人気ブログランキング |

<   2017年 02月 ( 25 )   > この月の画像一覧

密教463 宝剣との出会い

私が宝剣と出会ったのは、今から四十数年前。

岐阜県は、関に住む刀匠 藤原兼房氏の工房で、成田山新勝寺の宝剣を製作して居る時でした。

老刀匠は、心血を注ぎ宝剣製作に従事されて居りました。


当時、若僧だった私は感銘を受け、

何時の日か宝剣を使わせて頂ける様に成りたいと思って居りました。


其れから十年後、或る行者様に出会い、その夢が開花します。


その行者様は密教の行者であり、欲を捨て、

ただひたすらに密教の道に生きる方で、私は今でも御尊敬申し上げて居ります。


その行者様依り、或る日

『君は、何時の日か三本の宝剣を手にするで有ろう。

その宝剣を使い、世に苦しむ人々を救いなさい。そして、悪鬼羅刹を宝剣で調伏しなさい』と

言われたのです。


そして今、正にその通りになって居るのです。


当院所蔵 不動明王尊破邪の剣




他を誹謗中傷する事は、口から毒を吐くのと同じであり

その毒は、やがて自身を滅ぼすことに成ります。


その時、氣づいても遅いのです。

真実を嫌い、まやかしの中に生きる時、破滅への速度は倍加します。




誹謗中傷を飯のタネにして生きる時、身体は腐り果てます。

真実に生きる時に救いの道は開かれ、例え宝剣の刃が肉体に触れようが

肉は切れず、骨も切れず、己が煩悩のみを両断するのです。



真に有難いのが宝剣の力です。

本当に宝剣の力をお知りになりたい方は、お出で下さい。



南無大日大聖不動明王尊

金剛合掌

金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝




またひとつ、宝剣が誕生した背景を知ることが出来ました。
師僧に心より感謝申し上げます<(_ _)>

やはり、時代の流れのなかで、宝剣の必要性が高まってきたのですね。

師僧は、常々「自分は御本尊様の道具である」と仰います。
師僧のもとに三振りの宝剣が揃っているということは、
つまり、御本尊様が人々を救わんとするために、必要としているということだと思います。

生活が豊かに、便利になる一方で、
悲しいことですが人は謙虚さを失い、心を荒ませ、利己的になってきているのかもしれません。

御本尊様は、正しい信仰心を持つ者はもちろん、
煩悩の闇の中へ堕ちた者をも見捨てず、救わんとして、
憤怒相で剣を握り、羂索を手にしておられます。

煩悩のなかで開き直り、あえて間違った方向へ突き進んでいては
「助けたい」と願う仏様の御手から離れていくだけです。

迷ったとき、悩んだとき、「自分だけが辛い思いをしている」と
自分の殻に閉じこもってしまいたくなりますが、例え暗闇のなかに居るときでも
正しい心を忘れなければ、仏様は寄り添ってくださっています。

