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”密教 369 式神”

※師僧のブログよりだいぶ遅れておりますが、お付き合いいただけましたら幸いです<(_ _)>※


密教 369 式神


式神/識神
陰陽道(おんようどう)で、陰陽師が使役するという鬼神。変幻自在な姿で、人の善悪を監視するという。しきのかみ。しきじん。しき。

  
   
参考資料


平安時代の陰陽師・安倍晴明が使役したことで有名ですね。

ドラマや映画で、晴明役の俳優さんが、人形の紙に「フッ」と息をふきかけると

その紙が動き出す…といったシーンを見たことがある方もいらっしゃると思います。


参考画像


実は密教僧のなかにも、ごく少数だそうですが式神を操れる方がおられるそうで、

師僧もその一人です。


ただし、物質的価値観、金に目がくらみ、残念ながら横道にそれてしまう方もいたり、

素人が見よう見まねで手を出して、大変なことになってしまう方もいるとのこと。。。

なんの修行もせず、知識や経験もない者が、

ネットや本などで得られる情報程度のことで操れる式神など皆無です。

(もしもそんなものがいたら、それは、ほぼ間違いなく低級霊の類だと思われます)



>自身の所在を隠しても、何の意味もない。

式神には、住所も、アドレスも、名前も、性別も年齢も、関係ないのである。

有るのは、悪心があるか、無いか。だけなのです。

現代の卑怯な者達には、式神を使うしかないかもしれません。



人を不幸に陥れようと、あれこれ画策する卑怯者がいるようです。
そういった自分の行為が、実は自分の首を絞めていることに、何故気付かないのでしょう。
やればやるほど自分の魂が穢れ、心は嫉妬で歪み、憑依を招きます。
とても賢明であるとは言えません。

師僧のブログで「呪殺祈祷僧団」のことが紹介されておりますが
悪に支配され、憑依を受けた者は、
呪殺される前に低級霊に呼ばれてしまうのがオチかもしれません。
邪悪な存在は、地獄への道連れを手ぐすねひいて待っています。






>注意
嫌がらせ、誹謗中傷する者、自分の居場所など解るわけが無いと、
たかをくくり、続ける者は、続けるが良い。

その方が突き止め易いのである。

本物の呪術師には、簡単な事である。

本物の呪術師は、私だけではないのだから。

イジメを続ける者も同じである。

黙っていても、必ず、式神は、探し出すのです。


>全ては、御仏の眷属神が判断し、悪心あらば調伏し、
それが一度、発動されれば、もう、私でも止める事は、不可能である。



眷属神、引いては御本尊様は、絶対に騙せません。

自分の心の状態を観察する時間を持ってみませんか?
もしも誰かを憎く思っていたり、よくない考え、想いに捉われていても
深く洞察し、何故なのかを突き詰めて考えれば
解決への糸口が見いだせるかもしれません。
正しい心を取り戻し、反省するとき、御仏はお力を貸してくださり、
きっと新たな扉が開かれます。


皆様のお幸せを心よりお祈りしております。

今日もありがとうございます


by jiyou-925 | 2016-11-27 09:00 | 「密教」リブログ

”密教 367 不動明王破邪の剣”

※師僧のブログよりだいぶ遅れておりますが、お付き合いいただけましたら幸いです<(_ _)>※


密教 367 不動明王破邪の剣

密教 368 破邪の剣の考察

密教 372 赤不動明王尊破邪の剣


>現在、当院では、新年に向けての最高の加持祈祷を謹修すべく、

本尊赤不動明王の破邪の剣を製作中で御座います。

当院 加持祈祷厳修時


>当院では、この破邪の剣を、最大限に活用し、加持祈祷を実施致します。

一例を挙げれば、イジメに悩む方の救済、様々な苦しみにおかれている方々の為に、
護摩法に、破邪の剣を融合させた秘法を厳修致します。

誰にも言えない悩みや苦しみ、心と体に重くのしかかる暗雲
あなたを取り巻く、様々な<魔>を、破邪の剣で打ち破っていただけることと思います。
御祈祷の受付は既に始まっており、大変人気となっているようですので
希望される方は、お早目にお申込みください<(_ _)>
破邪の剣による御祈祷の申込み欄が御座いますので、そちらからお願い致します。


破邪の剣とは?

