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密教752 瑕疵物件


昨今では、隠れ瑕疵物件が増えて居る。

 

別名、事故物件。

家は、借りるにしても、かなりのお金が必要になります。
まして購入するとなれば、大変なお金が必要になります。
なるべく安く良い家を取得したいのは当たり前です。

但し気を付けて下さい。
契約する前に必ず、自分の足では調べる事をお勧めします。
何故か?

自殺や事件事故のあった物件は割と分かり易いですが、前に契約成立者が居た場合、履歴は消えます。

以下は、私が経験した実話です。

ある相談者の方が、中古の家を購入された後から夫婦不和が始まりました。

それは、ご主人の性格が一変したのです《奥様談》
以前のご主人は、荒い言葉など一度も使った事が無い、子煩悩な優しいお父さん。

引っ越してから一週間くらい経った頃、ご主人が豹変して日増しに荒く成って行った、と。

子供達は、今迄ほとんど病気などした事が無かったのに、怪我と病気が連続して起きるのです。
これはおかしいと思い、奥様の同級生だった住職に相談したところ、住職は過去帳を広げました。
《住職は、御夫婦が購入された家の近所の寺の住職である》

『あの家から早く出なさい、あの家は、私では祓い清める事は出来無い土地です』

 

私が霊視した通り、その土地は刑場跡でした。
その土地に家を建てた人は、必ず離散して居たのです。

私はご主人に説得を試みましたが、聴く耳を持たない無神論者でした。
そして在ろう事か、そんな因縁の有る家なら、見世物で金が稼げて大いに結構だと言うのです。

万事休す。

それから一週間後、ご主人の暴力と様々な事柄によって家族は離散しました。
まず家を選ぶ時は、出来る限り慎重に選び、様々な観点から調べる事をお勧めします。



南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


 

恐い話です汗

 

最近は、インターネットでも簡単に事故物件を調べることもできますので

家を探す場合には、そういったサイトの書き込みも参考になるかと思います。

 

家探しの他、過去に事件事故があった場所を興味本位で探索したり

肝試しなどで騒ぎ立てたりすることもやめたほうが良いです。

そういう因縁のある土地、家、廃墟などは、いわゆる「浮かばれない」霊の巣窟になりやすく

こういった霊の影響を受けかねません。

すると、この一家のご主人のように、人格変貌が起こったり、不幸に見舞われて一家離散、

悪くすれば、命を持っていかれるようなこともあります。

 

君子危うきに近寄らず、ですね。

 

今日もありがとうございます*

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 


by jiyou-925 | 2018-01-30 06:00 | 永作師僧からの便り

密教751 祟り


昨今、聖域を穢す者が増えて居るが、これは、最低の自殺行為である。
私は聖域を穢した者の末路を見てきた。

以下は、体験談である《実話》
その人は、無神論者を気取って居ただけなら何の問題も無かった。
が、仲間たちと歩いて居た時、酒に酔って居たのだろう。

『祟るなら祟って見ろ』
そう言って、在ろう事かお地蔵様に放尿し、高笑いした。

それだけで辞めて置けばまだしも、事あるごとに、様々な石仏や、神社仏閣の建物を見れば毒づき、祟れるものなら祟って見ろと言っていたそうである。

ある夏の日に、仲間たちが肝試しをやると言うので、参加して其処に有った石仏の頭を蹴った。
石仏の頭は折れ、転がった。



異変は7日後に始まった。

幻聴、幻覚に悩まされて、家族が精神科に入院させたが半月ほどで退院。
そして、今度は総合病院に入院した。
癌である。
治療も虚しく、全身に癌が転移して苦しみ抜いて亡くなった。


神仏を信じようが、信じまいが自由である。
嫌なら、無視すれば良いだけである。
関わる必要も無い。

昨今では多くの方々が、事あるごとに、評論家のように、様々な事に批判する風潮がある。
しかし、面白半分の批判は、やがて自分に返って来る可能性を秘めて居る事を覚えておいて貰いたい。