自分の心の状態を確認するために、たまにはゆっくりと時間をとってみませんか?
客観的な視点を持ってみてくださいね。


今日もありがとうございます*



by jiyou-925 | 2017-02-28 06:00 | 永作師僧からの便り

密教462 祈祷

密教に於いて、祈祷は命脈である。

例えば、国家鎮護の祈祷、平素の祈祷、どれを取っても一命を掛けて挑みます。


今回、当院では、三鈷の剣が三振り揃いました。


大刀 : 刃渡り80㎝ 

中刀 : 刃渡り50㎝

小刀 : 刃渡り40㎝


何れも本身《真剣》銃刀法の許可済の刀である。


当院では、此の宝剣を使い、様々な祈祷を遂行し、

また、要望があれば一般の方々の加持祈祷にも使わせて頂きます。


当院 護摩祈祷厳修時


祈祷をご希望の方には、真剣を拝観して頂きます。

《希望する方には、写真を郵送いたします》



宝剣の柄は、弘法大師空海が将来された三鈷杵と同型の物を使用して居ります。


空海 御招来三鈷杵《東寺所蔵》



密教の宝剣加持は、有名な大寺院では、古来依り特別な祈祷のみに使用されて居ります。

お調べ頂ければ、一目瞭然であります。


当院の様な単立寺院にある事は稀であり、此れは一重に多方面の方々のご協力の賜物であり、真に有難い事と感謝申し上げて居ります。




南無大日大聖不動明王尊

蓮華合掌

金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝




当院所蔵 不動明王尊破邪の剣


画像の剣は、昨年12月に完成した宝剣です。
さすが真剣…美しいですね。

破邪の剣とは、不動明王尊が右手に握っておられる剣の事。
この剣で、肉体を傷つけること無く
私達の煩悩や魔をバッサバッサと打ち払ってくださるのです。


師僧の決意の下、現代に誕生した宝剣です刀

この剣が打ち上げられてから三百数十年の時を経て
現代で三鈷剣として産声を上げたことの意味。

大中小と三振り揃ったことの意味。

決して、師僧の道楽ではありません。
今、この現代社会を覆う≪瘴気≫を祓うに、必要不可欠なものなのだと思います。

世界に目を向ければ、マレーシアでの要人暗殺事件も、韓国大統領の癒着問題も
アメリカの大統領選の結果も、日本の平凡な一般市民の生活を即脅かすものではありませんが
それらが元になり混乱をきたしていることは、連日のニュースの通りですし
国内においても自然災害や、猟奇的犯罪、生徒・児童のいじめ問題などの増加が目立ち
不安に苛まれている方も少なくないと思います。

不安な気持ちに付け込もうとしている《魔》は、案外近くにいるものです。

不安感を煽り、詐欺を働く輩もいれば
過度の不安、心配といった念に引き寄せられてくる未浄化霊もいます。

宝剣が誕生した意味。
それは、安穏としていられる状況ではない、ということの
一つの表れなのではないかと思う私です。


今日もありがとうございます*


by jiyou-925 | 2017-02-27 06:00 | 永作師僧からの便り

密教461 祭壇も無い

宗教家を名乗り、祭壇も法衣も法具も無い宗教家が居るだろうか?


私の寺は、再三言って居るが私の私財を投げ打って開山した

単立寺院である。


当院 赤不動明王院




護摩壇は小さいが、護摩炉は普通の密教寺院の倍の大きさである。



当院 護摩炉 法具 不動明王尊剣 



護摩を知る者ならば、如何に困難であるか解るはずである。


普通の者がこの状況で護摩を焚いた場合、火事に成るで有ろう事は常識である。


1487923190150.JPEG

当院 護摩祈祷厳修時



然るに私の寺を愚弄する者が出て来たので、私は全力で相手をする事にした。

子供のケンカでは無いので!

当然、どちらかが果てるで有ろう。


私は持てる力を全て発揮する!!

文句があるなら直ぐ来なさい!



私には姑息な脅しなど通用しない事を覚悟して来るが良い!


其れから、スパイ行為をして私を誹謗中傷した者も

ただでは済まされ無いことを覚悟するが良い。



熊野本宮大社より、和紙製の特別な祈祷済みの熊野誓紙が
近々届く予定です。

こちらは一般の方が入手することは、大変困難です。

誓紙血判の上、お相手致します。




永作優三輝


by jiyou-925 | 2017-02-26 06:00 | 永作師僧からの便り

密教460 誹謗中傷する輩

他人を某称で批判する輩の正体は姑息である!



私は、その正体を知って居る。



私が暴露すれば、その輩は全てを失う!!



私は姑息な事が大嫌いである。

衆人環視の中、正々堂々と闘う。




次は一例である

・麻薬に手を出し、収監後に生活が出来無いと虚偽。
その裏で、車を別れた旦那名義で利用し、生活保護を貪る輩!!


・寿司屋で働き、経営者の庇護を受け、中居でありながら店長給料を貰い
車も住居も与えられ、何不自由無い生活。このことを会社は知らない。




全ては自由である。

しかし、真面目にコツコツと頑張って居る人の搾取の中に成り立って居る事は

事実である!!



これが全て許されるのであれば、人間の尊厳など存在し無い!





私は、まだまだ知って居る。


しかし、言っても詮無い事。

彼等が前非を悔いて懺悔するならば、公表はしません。




しかし、あくまで対戦するなれば全て証拠を公にします!

そして、公けの判断に任せる事にします!




私は本気である!!

所詮、他人を誹謗中傷する輩は、

最後は痛い目に遭わなければわからない存在かもしれません。




私は、元々は武士。

一分は忘れない。

武士に一分は晴らします。



卑怯者、詐欺師、来るなら来なさい!