不動明王が右手に握っておられる利剣のことです。


>破邪の剣は、肉体を傷つけず、憑依する悪鬼羅刹を斬る宝剣の事です。


不勉強な私は、何故「剣」と言わずに「利剣」というのか不思議だったのですが

「利剣」には

鋭利なつるぎ。よく切れる刀剣。
仏語。煩悩(ぼんのう)や邪悪なものを打ち破る仏法や智慧のこと。「弥陀の―」

という、ふたつの意味がありました。


お不動様は、この宝剣の御力を持って、私たちを日々悩ます煩悩や、

過度な欲求、憑依しているものなどを払ってくださるのですね。


また、この利剣には「倶利伽羅剣」という別名があり

仏法を護る八大竜王の一神である「倶利伽羅竜王」の変化した姿とも

お不動様の化身ともいわれています。

参考資料 倶利伽羅竜王


倶利伽羅剣(くりからけん)
不動明王の立像が右手に持つ剣。三昧耶形では不動明王の象徴そのものであり、貪瞋痴の三毒を破る智恵の利剣である。剣は倶利伽羅竜王が燃え盛る炎となって巻きまとっていることからこの名がある。


三昧耶形(さんまやぎょう/さまやぎょう)とは、密教に於いて、仏を表す象徴物の事。三形(さんぎょう)とも略称する。
多くの場合、各仏の持物がそのままその仏を象徴する三昧耶形となる。
例えば不動明王なら利剣(倶利伽羅剣)、聖観音なら蓮華、虚空蔵菩薩なら如意宝珠など。

参考資料



貪瞋痴の三毒

三毒(さんどく、梵: triviṣa, トリヴィシャ)とは、 仏教において克服すべきものとされる
最も根本的な三つの煩悩、 すなわち貪・瞋・癡(とん・じん・ち)を指し、煩悩を毒に例えたものである。
参考資料


貪(とん)とは、「貪欲(どんよく)」 むさぼり求める心。

瞋(じん)とは「瞋恚(しんい)」 いかり。

癡(ち)とは愚痴(ぐち)」 真理を見失い、道理に迷うおろかさのことです。


人間である以上、これらの煩悩に悩まされることは、悲しいかな

(悟りを開かない以上)避けて通れません。


貪りの心とは、例えば衣食住が満たされていても、次から次へと買い物をして、

多額のローンを抱えてしまったり、

次は当たる、次こそは…と、金銭欲にかられてギャンブルがやめられなかったり

好きな人のことをもっと近くに感じたい、もっと知りたい…と、相手の迷惑を顧みずに

ストーカー行為に走ってしまったり…

程度の差こそあれ、身に覚えのある方もいるかもしれません。

こうした強い依存や執着心、いきすぎた欲求の行き着く先が、悲惨な末路であることは

そう珍しいことではありません。



瞋恚(しんい)でいう「いかり」とは、「怒り」とは少し異なります。

何か気に入らないことがあったときに、カーッと頭に血が上るような「憤り」ではなく

誰かが、何かが、自分に背くような、違うようなことがあったときに、

いつまでも許さずに、恨むような感情のいかり(瞋り)です。

ヒステリックに喚き散らすというより、もっと陰険な感じですね。

それこそ生霊を飛ばしかねないような、ジットリと暗い感情といえるかもしれません。


現代におけるイジメや、パワハラ、セクハラといったものもそうかもしれませんね。

自分と異なるもの、違う意見を排除・排斥し、陰であげつらったり、笑いものにする…。

相手にとっては、ストレートに怒りをぶつけられるよりも遥かにつらいことであり、

大変な苦痛となります。

そして、瞋りを抱えたままでは、自分の心も決して晴れることがないのです。



愚痴とは、道理をわきまえず、真理を理解しない、無知でおろかな様を表します。

何事にも感情優先であり、冷静な判断が下せないような状態ですね。

物事を解決に導くための努力をせずに、いつまでも不平不満を漏らしていませんか?

