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<   2017年 03月 ( 26 )   > この月の画像一覧

密教492 尊敬、敬愛

私の若年時代は、しあわせである。

唐手の師匠、剣術の師匠、古武術の師匠に教えを頂き、

父母亡き後には、法華経の師僧、密教の師僧に教えを賜り、現在があります。




そして、敬愛する文学者の諸先生方に教えを賜り、感性の大切さを學ばさせて頂きました。


思えば、各諸先生方には、尊敬と敬愛の念を禁じ得ません。


拙僧も早、上記の諸先生方の御年に近づき、回想するも、

人間にとって、尊敬、敬愛の念が如何に大切であるかを再認識して居ります。


文武両道、何方が欠けても、今の自分は無かったと

しみじみと考える今日この頃である。



人間には、波長の法則が付き纏い、何人なりと此の法則から逃れる事は出来ません。


心に尊敬と敬愛の念を持つ者には、師の導きがあり

心に卑しさを持つ者には、餓鬼がまとわりつく。

これは、変え難い法則のなせる業であります。



しあわせを望まぬ者は無いが、真にしあわせを望むのであれば、

先ず尊敬と敬愛の念を學び持つ事である。



しあわせを実現する事は容易であります。

自身を認める時、しあわせは駈歩であなたのもとにやって来ます。



しあわせは、追うものでは無く、招き入れるものである。

招き入れ方は、簡単明瞭です。

敬い尊ぶ心を養えば良いのです。



南無大日大聖不動明王尊

蓮華合掌

金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝



誰でも「しあわせになりたい」という気持ちを持っていると思います。

何がしあわせかは、人によって違うと思います。
でも、師僧はひとつ大切な事を教えてくださいました。

『尊敬と敬愛の念を持ち、自身を認めること』

人を敬う心、愛する心を持ち、自分を卑下することなく受け入れる。

簡単なようで、案外出来ていないのかもしれません。


学校や職場などで、つい人と比較してしまうことってありますよね。
人と比べて、自分が劣っていると感じた時
「どうせ私は…」と、つい考えてしまっていないでしょうか。

「私には出来ないわ」
「自分にはどうせ無理」

このような考え方をしていると、次第に自分に自信を無くしていったり、卑屈になったり。。。
では、そうならないためにはどうしたらいいのでしょうか?

簡単です。
「できない自分」を素直に認めることです。
そこで卑屈になって諦めてしまうのではなく、
「できるようになるためにはどうしたらよいのか」を考えればいいのです。


人に教えを乞うことは、負けでも恥でもありません。

自分が優位な立場でいたい、という妙なプライドは不要なものです。


自分に無いものを持って居る、自分には出来ないことが出来る人を
羨んだり妬んだりしているだけでは、自分の成長はありません。

相手が先輩であれ、後輩であれ、素直な気持ちで教えを乞い
相手を敬うことができるようになれば、未来は素敵に変わっていくことと思います。

「だって…云々」
「どうせ…云々」等々
不満顔でいては、同じように不満を持つ人しか寄ってきません。

まわりの友人や家族も、不平不満ばかりを聞かされては嫌な気分になるでしょうし
反対の立場だったらどうか?を考えてみてください。


しあわせにしてもらうのを待つのではなく、自らしあわせを呼び込んでいきましょう💛


今日もありがとうございます*



by jiyou-925 | 2017-03-31 06:00 | 永作師僧からの便り

密教491 報恩謝徳

恩に報いることに依り、様々な謝徳を得ると云う事は

古来依り受け継がれて来た美徳であります。




例えば、自分は恩返しが頂きたくてやった事ではないのに

考えもしなかった出来事で幸せな生活を得る事が出来た。

これは、正に報恩謝徳である。



報恩謝徳(ほうおんしゃとく)
恩に報い徳に謝す。
恩に感謝し報いること。
その徳に感謝して受けた恩に対して自分のできる限りのことをしようという気持ち。

報恩は受けた恩に報いることで報徳ともいう。
謝徳は受けた恩に対して感謝の気持ちを表すことで謝恩ともいう。

厳密には恩に報いるのではなく、受けた恩徳に対して如何ともしがたい感謝の気持ちが芽生えてどうしても報いたくなることを示す。

(四字熟語図書館)


私達は、ともすれば見返りを望んでしまいますが

我が子に対して見返りを求めますか?