但し、容赦無用でお相手致す。



永作優三輝






by jiyou-925 | 2017-02-25 06:00 | 永作師僧からの便り

密教459 誓紙血判

私の過去は、武術家である。

空手も古武術も修行し極めて来た。


古武術 こぶじゅつ

日本古来の武技,武芸。剣術,柔術,砲術,忍術,居合術,捕手術 (とりてじゅつ) をはじめ, 槍,棒,杖,鎖鎌,手裏剣,十手,鉄扇などを用いた武芸をいう。
戦闘や合戦,試合のなかで生れ,それぞれの流祖が生死を賭けて培ってきた闘争の技術である。



現在は、僧侶である。

私の武術家時代は、敵に後ろを見せたことは無い!


正に修羅である。


興福寺 阿修羅像

阿修羅
阿修羅(あしゅら、あすら、असुर、asuraの音写、意訳:非天)は八部衆または二十八部衆に属する仏教の守護神である。修羅(しゅら)とも言う。
大乗仏教時代に、その闘争的な性格から五趣の人と畜生の間に追加され、六道の一つである阿修羅道(修羅道)の主となった。



立ち合えば命掛けが当たり前の生き方をしていたが、

両親の死後、修羅は封印し

仏門に帰依し、現在は爺である《笑》

しかし、心は武人である。



昔、徳川家康は、戦の前には、熊野誓紙に血判を求めた。



熊野牛王神符(くまのぎゅうおうしんぷ)

カマドの上(現今はガスの元栓)にまつれば火難をまぬがれる
門口にまつれば盗難を防ぎ
懐中して飛行機、船にのれば、船酔い災難をまぬがれる
病人の床にしけば、病気平癒となる
このように、熊野牛王神符は、熊野信仰の人々をあらゆる災厄からお守り下さる御神符です。
さらに時代が進み、鎌倉時代になるとご神符は「誓約書」ともなり、江戸時代には「起誓文」の代わりとしても用いられました。
これは古くから「熊野権現への誓約を破ると、熊野大神の使いである烏が一羽亡くなり、 本人も血を吐き地獄に堕ちる」と信じられてきたことが背景にあります。

熊野本宮大社HPより引用



熊野誓紙は、一度、誓いを立て誓紙血判した場合、その約定を破棄する時、

血反吐を吐き絶命すると言われて居る。

《私は、誓いを破ったことが無いので今も生きている》




僧侶も同じである。

裏で誹謗中傷する暇があるのなら、正々堂々とすれば良い!

当院に「逃げ」は無い!断じて無い。

その為の太刀も用意してある。


63歳になる師僧の腕です



私は、武士の家系であり、武士の一分も心得て居る。

従って、刀も槍も錆び一つ無く保管して居る。

《全て、銃刀法の許可証のある本物》

他を誹謗中傷する輩には、躊躇なく一刀両断にする覚悟は持って居る。


来たれ!



永作優三輝


by jiyou-925 | 2017-02-24 06:00 | 永作師僧からの便り

密教458 放念と忘却

人間は、様々な悲しみや忘れたい過去を引きずり、悩む場合があります。





そんな時は、放念し忘却してください。

放念とは、自身にとって學びにもならないどうでもいい事を忘れて、

新たな事に向かう時、有効な手段である。

何時迄も思い悩まず放念しましょう。


イジメられた事、理不尽な事、全て放念し、明るく生きる事である。

つまらない事に煩わされず、あなたの人生を生きるのです。


忘却とは、忘れ去る事であり、過去、現在に捉われず

自身の學びにもならない事は、忘却してください。


放念
気にかけないこと。心配しないこと

忘却
すっかり忘れてしまうこと。忘れ去ること。



負の感情からは、正は生まれません。

また、負の感情を撒き散らす輩は、自滅します!