(まさに「愚痴」ですね)

何事も自分の思い通りにいかなければ気が済まず、傍若無人な振る舞いをやめないのは

「我が我が」の我が儘な心に支配されてしまっているのです。

「学ぶ」努力を怠っているから「無知」であり、愚かなのですね。





これらの煩悩、三毒を打ち破る力を持った剣が

不動明王の破邪の剣なのです。


参考資料 三鈷剣


赤不動明王院では、当院所蔵の真剣を使用し、

柄には弘法大師空海 招来の三鈷杵を復元します。


当院 所蔵 紀州住文珠重次作 《 真剣 》


参考資料 空海 御請来 三鈷杵


(様々な御縁により、「本物の破邪の剣」の制作が可能となった経緯はこちら


師僧は、加持祈祷は真剣勝負である、自分は御本尊様の道具である、と

よくブログでも仰っています。

祈祷の現場で「まがい物」が許されないのは、行者を護るためでもあり

御本尊様の御力をいかんなく発揮していただくため。

万が一にでも、そこに偽物やまがい物、文字通り「付け焼刃」的な綻びがあっては

<魔>に付け込む隙を与えてしまうことになるのです。

(ですので、素人が見よう見まねで祓いの真似事を行うのは、大変危険です)



>弘法大師空海招来の三鈷柄の真剣を所蔵して居るのは、
日本広しと言えども、当、赤不動明王院をおいて、他には、ありません。

拙僧の生涯をかけた、一大宝具でもあるのです。



行き過ぎた欲求に、自分と相手の心をがんじがらめに縛るつける瞋りに

着地点が見いだせず、思い惑う心に…

心に巣くう悩み、苦しみに、師僧は寄り添い、御本尊様は未来への灯をくださいます。


当院 御本尊 赤不動明王尊


皆様に明るい未来が訪れますよう、心よりお祈りしております。



今日もありがとうございます




by jiyou-925 | 2016-11-22 09:00 | 「密教」リブログ

”密教 366 想像力の欠如”