そう、見返りを求めることはないでしょう。

正に無償の愛があるからです。




見返りを求めて行う行為は、傲慢であり、物質的価値観と言わざるを得ません。



結果を求めず、結果を追わず、常に感謝し生きる人は幸いである。


その逆に、「こうして、ああしてやったのに」と考える時、

其処には安心どころか、不幸の種が芽生えて居るのです。


一度、不幸の種が芽生えてしまえば、

尋常一様な事では刈り取る事は出来ないのが現実なのです。




この世《現界》に生を成し、學びに意欲を燃やしていた時の自分を思い出す事は容易です。


自分がつまらない小我を棄て、本来の自分に戻り

素直な心で自身を認める時、報恩謝徳の意味を理解できるのである。



南無大日大聖不動明王尊

蓮華合掌

金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝




「ありがとう」
「お蔭様」
そういう感謝の心を持つことは、ごく当たり前のような気がしますが
我欲に走ってしまうとき、「感謝の心」は置き去りにされてしまいます。

忙しくて、時間にも心にも余裕が無いときには
自分のペースで事が運ばないと、ついイライラしてしまい
他者に対する思いやりや配慮が欠けてしまいがちです。

それも例えば配偶者や子供など、身内に対しては甘えがあり
殊更に厳しい物言いや態度に出てしまう事もあると思います。

親子だから、夫婦だから、やってもらって当たり前
してくれるのが当然ということはありません。

朝、起こしてもらったり、お茶を淹れてもらったりという日常の一コマに
「ありがとう」という言葉を添えてみてくださいね。
尊重されると、人は嬉しいものです。
今度は、あなたを尊重してくれるようになります。

感謝の心は笑顔を引き寄せますニコニコハート

今日もありがとうございます*




by jiyou-925 | 2017-03-29 06:00 | 永作師僧からの便り

密教490 御刀供養

以下は、御刀供養にまつわるお話である《依頼者の了解済み》


古来依り、刀は武士の魂と申しまして、大切にされて参りました。

依頼のありました御刀は、さる名家の家に伝わる御刀であります。


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(宝剣以外は依頼のあった御刀です)



刃渡り80センチの業物で、銘も立派な名刀である。


業物
わざ‐もの【業物】
名工の作った、切れ味のすぐれた刀。名刀。「正宗の鍛えた業物」

(デジタル大辞泉の解説)


わざもの【業物】

名工の鍛えた切れ味の鋭い刀。

むずかしい曲。 「木樵・汐汲の-などの翁形をしよせぬれば/風姿花伝」

(大辞林 第三版の解説)