昔の言葉に、「馬鹿を相手の時で無い」と云う言葉があります。


くだらない事は一刻も早く放念し、忘却する事です。

それは、あなたの未来を輝かせる事にも繋がるのです。



あなたの未来は、あなたの心がけ次第なのです。



負の感情に捉われ生きる者は、哀れな人生を辿ります。

學びを深め自身の人生を輝かせる事こそ、生きる目的であり、目標なのだから、

そのあなたが負の感情や、依存型であっては、正にはほど遠いのである。



あなたの人生は、あなたが作るデコレーションケーキなのです。

様々に飾り、フルーツやクリーム、チョコレート、キャンドル、

全てあなたが作り仕上げるのが、本当の人生なのです。





あなたの人生を無駄にしてはいけません。

氣づき立ち直り、新たな人生デコレーションを楽しんでください。




南無大日大聖不動明王尊

蓮華合掌

金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝



辛い過去や、苦い思い出。

深く心に刻まれたことほど、忘れることは容易ではありませんね。


私にも黒歴史があり笑

時々、思い出しては心を乱すことがあります。


そんなときは、師僧からいただいた言葉をおまじないのように繰り返します。


「忘れ上手は、生き上手」


起きてしまったことや、過ぎたことをいつまでも心に残さず

放念して、手放しなさい。

そうして新たな一歩を踏み出すとき、以前より悪くなっていることはない。

マイナスでなく、いつでもゼロから始められるんだよ、と

教えていただきました。



その時、「忘れていいんだ」と、ハッとしたんです。
同じことを繰り返さないために「忘れてはいけない」と、思い込んでいたことに
氣づかされました。

もちろん、心に深く刻まれたことを簡単に忘れることはできませんが
「忘れてもいい」ということが、心を軽くしてくれたのです。


過ぎ去ってしまった時に、いつまでも心を残し執着するのは
自分の心を苦に縛り付けていることと同じです。


時間の経過とともに、人の心も移ろうのが自然なことです。
「心の衣替え」をしたら、明るい未来への一歩を踏み出しましょう。


今日もありがとうございます*




by jiyou-925 | 2017-02-23 06:00 | 永作師僧からの便り

密教457 學ぶ事

人間は、様々に変化します。
だが、學ばずに変化を期待しても何も変わりません。



怨みや怒りの感情に捉われて居るうちは、何も學べません。
かえって學びから遠ざかり、益々負の感情に支配され
今ある生活さえも崩し、暗闇の中に喘ぐ結果となるのである。




負の感情を正に切り替え學びに生きる時、人は驚くような変化を知る事に成ります。



棚から牡丹餅などあり得ません。
棚から牡丹餅を信じて行った結果が、自身の不幸に繋がるのである。

賢者は歴史に學び、愚者は経験に學ぶ。
名言である!

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。
「愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む」の意。

オットー・フォン・ビスマルク(1815年 - 1898年)
初代ドイツ帝国宰相


経験して泣く前に予習をしていれば、経験に泣くことは無い。

予習とは何か?
人間界にある事で歴史を紐解き學ぶ時、答えの無い事象など存在しない事を
あなたは知るで有ろう。


その逆に、自身で學ぶ事もせず依存に頼る時、
其処にあるのは、以前に堕ちた穴より深い穴である。
それは、あなた自身が選び、没入したに過ぎ無いのである!


そして、また次なる依存に身を任せる時、
その人間は、這い上がる事の出来無い事態に成る。
此れを怠惰の海と言い、終生、彷徨い続けるのである。


そして、何時も言う事は、
「私は騙された」「私は被害者」
正に救い難い人生である。
原因が無ければ結果は生じません。


法華経で言うところの原因結果である。
蒔かぬ種は生えぬ。



自らが蒔いた種は、自らが刈らねばならないのが因果の法則であり、
種を蒔き続ければ、未来永劫に渡り刈り続け無ければならない。
此れを因果応報と云うのである。


南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝



人生、特別良い事もなく、悪い事もなく、ずっと平坦…という人は居ません。
魂の経験値を上げるために生まれてきている以上、
人は誰でも喜怒哀楽を感じながら生きていると思います。

良い流れに乗っているときに、ネガティブな感情を持つ人は居ないと思いますが
悪い流れのときには、自分ばかりが損をしているような気分になるものだと思います。

くやしい、かなしい、つらい…といった感情に、心を支配されることもあるでしょう。
そんな時、何故そうなったかを省みなければ、前に進むことは出来ません。
自分の行いを省みて、氣づきを得るという体験こそが即ち學ぶということだと思います。