※師僧のブログよりだいぶ遅れておりますが、お付き合いいただけましたら幸いです<(_ _)>※


密教 366 想像力の欠如




参考資料


恥ずかしながら、私もおがくず(カンナ屑)が燃えやすいということを知りませんでした。

これを制作・展示した学生たちも、私と同じく、危険性についての認知がなかったのでしょう。


想像でしかありませんが…このジャングルジムの制作にあたった学生、指導教員は、

アートイベントの”体験型展示物”との認識しかなく、

「ジャングルジムは遊具でもある=中に入ったり、登ったりして遊ぶもの」という

根本が抜けており、また、”展示物”という前提があったために、

危険性に思い至らず、安全への配慮を欠きこのような惨事を引き起こしてしまったのかもしれません。


おがくずの発火の危険性について調べていると、こんな記述がありました。


・空気の通り良好の木のフレーム
・火口となるおがくず
・真ん中に熱源(火種)
キャンプファイヤーの構造そのものなんだよなぁ…


  
参考資料


この展示物を制作した学生・教員のなかで、誰かが危険性に気付いていれば…と、

やりきれなさが残ります。

亡くなられたお子さんのご冥福を心よりお祈りいたします。




>私達が、本来、誰にでも有している、危険への想像力の欠如は、私達に悲劇をもたらします。


現代においては、想像をはるかに超える出来事が起こり

想定の範囲外の出来事が多発しています。

原発事故、自然災害最近では福岡の大規模な道路の陥没事故もありました。

誰も予想だにしなかったことだと思います。


「まさか」という出来事は、いつ何時起こるかわかりません。

何事においても、誰か任せにするのではなく、「自分にできること」を明確にしておくことや

危険性について熟慮することが、自分だけでなく、他の誰かの身をも守ることにも繋がります。


予測する、想像するということは、自分以外の視点を持つことです。



>本当の想像力とは、脳で考えるのではありません。

心で考え、行動する事こそ、真の想像力であると私は、考えます。

その根底に在るのが、慈悲の心であり、御仏の大慈悲である。


私達には、大なり小なり、御仏の魂を宿して居ることを自覚し、

行動する時、自ずと、結果は、変わります。



私たちひとりひとりが、仏様になったつもりで物事を考えてみるとき

そこにあるのは「自分が」という軸ではなく、「他者への思いやり」ではないでしょうか。



参考資料 「己れを忘れて他を利するは、慈悲の極みなり」

最澄『山家学生式(さんげがくしょうしき)



よく「客観的な」という言葉を使いますが、

これが「仏観的」-仏様視点であればどうでしょうか?


自分の思考や行動が、ずいぶん変わるような気がしませんか?


自分のなかにある仏性を大切にし、他者への思いやりという軸を持つとき

慈悲や慈愛といった気持ちが生まれるのではないでしょうか。



仏様視点、大事にしたいと思います。



今日もありがとうございます



by jiyou-925 | 2016-11-21 09:00 | 「密教」リブログ

”密教 364 霊的テリトリー”

密教 364 霊的テリトリー


※師僧のブログよりだいぶ遅れておりますが、お付き合いいただけましたら幸いです<(_ _)>※




>今迄に様々な事件、事故の解明の為、外国から霊能者を招き《マスコミ報道》

解決しようと様々な企画が、行われて参りました。


私はこのような番組が好きで、特番があると必ず見てしまいますテレビ

そして、何故見つからないのか?つい憤ってしまったり、

少しでも手がかりが欲しいというご家族の方の気持ちを想い、涙してしまったり…。



もちろんTVの番組ですから、編集が加えられてはいるのでしょうが

「いいところまでいくのに何で!!」と、いうのは

霊的なテリトリーがあるからなのですね。




それぞれの土地、風俗、文化により、土着の神々や信仰の対象が異なることを見ても

テリトリーがあるのは、ごく当たり前のことなのかもしれない…と

師僧のこの記事により思い当たりました。


なるほど。。

簡単に言うと、キチンとその土地の神様に話を通さねば、

む話も進まない、ということでしょうか。




そして、神々ではない存在にもテリトリーがあることも

今まで考えたことがありませんでした。




参考資料


日本においては、明治政府が行った神仏分離令により、古来より混ざり合い、
人々の生活に密着していた神と仏の世界を無理やり引き離してしまいました。



明治期の神仏分離と廃仏毀釈
明治元年、明治新政府は「王政復古」「祭政一致」の理想実現のため、神道国教化の方針を採用し、それまで広く行われてきた神仏習合(神仏混淆)を禁止するため、神仏分離令を発した。

大政奉還後に成立した新政府によって慶応4年3月13日(1868年4月5日)に発せられた太政官布告(通称「神仏分離令」「神仏判然令」)、および明治3年1月3日(1870年2月3日)に出された詔書「大教宣布」などの政策をきっかけに引き起こされた、仏教施設の破壊などを指す。


神仏分離令や大教宣布は神道と仏教の分離が目的であり、仏教排斥を意図したものではなかったが、結果として廃仏毀釈運動(廃仏運動)と呼ばれた破壊活動を引き起こしてしまう。神仏習合の廃止、仏像の神体としての使用禁止、神社から仏教的要素の払拭などが行われた。祭神の決定、寺院の廃合、僧侶の神職への転向、仏像・仏具の破壊、仏事の禁止などが見られた。1871年(明治4年)正月5日付太政官布告で寺社領上知令が布告され、境内を除き寺や神社の領地を国が接収した。