私は作法に則り、御刀を供養申し上げました。

その結果、思わぬ幸運が名家にもたらされたのです。

《依頼者の元に起こったのです》



依頼者は、真面目一方な性格で、浮いた噂も無い親孝行な方である。


そして、家にある刀が錆び、朽ち果てる事を哀れに想い

私の寺にお持ちになられました。


しかし、その刀は血刀だったのです。



血刀
人などを斬って血にまみれた刀のこと

三省堂 大辞林



私は刀を懇ろに供養し、研ぎ師さんと相談し、元の美しい輝きを取り戻すべく

努力を続けて居りましたところ、正に驚くべき結果が訪れたのです。



何と、結婚が決まったのである。

今まで結婚など諦めていた依頼者が、一生の伴侶を得たのです。


※注釈※

刀には、不思議な力があり、朽ち果てて居れば今回のような事はありません。

刀は、美しく研ぎ、再生する事で、本来の持ち主の居る世界に帰ることが出来るのです。

そして、帰ることが出来た御礼に、今までの持ち主に大きな幸せをもたらす事が多々あります。



私は、過去にも数回、同じような経験をして居るので解ります。


刀には魂が宿り、そして、良き主人に仕える事が刀の本懐なのです。

言わば、今回の事は、刀の恩返しと云うべき結果なのです。


古くとも良い物には、昔から魂が宿り、持つ者を守護します。

古くて良い物を大切にする心こそ、日本人の美徳ではないでしょうか。




南無大日大聖不動明王尊

蓮華合掌

金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝




師僧の御供養により、名工に鍛えられた刀が、

無事に本懐を遂げることが出来たのですね。


刀が良き持ち主に恵まれたこと、そして、何より持ち主である依頼者の方のお人柄によって
良縁に恵まれたのでしょうね。

例えば、同じ供養を施した刀でも、持ち主の心根が良くなければ
こういった結果にはならなかったと思います。

せっかく良縁に恵まれたり、幸運が舞い込んできたとしても
棚から牡丹餅くらいの気持ちで、そのことに胡坐をかいたり、驕ったりしていたら
やがて落ちぶれるのは自明の理でしょう。




日本には「勿体ない」「お蔭様」という素敵な言葉があるように
昔から物を大切に扱ってきたのだということが、よくわかります。
針供養などは、正に代表的な行事ではないでしょうか。

細くて小さな針一本にも
「ありがとう。お疲れ様」と感謝して手を合わせる。
そういった思いやりの気持ちを、私達は忘れてはいけませんね。

今日もありがとうございます*




by jiyou-925 | 2017-03-28 06:00 | 永作師僧からの便り

密教489 心霊現象


心霊現象とは、何故起こるか?

それは、霊と成った者が現界の私達に送るメッセージなのです。


メッセージの内容を知れば、怖れる必要も何もありません。


以下に一例を挙げれば


①遺族に自分がやり残した事を伝えたい

②愛する人へのメッセージ

③物品への執着心

④危機を知らせたい一心



様々にありますが、以上の事は一心を込めて向き合えば、遺族の方なら分るでしょう。



以下は、上記以外の現象を基軸とした場合に起こる危険な事である


①ラップ現象《騒音現象》

②物品消滅現象

③悪臭現象

④異様な心霊写真《撮影》




まだありますが、代表的な例題を挙げてみました。



以上の場合には、冷静沈着が最も必要であると共に、

後の行動がその後の結果を大きく左右する事が多々あります。



先ずは、事象を記録し、然るべき機関に依頼する事《信用の出来る機関》

素人判断は危険です。

同時に科学的検証が必要であります。

以上の項目を具備し多方面の検証が不可欠です。




いたずらに騒ぎ立てる事は、返って事を悪化させる事に繋がり易いので

注意が必要です。


どんな事でも、先ずは冷静に対処する事が良いと私は考えます。



南無大日大聖不動明王尊

蓮華合掌

金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝



私はそういった方面に鈍感なのか、祖母が他界したばかりの頃
家族全員が夜中に「祖母の気配を感じた!」と言っているなかで
私だけが「ええぇ?」と気付かなかったという事がありました笑