師僧がよく仰いますが、怒りや憎しみでカーッとなっていても
その感情を排除し、クールダウンして、「理性的に俯瞰する」ことが
出来無ければいけないのですね。

躓いた原因を見つけて、行いを正すことができれば
悪い流れを断ち切ることが出来ます。

依存や怠惰という暗闇に逃げ込むことは楽ですが
そこから得られるものは、何も無いのです。

わざわざ悪しきカルマを積み上げることはありません。



今日もありがとうございます*



by jiyou-925 | 2017-02-20 06:00 | 永作師僧からの便り

密教456 想う心

今、自分が居るのは、親御様を始め千人以上の御先祖様がおわせられたおかげで
成り立って居ます。



親に考、先祖に感謝し日々を生きる事は、現界に生きる私達の勤めであり
感謝無くしては、己がしあわせを望むべくもありません。

考(こう)
両親を敬い、子としての道を尽くすこと。孝行。 「親に-を尽くす」

大辞林第三版


今、自分がある事に感謝し、御先祖様に恥じ無い生き方を心がけ日々を過ごす時、
あなたの未来は、確実に変化します。

その逆に、自分本意に感謝も無く生きる時、結果は推して知るべしである。


人は、それぞれに能力があり、感受性も感性も同じ者は居ないが
どんなに優れた能力を有して居ても、感謝と感動の無い者の末路は
推して知るべしとしか私には言う言葉が無い。


和合調和を嫌い、自身を誇張鼓舞する者の末路を推して知るべし。

想う心は、究極、自身を救う道に直結していることを一日も早く知るべきと
私は考えます。



南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝



あまり遠くの御先祖様のことを思う機会はなかなかありませんが
そのなかの誰か一人でも欠けていたら、「自分」という存在は
この世に誕生しなかった可能性もあるわけで…

うーん、改めて考えると感慨深いです。

苦しい時や辛い時には、「自分なんて生まれてこなければよかった」と涙に暮れ、
あまつさえ親を怨んだりしてしまうこともありますが…
霊的真理を學んでいくと、大きな意志の元、この世に生まれ出てくるということがわかります。
學んでいくために、この世に自分を誕生させるために、
「親」というのは不可欠な存在なのです。

虐待されて育ったり、親の顔を知らなかったり、様々な事情によって
「親を許すことができない」という感情をお持ちの方も少なくないと思います。

私もそうでした。

ですが、寝たきりとなり、体も動かせず、言葉を発することも出来ず、
緩やかに「死」へ向かうだけの父の姿を見たときには
「ああ、私を育てることも両親の學びのひとつだったのだ…」と、不意に腑に落ちました。

そうしたら、急に憐みの気持ちが湧いてきたのです。

感情のままに手をあげ、大声で怒鳴りつけていた娘に世話をされるのはどんな気持ちか…
それを知る術はありませんが、不自由な体になってみて、
初めて思うこともあるのではないかな…と思います。


「自分なんて生まれてこなければよかった」
「絶対に許せない」
そう思う方にも、きっと自分の心を見つめなおしたり、
氣づきを得る機会がやって来ると思います。

嫌だったこと、悲しかったことを無理に思い出して、それらのことを
肯定する必要はありませんが、自分の存在を否定しないでください。

私たちは魂の成長のために生まれてきたことを知り
憎しみや怒りに支配されずに、自分の人生を生き、學んで行きましょう。

今日もありがとうございます*



by jiyou-925 | 2017-02-19 06:00 | 永作師僧からの便り

密教455 後悔し無い人生

生きて行く中で様々な困難に直面した方は、少なくないでしょう。



生きる事は、學び。
小学生には、小学生の學び、中学生にも高校生にも各段階に応じた學びがある様に
大人になれば生きる學びがあります。

生きるとは、納得できない事や、理不尽な事の連続です。
しかし、いちいち嘆き悲しんで居ても、なんの解決にもなりません。

その逆に、疑心暗鬼や自己嫌悪、人間不信に陥り
ネガティブ感情を支配され、やがて自身の人生を崩壊させてしまう要因に成ります。

ネガティブ感情に執着して、大切な自分の人生を無駄遣いし、後に後悔の人生を送るより
放念し、新たな人生を送る時、あなたの前には、明るい未来が開けます。



理屈や屁理屈の中には、向上心も何も生まれません。
その答えを知って居るのは、誰でもありません。
あなた自身なのです。

自身の信じる道をひたすらに歩む時、真理をあなた自身が悟るのです。

押し付けでは無い人生。
自身の人生を輝かせる事が出来るのは、あなた自身の努力なのです。


南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝



>生きることは、學び。

何気なく生きているつもりでも、実は日常の様々なことが學びの連続なのですね。


仕事や子育て、介護など、自分の思い通りにいかないことを
なんとか苦心しながらやっていくことも學びです。

学業ではなくて、心の行とでもいいましょうか。
人と関わっていくなかで、自分自身と向き合い
周囲も自分も納得できるような方法、やり方を模索していくことが
そのまま學びになるのだと思います。

