い月日をも誤る事に繋がり、幸の妨げにもなって行くのである。


南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝


普段から自分を悲劇の主人公のように思っている一方で、
それは「自分が特別な存在だから」という夢を見ている場合。
最近は、こういった人が”不思議ちゃん化”しているのではないでしょうか。

こういう人は、自らが歪めた世界のなかで生息しているので、一般常識からかけ離れており
(普通と違うことをむしろ良しとしている)
丁寧な言葉を使っていても、謙虚さがないので慇懃無礼です。

ワタシって可哀想、でもそれは、ワタシに与えられたお役目だから
ワタシは誤解されやすい、でもそれは、ワタシには特別な使命があるから

こんな風に、自分を卑下すると見せかけて、実は他者を下に見て優越感に浸っている人が
多いような気がします。


本当に霊界からのお役目や使命を頂戴している方は、それをひけらかしたりせず
血のにじむような努力を重ねながら、粛々とご自分の勤めに励まれているものと思います。


今日もありがとうございます

慈葉



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by jiyou-925 | 2019-12-25 06:00 | 永作師僧からの便り

密教1323 親孝行

今、私は出張祈祷の帰り、新幹線の車内でこれを書いて居る。
今日は心温まるお話しです。


親孝行な息子さんの依頼を受け、遠方に来ている。
その依頼とは、高齢になられた母を気遣う優しさ溢れる気持ちから出たものである。

お母様は子供を幾人も育て上げ、子供達が皆立派に成り、
自らの虚無感を埋める為に、様々な神仏を祀る事で心の隙間を埋め様と考え
収集を始めたのですが、其れは霊的に観た場合、良くないのである。

例えば、様々な神社仏閣のお札、御守り、自分で買ってきて設置しただけの仏像や
神具が入り交じった中で生活をして居た場合。
考えが纏まらなくなったり、訳も分からない不安感に襲われたり、
様々な現象を感じる事が多々ある。

此れは喧嘩状態と同じで、気が休まら無い状態を自分が作り上げてしまった様なものである。
最も良く無いのが何処で受けたか忘れてしまい放置する事である。
例えば、お札や御守りは一年が経過したら感謝を込めてお返しに上がるか、
郵送でお願いするのが礼儀であります。
そして新たなお札や御守りを授かり、また新たに進めて行くが良道、
自分勝手な発想は慎むべきです。

例えば、あなたが親交の有る方に頼み事をされ、引き受け奔走しなんとか形が出来た頃、
頼み事をした本人が忘れて有り難うの言葉も無かった場合、あなたは楽しいですか?
そして、上記を忘れまた違うお願いをされた場合、あなたはどう思うで有ろうか、
考えてみて下さい。

全ては道理にあり。
忘れると言う事は、それほど大切な事では無かったのである。
なればお願い事をする時、真剣に頼んでも良いかを考えてからするべきでは無いだろうか。
安易な発想は安易な結果しか産まないのである。

上記のお母様の行動には当てはまら無いが、結果は良く無いのである。
本日、全てのお札、御守り、仏像、神具仏具は撥遣し一つにまとめ、
然るべき処にお願いして参りました。

願わくばー家に安心立命が有らん事を祈り、私は帰路に着いて居る。


南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝


御利益ありきで、あっちの神社、こっちのお寺と参拝し、お守りやお札をお授け頂く方は
とても多いのではないかと思います。

自分や家族のしあわせを願い、良かれと思って何気なくやっていたことが
逆の結果を招くことになるとは、皮肉なものです。
しかし、それにはちゃんと理由があるということも忘れてはいけないですね。

やりがちなことだけに、注意しなくてはいけないことだと思います。

今日もありがとうございます

慈葉

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by jiyou-925 | 2019-12-22 06:00 | 永作師僧からの便り

金剛山赤不動明王院 永作優三輝師僧のもとで霊的真理を學ぶ慈葉のブログです


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