嫌なら、嫌いなら、見なければ良い、関わらなければ良いだけである。
愛の裏返しは、無関心である様に。


南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


神社仏閣に油のようなものを撒いたり、落書きしたり、賽銭泥棒をしたり…

悲しいことですが、そんな事件が後を絶ちません。

犯罪行為ですから、捕まれば当然罪に問われることになるのですが

警察からはうまく逃げおおせても、このように報いがあるのです。

善因善果

悪因悪果

カルマの法則ですね。

このことを知っていれば、おいそれと悪事を働くことはできないと思います。

「情けは人のためならず」という言葉もあります。

情けは人の為ならず
情けは人の為ならずとは、人に情けをかけるのは、その人のためになるばかりでなく、やがてはめぐりめぐって自分に返ってくる。人には親切にせよという教え。

故事ことわざ辞典より

仏様の教えにもありますが、人は経験として昔から因果応報を知っていたのではないでしょうか。

時に悪態をつきたくなる事もあるかと思います。

嫌味のひとつも言いたくなる事もあります。

大切なのは、その行いを反省し、繰り返さないことだと思います。

今日もありがとうございます*


by jiyou-925 | 2018-01-29 06:00 | 永作師僧からの便り

密教750 六感を鍛えよう


六感は特別な能力ではありません。


例えば、試験前の山掛け勉強。

的中出来た人もたくさんおられるはずです。

または、胸騒ぎを覚え、行ったらその通りだった。

そんな経験があなたにはありませんか。

これも、広義で捉えれば霊的能力なのです。

本来、霊的能力は特別なものでは無いのです。

 



例えば、感受性豊かな方もいれば、そうで無い方もいる様に、当然、差はあるのです。

理性的に俯瞰出来る人、すぐに感情的に成る人、涙眼で見てしまう人、打算的に捉える人。
人間は、様々な感情と言う鎖に繋がれています。

それを達観し、乗り越えた時、真の能力に目覚めるのです。

能力の差は、如何に自身の感情を理性的に捉えて伸ばすかなのです。

自分が自分がと言っているうちは、到達は難しいのです。

御先祖様を敬い、神仏を尊び、我が身の有難さを知る時、目覚めが始まります。

師につこうがつくまいが、大した差はありません。
要は、如何に真剣に全うするかなのです。



南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


 

六感は特別なものではなく、それを鍛えることは誰にでも可能な事なのですね。

 

①御先祖様を敬い

②神仏を尊び

③我が身の有難さを知る

これらは、慎みを知るという事だと私は思います。

 

今の自分があるのは、すべてお蔭様であります。

御先祖様のお陰、御神仏さまのお陰、家族、友人、縁ある方々のお陰で

「自分」という存在が、此処にいるのです。

そのことを「有難い」と思い、冷静に、謙虚に、利他心を持って生きる人は幸いであると言えるのではないでしょうか。

 

達観できるようになるまでには、様々な感情の鎖に苦しむと思いますが

その都度、冷静に俯瞰をするように心がけることで、ひとつひとつを乗り越えていきましょう。

 

今日もありがとうございます*

 

 

 
 

 

 

 

 


by jiyou-925 | 2018-01-28 06:00 | 永作師僧からの便り

密教749 五感


視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、人間には五つの感覚があるのは、誰でも知っている事である。

 



では、以上の感覚が何故備わって居るのか?

人間がより良く成長する為なのです。

五感がある事に依り、様々な情報をいち早く知る事が出来ます。

では、六感とは?
本来誰でも持って居る感覚が強いか弱いかで、ある人は表面化し、

ある人は忘却したままで過ぎ去る感覚と言えます。



または、五感を通じて六感が研ぎ澄まされる事もあります。

人間の脳は、理解不能な事柄が発生した時、それを排除しようとします。

一例を挙げれば、二人の人が同時に心霊現象を目撃したにも関わらず、

その時は認めて恐怖に凍っても、後日、眼の錯覚だったとか、
全てを否定する言動を取る行為を、私は何度も見て来ました。

六感を理解したい方は、まず理性的な感情を身に付ける事が先決である。

不思議感覚で見る人は不向きと言えます。

自身で見た事を理性的に捉え、科学的な検証を試みる位の意欲が必要である。

また、匂いの中にも秘密は沢山ある。
興味のある方は是非、検証し感じて貰いたい。


南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝

 