実際、何か問題が起こったとき、理屈をこねているだけでは
解決には向かいません。
また、占いや不思議な業に頼ってばかりでは、それは自分で考えていないので
學びにはならないのです。


いろいろとうまくいかなくて、落ち込んでしまうことは誰にでもあります。
一時的に、悲しみのなかにどっぷり浸かってしまっても
そのなかで一筋の光を見出し、自分の力で立ち上がることも
同じように誰にでも出来ることなのだと思います。


うまくいかなかった過去に捉われない、引き摺らない。

…と、自分にも言い聞かせている私です<(_ _)>

今日もありがとうございます*



by jiyou-925 | 2017-02-18 06:00 | 永作師僧からの便り

密教454 自由と責任

人間は自由である!




しかし自由には、責任が伴うことを忘れてはなら無い。

最後は、その責任に依って、償いが待って居ます。


全ての人に例外無く待って居るのが自由と責任の法則である。
自身が正義と思い、行う行為にも責任は伴います。


あなたの一言が、もしかしたら人を傷つけているかも知れません?
また、あなたの行為が愛する人に重荷を背負わせているかも知れません?




人間は、傲慢に成った時、大きな罪を犯します。
人間に必要の無い感情は、傲慢である!

傲慢に成る事は、人間を人間と見ずに自身を王様に仕立て上げ、
傲慢の限りを尽くします。



人間は譲り合い、助け合い、分かち合う時、調和と言う素晴らしい道に
辿り着くのである。

啀み合い、そしり合う時、全ての調和は崩れ、争うの渦中に没入するのである。





南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝



>あなたの一言が、もしかしたら人を傷つけているかも知れません?
また、あなたの行為が愛する人に重荷を背負わせているかも知れません?

<三重母親殺害>高3容疑者「大学受験で小言言われ口論に」

母親(47)を自宅で殺害し遺体を物置に遺棄したとして三重県四日市市の高校3年の少年(18)が殺人、死体遺棄容疑で逮捕された事件で、少年は県警の取り調べに「大学受験に関して小言を言われて口論になり、お母さんを殺してしまった」と供述していることが16日、捜査関係者への取材で分かった。

逮捕容疑は14日、自宅で母親の首をナイフのようなもので複数回刺して殺害し、遺体を庭の物置に遺棄したとしている。県警捜査1課と四日市北署によると、司法解剖の結果、死因は首の刺し傷による失血死で、死亡推定時刻は14日午後2時ごろと判明している。

少年は県内の進学校に通っており、大学受験の最中だった。両親と中学生の妹との4人暮らしで、事件当時は自宅に母親と2人でいた。捜査関係者によると、少年は自宅1階の台所にあったペティナイフ(刃渡り約12センチ、最大幅約3センチ)で刺したことを認め「かっとなってやった。(遺体を)隠すために倉庫(物置)に運んだ」と供述しているという。1階の床には血痕が拭き取られた跡が見つかった。

毎日新聞

聞いたばかりのこのニュースを、真っ先に思い出してしまいました。
この親子の間で、どんなやり取りがあったのかは想像するしかありませんが
お互いの意見を尊重し合える関係であったなら、
こんな悲しい結末を迎えずに済んだのかもしれない…と
同じ年ごろの子供を持つ身としては、やりきれない思いです。

同じ屋根の下に暮らす家族の間でこそ
譲り合い、労わり合い、尊重し合うことが大切なのではないでしょうか。
家庭に於いて、子供は大人から尊重されることを學び
友人関係でもお互いを尊重するようになっていき、学校生活や子供のコミュニティのなかで
家族以外の人間関係をスムーズに築いていけるようになるのかもしれません。


人の気配りに胡坐をかいていては、調和は生まれません。
謙虚な心で、自分を観察してみることが大切ですね。


今日もありがとうございます*


by jiyou-925 | 2017-02-17 06:00 | 永作師僧からの便り

金剛山赤不動明王院 永作優三輝師僧のもとで霊的真理を學ぶ慈葉のブログです


by 慈葉
プロフィールを見る
更新通知を受け取る