参考資料


このような政治的行為、僧侶、神官への不信感、現世利益を謳う新興宗教の台頭などで

日本古来の神仏への信仰心が、薄れてきているのかもしれません。


>失われた神仏の影に暗躍するもの。

正に、今の日本を、象徴しているのです。

今の日本は、影により、支配が進んでいます。

人の心は、物欲が走り、怒りが支配して居る街。

其処にあるのは、テリトリー。


物欲が走り、怒りが支配する街に徘徊するのは、

神仏や自然への畏敬の念を忘れ、我が我がと自己中心な心を持つ人間と

そこにつけ入り、肉体を支配しようとする低級霊たちです。

近年、衝動的犯罪、自殺、ドラッグの蔓延など、明らかな犯罪の増加の影には

こういった霊が介在しているのも事実であり、縄張りを拡げているのです。




新年に初詣に出かけ、お願いごとをするのが信仰ではありません。


常日頃から、自分を護り導いてくださる御神仏様に感謝し、敬い、正しい心で信じ、仰ぐ。

その気持ちを自分で鑑みて、あらゆることと照らし合わせ、自分自身を取り戻し、高めてゆく。

私の語彙では拙すぎて、通じにくいかもしれませんが汗

こういった作業を通じて、日々、御神仏様との距離を縮めていくことが信仰なのではないか…と

思うのです。


人間界を魔界化させないためには、どうしたらよいか?

いつも最後は同じになってしまいますが、ひとりひとりの心がけが

やはり大切なのだと思います。



今日もありがとうございます



by jiyou-925 | 2016-11-16 09:00 | 「密教」リブログ

”密教 363 青面金剛の秘法”

密教 363 青面金剛の秘法



引き続き、青面金剛法について書いていきたいと思います<(_ _)>


>青面金剛の秘法の中に、両肩の衣を、大蛇に変え《片方が三千尋、合わせて、六千尋四方の物を
引き寄せる》秘法があります。


「尋(ひろ)」という字は手を左右広げたときの両手先の間の距離を表し
古来、縄や水深をはかる長さの単位として使われていました。
また、「尋(じん)」と読めば、たずねる、たずね求めることという意味もあります


この法は家出人や行方不明者の捜索に用いられてきた秘法のひとつです。
当院 所蔵 青面金剛尊次第書


しかし、現在では形骸化されてしまったり、修する密教僧の方も殆どいなくなってしまったとか…。

「非科学的な」と、仰る方は少なからずおられるかと思いますが
警察の網にかからなくても、御仏の御力の前で明かされることは多々あることだと思います。


>しかし、現在、修せる僧も少なく、知る人も、いないが、
の法が、世に認知されれば、未解決事件も減るものをと、老齢になった今、思う次第である。


御仏や御眷属には、「まさか」「そんなはずはない」といった私情はありません。
人間が見落としてしまったことや、気付かなかったことを拾い上げ
導きを示してくださることがある…と、心に留めておくのもよいのではないでしょうか。

この法が広く世に認知され、復興し、悲しむ方が減ることを私も願っております。


今日もありがとうございます




by jiyou-925 | 2016-11-11 09:00 | 「密教」リブログ

”密教 362 青面金剛法”

密教 362 青面金剛法


当院 所蔵 青面金剛


青面金剛
青面金剛(しょうめんこんごう)は、日本仏教における信仰対象の1つ。青面金剛明王とも呼ばれる。夜叉神である。
インド由来の仏教尊像ではなく、中国の道教思想に由来し、日本の民間信仰である庚申信仰の中で独自に発展した尊像である。庚申講の本尊として知られ、三尸(さんし)を押さえる神とされる。
参考資料