肉体を去った魂は、私達にメッセージを伝える術が無いので
《現象》として伝えようとするのですね。

うまく伝わらなければ、気付いてもらえるまで何度でもアクションを起こすし
伝わるように、表現も大げさなものになっていくのは、生きてる私達となんら変わらないのです。


ただ、なかには悪意を持って恐怖を感じさせることを楽しむ低級霊がいることも確かです。

君子危うきに近寄らず
事件事故があった場所や、心霊スポットと呼ばれるような場所には
近づかないほうが賢明です。


今日もありがとうございます*



by jiyou-925 | 2017-03-27 06:00 | 永作師僧からの便り

密教488 貧富


貧を知らずんば富を知らず。

貧しさを真に學ぶ時、富の本質を知る事が出来ます。


富を得る事だけに走れば、物質的価値観に翻弄され、本来の人間としての學びを失い

常に枯渇した心に自らが苛まれ、人間としての尊厳をも失うであろう。



富む者は、貧しき者を救い勤勉に勤める。

此の理想が実現化する時、犯罪も妬みも無い世界が具現化します。







しかしながら、現実化されないのも人の世であります。


富を持つ者は依り多くの富を求め、貧に喘ぐ者は富を妬み

富む者は貧する者を蔑むのが現状である。


しかし、人間には一つ平等が存在します。


それは、死である。


どんな富豪であれ、貧する者であれ、必ず死を迎えます。





死から逃れることは、何人たりとも出来ません。

そして、死する時、何一つ持って行く事も出来ません。


お金も家も、形ある物は、現界に残していくしかない。


泣いても笑っても、其処には貧富の差も存在しません。



但し素晴らしいものを土産にする事は出来ます。


感動です。

様々な経験を積んで来たあなただから出来るのです。


経験を感動にに変換する時、最高の土産に成るのです。




何処への土産か?

霊界で待つ仲間への土産であります。


あなたが現界に旅立つ時、涙で見送ってくれた仲間が

次は優しく拍手で迎えてくれるのです。


全ての真理を知る時、貧富の差など無かった事を知るであろう。



南無大日大聖不動明王尊

蓮華合掌

金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝



どうやら私は今世の學びのなかに、金銭に関する課題があるのか

お金についてのトラブルや、考えさせられることが多々ありました。

(自らが借金をこさえたとかではありませんが…。)




私が経験から言えることは「身の丈に合った生活をする」です。

自分で収入と支出のバランスを考えていないと、アテにされる周りが迷惑します。
親だから、子供だから、親戚だから…といった理由で、
助けるのが当たり前だと思うのは間違いではないでしょうか。

本当の意味で助けるというのは、お金を出してやることじゃなく
生活を立て直す機会を与えることだと思います。
「自立」することを助けるんです。

しっかりと当事者が向き合わない限り、問題の根本的な解決は望めません。


天は自ら助ける者を助く
他人に頼らず、自立して努力する者には天の助けがあり、必ず幸福になるという意味。
怠惰な者には、決して幸福は訪れないということ。


お金が無いのは、誰だって嫌です。
そこで「食べていけるだけあれば十分」と思えるか
「ああ、今日も苦しい、明日はどうしよう」と、いつまでも毎日を心配し続けるのか。

師僧が常々仰るように、どちらを選択するのかは自由意志です。


魂の故郷へ胸をはって帰るために、自分の足でしっかりと立って
今世を歩んでいきませんか?
私達はいつからだって學べるのです。


今日もありがとうございます*




by jiyou-925 | 2017-03-26 06:00 | 永作師僧からの便り

密教487 心の筋トレ


昨今、心無い仕打ちに傷つき、精神を病む方も少なく無いと思いますが

現界は、様々な階層《魂の階層》から降りて来て、

學び合う場であることを理解することが出来れば、あなたは飛躍的に成長します。



私たちは、ともすれば被害者意識に捉われ、自身を悲劇の主人公にし、

本質を見誤る事がありますが、此れこそ自身を悲劇に落とし入れる事に成り兼ねません。





自身を真摯に俯瞰する時、理解することが出来るよう

全ての事象は自身の中で起きているのです。



人間不信に陥る様であれば、孤独に成るのではなく

孤高に生きれば良いのです。


孤高とは、気高く生きる事である。

気高くとは、自身を磨き、生きる事であります。


孤高

孤高(ここう)とは、個人の社会生活における1つの態度を表し、ある種の信念や美学に基づいて、集団に属さず他者と離れることで必要以上の苦労を1人で負うような人の中長期的な行動とその様態の全般を指す。