青面金剛はインドから伝わった仏様ではなくて、中国の道教思想に由来し

日本の仏教のなかで独自に信仰されてきた仏様なのですね。


元々は鬼神であり、帝釈天の使者とされていますが、そのお姿は

『一般には、足元に邪鬼を踏みつけ、六臂(二・四・八臂の場合もある)で法輪・弓・矢・剣・錫杖・ショケラ(人間)を持つ忿怒相で描かれることが多い。 頭髪の間で蛇がとぐろを巻いていたり、手や足に巻き付いている場合もある。また、どくろを首や胸に掛けた像も見られる。 彩色される時は、その名の通り青い肌に塗られる』(参考資料)

…と、なかなかの迫力でございます。


ものすごーく簡単に言ってしまえば「改心した青鬼」ということになるかと思います笑



日本の仏教に取り入れられ病魔退散や庚申信仰に御利益のある仏様として祀られていくのですが


>青面金剛尊は、人間の犯した罪を隠し、

三尸が、天帝に、告げ口が出来ない様に、抑えると伝えられております


庚申待ち
道教では人間の体の中には「三尸(さんし)」と呼ばれる3つの虫がいるとされ
この虫たちは、暦での60組ある干支の組み合わせの57番目「庚申の日」に体内から抜け出し、天帝(日本での帝釈天)にその体の主がした悪行を告げに行くと信じられていた。
告げられた悪行によって、寿命を縮められると信じられていた事から人々は「庚申の日」には徹夜して眠らずに過ごしていたとされる。


青面金剛法は、あまりにも難解であり、経典の所在も明らかではなかったため

陀羅尼集経のなかでも、わずかにしか記載がないとのこと。

しかし、その「隠された青面金剛法」は沢山あり、現代人に必要な法であると師僧は仰っています。



>人間は、誰でも、罪を知らず知らずに、犯しております。

それを、改善の道に導く事が出来るのが、青面金剛尊であり、青面金剛法なのである。

前非を悔いて、今、新たに、一歩を踏み出す。


私達は、様々な人生の中で、他人には、言えない事も。数多くあります。

しかし、過去に捉われて、進めないとは、哀れな事です。


知らずに犯してきた罪、悪いことだと知っていながら手を染めてしまったこと…
心に重くのしかかる罪の意識と向き合い、反省し、懺悔するとき、その潰れそうな心を、
青面金剛尊は受け止めてくださり、前を進む勇気を与えてくれるのだと思います。


>当院では、そんなあなたの為に《明るく未来に羽ばたく為》青面金剛法を謹修して参ります。

明るく、前向きに、明日に、羽ばたいて下さい。

この師僧の言葉がとても心強いです。

今日もありがとうございます



by jiyou-925 | 2016-11-10 09:00 | 「密教」リブログ

”密教 361 幻の秘法”

密教 361 幻の秘法

密教 365 実証≪秘法 経典群≫


赤不動明王院には、現在では幻となってしまい、一般には伝えられていないような

「秘法」の次第書が、数多く所蔵されています。

(師僧のブログで次第書の画像が公開されております)


>これらは、拙僧が、長年、密教の研究と、諸先生方の協力と御尽力の賜物であります。

拙僧は、今後、密教の発展と興隆を願い、此処に、その本文の有無を証明する為に、公開します。


密教の秘法は、本当に様々なニーズに対応した法であるため
その数たるや、私など想像もつかないほどですが
(赤不動明王院所蔵の次第書だけでも数百に上ります)
それだけの需要に応えられるということだけでも、いかに密教が珍重されてきたのかが
わかるような気が致します。


>密教の秘法は、言わば、需要と供給の様な関係があります。

しかし、その需要《要求》は、常に、ハイクラスの方向けにあった様に思います。

そして、上下関係の壁に阻まれ、結果、幻の秘法とされる法は、闇に消えて行ったのです。

私の寺には、幻と成り、一般には、知られてい無い秘法の次第書を数多く所蔵しております《非公開》


南朝の時代、後醍醐天皇が密教に重きを置いていたのは有名だと思います。
時の為政者や権力者は、政にも戦にも、密教による秘術を駆使しながら
時代を切り開いてきたのかもしれません。


ときに一国の命運を左右するほどのものであれば
当然、一般には隠され、阿闍梨から阿闍梨へ、行者へ、術者へ…と
秘密裡に伝授、伝法が行われてきたのだと思いますが
その難解さと秘密主義により、伝えられなくなっていったのですね。
「必要とされなくなった」のではなく、「担い手がいなくなった」…という感じでしょうか。

それらが今、様々な御縁と、師僧の研究により、解明され
再び息を吹き込まれようとしております。

ブログや密教塾を通じて、そうした素晴らしい教えの数々に、到底理解することはできずとも
ほんの僅かにでも触れさせていただけることを大変嬉しく思います。
-

当院所蔵 次第書(一部)


密教が発展し、各個人の心に平安が訪れますよう願っております。



今日もありがとうございます



by jiyou-925 | 2016-11-07 09:00 | 「密教」リブログ

”密教 360 興味と探究心”

密教 360 興味と探究心



例えば、自分の知らないことについて、詳しい方にお話しを聞きたいとき

「私、〇〇に興味があるんです」という言い回しを使うことがあると思います。


>よく使われる現代用語に、興味がある。と、言う言葉を引用し、多用する者がいるが、
教える側は、その時点で、軽薄な質問と捉え、深層には至りません。

まず、教えを乞う姿勢が大切である。



下問を恥じず
”子貢、問いて曰く、孔文子、何を以て之を文と謂うか、と。
子曰く、敏にして学を好み、下問を恥じず。
是を以て之を文と謂う、と。”

【読み】
しこう、といていわく、こうぶんし、なにをもってこれをぶんというか、と。しいわく、びんにしてがくをこのみ、かもんをはじず。ここをもってこれをぶんという、と。

【白文】
子貢問曰、孔文子何以謂之文也。子曰、敏而好學、不恥下問。是以謂之文也。

【現代語訳】
子貢が疑問を発した。「(問題なしとしない行動をとった)あの孔文子が、どうして《文》という(ような立派な)諡(おくりな)を得たのでしょうか」と。
老先生はこう説明された。「孔文子は明敏であり、学問を好み、後輩や目下の者に教えを乞うことを恥じなかった。そういうわけで諡号に《文》が贈られたのである」と。

【注釈】
1.「孔文子」は衛国の大夫(領地を持った貴族のこと)で、孔圉(こうぎょ)という人物。その没後、生前のありかたを表現する諡として「文」を得た。
2.「文」とは「学に勤め問うを好む」人柄を表わす。
3.「(問題なしとしない行動をとった)」というのは、当時の家族道徳に反する行動をとったにもかかわらずという文脈。


「教えを乞う姿勢」とは、なにも土下座をしろとか、下手に出ろ、ということではありません。

興味のある事柄について、教えていただきたい、学びたい、という謙虚な気持ちがあれば

相手の年やキャリアなどを問題とせず、自然と態度や言葉使いに、それが表れてくると思います。


「向上したい」という気持ちを持っていれば、教える側にも熱心さは伝わるでしょうし

「適当でいいや」という気持ちであれば、その心がそのまま伝わるのではないかと思います。



>この程度の礼節も無く、探求する事は、富士山に裸で登山するのと、何ら変わらない。

私は、常々、弟子に言うが、教えて貰うのではない。

教えて頂ける自分になれ。と、言う事です。

真摯に學びと向き合い、己の向上を目指すことは、時にはとても厳しいことに感じられるかもしれません。
それでも、その気持ち、心を忘れずに、一心に道を求めていくとき
開けた道の先に、「向上した自分」が待っているのかもしれないですね。