本来は俗世間との通行を自ら断って1人で道を求める者の姿を指しており、私利私欲を求めず他者と妥協することなく「名誉」や「誇り」といったものを重視する姿勢から、周囲が「気高さ」を感じるような良い意味での形容に用いられる他に、協調性を欠いた独自の態度を軽く批判する場合にも用いられる。

迎合主義の対極に位置する。芸術家や指導者に多く存在する。

(Wikipedia)



仕事は、生きる糧を稼ぐ手段であり、心を病む場ではありません。

心を病むほど苦しいのであれば、転職することをお勧めします。



そして、自身が本当に學びたい事に時間を費やし

自身を磨く事に全身全霊をかけ生きる時、あなたの前には未来が開けます。




人生は、魂の筋トレなのだから。



南無大日大聖不動明王尊

蓮華合掌

金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝




私も職場でのストレスが一因で(他、諸々の事情もあり)心身を病んだクチです。

当時は、このストレスを少しでも和らげたいと思い、
自己啓発やスピリチュアル系の本をよく読んでいました。

すると、そこに書いてあるのは、
所謂「鏡の法則」や「引き寄せの法則」というもの。
今の状況は自分で引き寄せたもので、
の嫌な部分は、実は自分のなかにある問題点というものです。

「辛いこと・苦しいことは、人生の試練なのだから逃げてはいけない」とか
そんな言葉が散りばめられていて、
私の場合は、自分が変われないのがいけないのかと、尚更苦しくなりました。

結局は起き上がる気力を失い、今でもメンタルクリニックへ月イチで通院しています。
家計的には決して楽ではないのですが、
この暗黒時代を知る主人から再就職禁止令が出ています。。

今、悩みや苦しみの渦中に居る方や、うまくストレスを発散出来ず、
出来ない自分を責めてしまう方は、本当にお辛いことと思います。

生きることがしんどくなってしまったら、思い切ってそこから距離をとってもいいと思います。
それは、自分を守り、労わることなので、決して「逃げ」や「負け」ではありません。

望まない環境に身を置き、惰性で続いてるような人間関係に縛られているなら
それらとはスッパリと縁を切り、、新しい道を選択するのも良いと思います。

苦しい方は、頑張れない自分を責めるより、まずはゆっくり休みましょう。
不眠や頭痛など身体に症状が出ていたら、医療機関を受診してみるといいと思います。


クタクタになった心と身体を整えて、笑顔を取り戻してくださいね。


今日もありがとうございます*



by jiyou-925 | 2017-03-25 06:00 | 永作師僧からの便り

密教486 愛の學び

男女の交際から始まり、結婚。



人生は、巡り会いが転機と云えます。




そして、想いも様々です。


仲の良い時、口喧嘩、性格の相違、価値観、信仰、心情と様々に相違点が出て参ります。





それは、全てあなたが選んだ道であり、正しくは學びなのである。


夫婦は、人生の中で一番近い學び相手であると私は捉えて居ります。




深く考えれば、これほど素晴らしい関係は、他に類を見ないでしょう。


病いの時は助け合い、貧しい時は分け与え、老齢に成れば慈しみ合い、

正に人生に於いては、究極の學びこそが夫婦関係ではないでしょうか。






これから夫婦関係を構築しようと思う方は、相手をどこまで深く理解出来るか

俯瞰する事も大切ではないでしょうか?


そして、一度契りを誓ったら邁進するのも道であり、學びなのである。



南無大日大聖不動明王尊

蓮華合掌

金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝



どなたかの名言に『結婚とは修行である』というものがありました。


磁器婚式を越えた我が身を振り返ってみれば、思わず「うんうん」と頷いてしまう言葉です。



恋愛時代は、相手を「好き」だと思っていても
意外に自分自身のことが「好き」だったりします。

「彼のために頑張る私」や、「彼女に優しい俺」に酔っているだけという場合もあるんですね。


だから、夫婦になり、生活を共にすることで見えてくる
お互いの「アラ」が目について、結婚したらなんだか上手くいかない…ということは
結婚あるあるかもしれません。

「幸せにしてもらう」という意識で、何もかも相手に背負わせてしまっては、
早々に壁にぶち当たってしまうと思います。


私は「一緒に幸せになる」ことが、夫婦の學びだと思います。

目についた「アラ」は、乗り越えていく壁です。
そこにお互いの學びがあると思うのです。

浮気や借金など、それは人それぞれ。
冷静になってみると、案外、独身時代から同じ様な事で躓いていることに気付くかもしれません。


妻を下に見て威張り散らすのが亭主関白ではなく
自分の意志を持たずに、夫に任せきりにするのが良妻ではないと思います。


労りや、思い遣りといった気持ちの上に、愛は灯り続けるのではないでしょうか。


どちらか一方だけの努力では、どうにもならない事に直面したとき
二人の事として受け止められるかどうか。

二人で乗り越えることができたとき、道は開けるのだと思います。


今日もありがとうございます*



by jiyou-925 | 2017-03-24 06:00 | 永作師僧からの便り

密教485 雙身毘沙門天法


《ソウシンビシャモンテン》法は、一般には知られて居ないが

本流は、傳法院流、勸修寺流に相傳が実在して居ります。



尊像は、合掌し輪を持つ仏が吉祥天、独鈷を持つ仏が毘沙門天と成すのが

雙身毘沙門天であります。


※画像向かって右が吉祥天、左が毘沙門天



吉祥天
吉祥天(きっしょうてん / きちじょうてん、梵: Śrī-mahādevī [シュリー・マハーデーヴィー]、音写:摩訶室利など)は、仏教の守護神である天部の1つ。もとヒンドゥー教の女神であるラクシュミー(Lakṣmī)が仏教に取り入れられたもの。功徳天、宝蔵天女ともいう。

ヒンドゥー教ではヴィシュヌ神の妃とされ、また愛神カーマの母とされる。

仏教においては、父は徳叉迦(とくさか)、母は鬼子母神であり、夫を毘沙門天とする。妹に黒闇天がいる。 毘沙門天の脇侍として善膩師童子と共に祀られる事もある。


早くより帝釈天や大自在天などと共に仏教に取り入れられた。後には一般に弁才天と混同されることが多くなった。 北方・毘沙門天の居所を住所とする

不空訳の密教経典『大吉祥天女十二契一百八名無垢大乗経』では、未来には成仏して吉祥摩尼宝生如来(きちじょうまにほうしょうにょらい)になると説かれる。


吉祥とは繁栄・幸運を意味し幸福・美・富を顕す神とされる。また、美女の代名詞として尊敬を集め、金光明経から前科に対する謝罪の念(吉祥悔過・きちじょうけか)や五穀豊穣でも崇拝されている。

Wikipediaより引用




毘沙門天
毘沙門天(びしゃもんてん、梵名: ヴァイシュラヴァナ、梵: वैश्रवण, Vaiśravaṇa)は、仏教における天部の仏神で、持国天、増長天、広目天と共に四天王の一尊に数えられる武神であり、四天王では多聞天として表わされる。

また四天王としてだけでなく、中央アジア、中国など日本以外の広い地域でも、独尊として信仰の対象となっており、様々な呼び方がある。種子はベイ(vai)。

インド神話の財宝神クベーラを前身とする。ヴァイシュラヴァナという称号は本来「ヴィシュラヴァス (viśravas) 神の息子」という意味で、彼の父親の名に由来する。
インドにおいては財宝神とされ、戦闘的イメージはほとんどなかった。