>ひたすら修練を重ね、涙しながらも、己れの信じた道を歩む。

そして、いつかは、その成果を、自分に問うのである。

結果は、修練の証し。

誰を偽る訳では、無い。



>私は、過去に様々な一流選手《オリンピック》と談笑してきました。

その中で言えることは、皆、礼節を重んじる人であることを、
皆さんに知って頂きたく、今日の記事を書いたのです。

オリンピック選手ともなれば、当然そういった厳しい世界で生きておられる方々だと思います。
まさに「礼に始まり礼に終わる」という言葉が当てはまるでしょう。


礼に始まり礼に終わる
【読み】 れいにはじまりれいにおわる
【意味】 1.何事も礼儀が大切であるという意味。
     2.敗者に対して、侮辱な態度を取ってはならないという意味。

【補足】 武道では、道場への入室時には必ず礼をします。練習や試合の前後にも必ず礼をします。武道を退場する時ももちろん礼をして終わります。礼儀を重んじる厳格なスポーツであり、相手への敬意を表すために心を込めて礼をします。


自分を取り巻く人間関係は様々あると思いますが

「相手への敬意」を忘れずにいたいと思います<(_ _)>



今日もありがとうございます



by jiyou-925 | 2016-11-04 09:00 | 「密教」リブログ

”密教 359 霊能犬”

密教 359 霊能犬



私たち人間も含め、動植物には未だ解明されていない能力がある、ということは

なんとなく知っているという程度には、広く認識されているのではないでしょうか。


師僧の記事にもあるカマキリの話しは、雪国在住の私も聞いたことがあります。


しかし、こういった事例は、多くが科学的裏付けがとれていない、

いわば「民間伝承」的な部分があるのも事実です。

「知っているけど解っていない」という状態ですね。

そういったものはたくさんあると思います。



霊能、というものもそのひとつです。

「霊能力」が、何故正しく認識されていないのかについて、

師僧は「探求心の欠如である」と言っておられます。


>他に教わる事が、当たり前的に生きて来た者には、
探究心とは何かが、解らなくなっているのである。


…この言葉、私の胸にグッサリと刺さりましたo(_ _*)o


「聞いてもわからない」

「どうせ私には理解できない」

途中で躓いたり、失敗するのが怖くて、学ぶ前から諦めてしまっている自分に気付かされました。






犬が持つ「霊的能力」も、そのひとつといえると思います。


>犬には、危険を察知する能力があります。

また、霊体の判別をする能力には、凄いものがあります。

私は、様々な犬に、霊的訓練を施しましたが、
どの犬も、立派に霊能犬として、活動しております。

例えば、悪霊の進入を防ぐ。

善霊と悪霊の区別など。様々に、貢献してくれます。


地震が起こる前などに、異常行動を示すなど、危機察知能力があることは有名ですが

善霊か悪霊か?を判別できる能力もあるんですね!



>大切なのは、受け止める人間側の、理解能力である。


普段から犬の状態をよく観察していれば、吠え方や尻尾の振り方などで

「いつもと違う、これはおかしいぞ」と、気付くことができます。


危険を察知した犬が、吠えることで飼い主にその危険を知らせても

受け取る側である飼い主が、犬の伝えたいことに気付かなければ

パートナーシップがとれているとは言えないわけです。


犬の能力を引き出し、見極め、理解する。

そのためには、自分が犬について、よく学ばなければいけません。


これは犬との関係に限ったことではなく、何事においてもそうですね。


>どんなに優れた道具で有ろうと、道具を使う方の力不足では、宝の持ち腐れである

要は、道具を、正しく使える様に、自らが學び、使いこなせる様になる事が、先決なのです。

知ろうとする気持ちと行動を、忘れないようにしたいと思います。

今日もありがとうございます



by jiyou-925 | 2016-11-02 09:00 | 「密教」リブログ

金剛山赤不動明王院 永作優三輝師僧のもとで霊的真理を學ぶ慈葉のブログです


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