中央アジアを経て中国に伝わる過程で武神としての信仰が生まれ、四天王の一尊たる武神・守護神とされるようになった

毘沙門という表記は、ヴァイシュラヴァナを中国で音写したものであるが「よく聞く所の者」という意味にも解釈できるため、多聞天(たもんてん)とも訳された。

帝釈天の配下として、仏の住む世界を支える須弥山の北方、水精埵の天敬城に住み、或いは古代インドの世界観で地球上にあるとされた4つの大陸のうち北倶盧洲(ほっくるしゅう)を守護するとされる。

また、夜叉や羅刹といった鬼神を配下とする。また、密教においては十二天の一尊で北方を守護するとされる

Wikipediaより引用





浴油法、浴酒法を持って修法を実践します。



また、別法も存在しますが、此処では伏せ置きます。


参考資料:当院所蔵 浴油・浴酒法用オタラ



現在では、修する方《僧侶》も少ないですが、素晴らしい秘法なので、密教を學ぶ方には、

學んで頂きたいと常々望む次第であります。



当院では、この度、浴油、浴酒法に耐え得る尊像を製作して居ります。


皆様の修行の手助けに成る様、精魂傾け製作に臨みました。



南無大日大聖不動明王尊

金剛合掌

金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝




イケメンだと思っていたら、超絶美女の天女様が奥様だったのですね笑

(下世話な言い方で申し訳ありません…汗


しかもご夫婦そろって天部の仏様だとは…。


仏教では、仏様は「如来」「菩薩」「明王」「天」と四つのグループに分けられます。

「如来」は悟りを開いた仏様

「菩薩」は悟りを開くために修行中の仏様

「明王」「如来」の化身とされ、「菩薩」が慈悲を持って人々を救済するのに対し
説法だけでは度し難い者をも救うため憤怒の相と力を持って尽力されている仏様

「天」仏法を守護する仏様で、仏教と信仰者を護ります
人間に一番近いところにおわすので、人の願いも欲も知り尽くし
現世利益を授けてくださる福徳の仏様でもあります。


よく「天部の仏様は怖い」と聞きますが、それは、より人間に近いところにおわす仏様で

仏教に帰依する前は、相当ヤンチャな時代があったからなのかもしれません。


近いからこそ、信仰者、行者の状況や心の動きをいち早く察し
つぶさに様子を見てくださっているのではないか…
…と、思います。


今日は説明文が多くて、目が滑る方もおられるかもしれませんね。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました<(_ _)>


今日もありがとうございます*


by jiyou-925 | 2017-03-23 06:00 | 永作師僧からの便り

密教484 双身毘沙門天

一般には、ほとんど知られていないのが双身毘沙門天尊像である。




何故か?


一度修すれば、その効験の凄まじさに、他に知られては困ると考えられたのです。


そして、双身毘沙門天法の経典も知る者も少ない経典である。


弘法大師空海が経典として遺されて居りますが、真髄と言われる経典は、

伝燈大阿闍梨でも一部の大阿闍梨しか知らない大法である。



当院では、現在、双身毘沙門天尊像を古式に則り復元製作中であります。



あるオークションでは、銅製の双身毘沙門天像が四十万円で売買されて居りましたが

その尊像には致命的な欠陥が有りました。《足が埋もれた作りの粗悪品》



当院で製作中の双身毘沙門天尊像は、四本足で独立したお姿で製作して居ります。



四本足で独立したお姿を製作するには、並大抵の技術力では不可能と考えます。



当院では、広く皆様にお分けする事に依り、密教の興隆に繋がれば幸いと考えて居ります。


密教を學ぶ方々や美術的観点からお求めに成る方々にも、お授け申し上げます。



本物の経典も、順次、お授けする予定であります。



南無大日大聖不動明王尊

金剛合掌

金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝




画像の木製の双身毘沙門天尊像を見ても、圧倒されるような迫力がありますよね。


下世話な言い方ですが、強面のイケメンだと思うのは、私だけでしょうか( *´艸`*)

宇賀神様が福々しい微笑みを浮かべる翁顔なのに対して
(いや、龍神界のドンなのですが)

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双身毘沙門天様は「ゴルラァ!!」と、喝を喰らいそうな凄みのあるお顔です。


この像には幾つもの秘密があり、製作に当たってまず検証作業に大変手間取りました。

何故か?

普通には現物がありません。

たとえあっても、約束事が出来ていない物ばかりで難航を極めて居た時、
大僧正が力を貸して下さいました。

なんと、大僧正の寺に代々伝わる仏像を拝観させて頂き、
写真まで撮らせて頂くことが出来たのです。

更には法の手ほどきをして頂き、像の打ち合わせを大仏師とする事が出来ました。

それから、多方面の方々の協力を得て、今回鋳造師さんの工房へと仏像は旅発って行きました。

これからも、沢山の方々が完成に向けて御尽力下さいます事は、
正にこの身の幸せと感謝申し上げます。

仏像製作には、沢山の専門家と智慧が伴わなければ到達しません。


(密教442 仏像制作より)



師僧のお志と熱意の下に、いくつもの検証作業や関係各位のご苦労が身を結び

誕生する秘仏であります<(_ _)>


軍神としてのお働きが有名かと思いますが、お祀りし傍に居ていただくことは
双身毘沙門天尊様の後ろに隠れて、困難をやり過ごすということではなく、
自分と仏様の六つの眼で、心の在り方をしっかりと確認して
困難に挫けぬ心を育て、前線で闘う勇気を支えていただける…のかな?と思いました。



今日もありがとうございます*




by jiyou-925 | 2017-03-22 06:00 | 永作師僧からの便り

密教483 秘仏

本当の意味で秘仏を知る人は、一般人では皆無であろう。


例えば宇賀神尊は、弁財天経の中に大変おめでたい仏と記されて居る事は

お好きな方は御存知であろう。



専門的な知識となれば、知らなくても当たり前であるが

誤った流言飛語をまことしやかに語る者も多いのも事実である。



当院には、宇賀神尊の専門秘密経典を秘蔵して居るのも事実であり

ゆくゆくは、全て出版予定であります。

そして、世に真価を問う事に成るでしょう。



間違った解釈は、世に害毒しかもたらしません。

当院の出版する経典は、全て原文で出版します。


そうする事が間違った解釈を打破する最良の方法と考えての事であり

密教の正しい解釈にも繋がると考えての事である。


そして、そんな物など存在しないと言う者が現れても

つまらない議論にもならない証拠と成ることは、自明の理であります。

また、真摯に學ぶ方々の教科書にも成ると考えて居ります。





私の秘蔵する経典群は、全て本物である。

大学に鑑定して頂いても構いません。


私の夢は、一人でも多くの方々に正しく密教を理解して頂きたい。

ただそれだけであります。



南無大日大聖不動明王尊

蓮華合掌

金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝




『一人でも多くの方々に、正しく密教を理解していただきたい』
師僧の熱い想いに触れ、身が引き締まる思いです。


師僧は口伝であったり、秘すべきものとされているもの以外は、
秘仏の製作においても、宝剣の製作においても、
ブログや密教塾にて、惜しげもなく公開されておられます。
それは、何ら恥ずべきことはないという表れです。

派閥や権威、階級などに縛られずに、
師僧ご自身が「一密教僧」として現在までご活躍しておられるのも
偏にこうした想いがあってのことだと思うと、御縁を頂けたことが嬉しく、
有り難い思いでいっぱいです。

これからも真摯に學んでいきたいと思います。


今日もありがとうございます*

※4日間お休みをいただいておりました<(_ _)>
この記事は【密教482 秘仏】の続きとなります。
本日同時にアップしておりますので、よろしければそちらもご覧いただけると幸いです。
よろしくお願い致します。



by jiyou-925 | 2017-03-21 06:00 | 永作師僧からの便り

金剛山赤不動明王院 永作優三輝師僧のもとで霊的真理を學ぶ慈葉のブログです


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