 

五感を通じて、私達は様々な清濁を知っていきます。

 

優しいものと暴力的なもの

美しいものと汚いもの

美味しいものと不味いもの

その他にも硬い、柔らかい、熱い、冷たいなど

両方を経験することで、想像力を豊かにすることができ

そして、より深い感動を得ることが出来るのではないかと思います。

 

想像力や感受性が豊かになるという事は、

自分以外の誰かの喜びや痛みを我が事のように感じることが出来るという事です。

つまり、誰かの辛さに寄り添ったり、喜びを分かち合ったりというような

人間らしいあたたかい気持ちを育むことが出来るのですね。

 

それらは、経験として自分のなかに蓄えられていくのだと思います。

六感というのは、こうした蓄えの延長上にあるものなのではないかと考えます。

 

昨今、スピリチュアルという言葉が流行り、スピリチュアルカウンセラーとか

霊能セラピストとか、「霊感」を売りにする方が増えましたが

相談をする前に、言葉使いや礼儀、ブログやホームページに書かれている文言を

よく観察することをお勧めいたします。

人間らしいあたたかさや、艱難辛苦を乗り越えてきた深みがあるかどうかは

おのずと滲み出るものと思います。

 

今日もありがとうございます*

 

 

 
 

 

 

 

 

 


by jiyou-925 | 2018-01-25 16:00 | 永作師僧からの便り

密教748 腹八分目


養生訓の中に、『腹八分目に薬無し』と言う言葉があります。

養生訓
江戸中期の1713年(正徳3)に出た大衆衛生書で、貝原益軒(かいばらえきけん)の晩年の著。四巻。

父の指導で早くから医薬知識をもった益軒はその後も研鑽(けんさん)を続け、53歳のとき高弟竹田定直(さだなお)の助力で古来の中国医書から養生に関する語を選び、『頤生輯要(いせいしゅうよう)』五巻を編した。それからの取捨選択と、さらに自分の体験に基づきまとめたもの。

要旨は、内欲(飲食、性欲)を抑え、外邪(寒熱)を防ぐことにあり、主体的な健康維持への努力を強調しており、総論、飲食、飲茶、煙草(たばこ)、慎(しん)色欲、五官、二便、洗浴、慎病、択医、用薬、養老、育英、鍼(はり)、灸(きゅう)の各項が事実に即した考えをもとに具体的に詳論される。もちろん、陰陽思想に基づく迷信的な面もあるが、薬万能の現代への警告として、また老人の生き方を説く書として再評価されている

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

何事も欲張らず、程々にする事で要らぬ障害を防ぐ意であります

人間関係も同じ。
どんなに仲の良い間柄でも、深入りし過ぎれば思わぬいさかいに巻き込まれる事があります。


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そんな時、あなたなら今迄は如何されて来ましたか?


人づきあいも養生訓と同じで、違うのは対象が人である事。

それを考えて判断すれば、人づきあいは腹六分で止めておくことが肝要である。

その逆に、夫婦関係は腹八分にする事でたわみを持たせ、自分にも相手にも余裕を持ってゆけば、
つまらぬ事で喧嘩をする必要も無くなるのではないでしょうか。


例え夫婦であっても、育った環境も感じ方も違うはずである。

自分の考え方が正しいから従わせようとすれば、壁が出来、

やがて夫婦不和に繋がって変な関係に発展するのである。

それでも、互いに理解し合うことが難しい場合は、潔く手放して新たな人生を歩む事を考え、
自分なりの結論を出す必要があります。




昨今の呪詛まがいな、何とかノートに書き込み、

気晴らしと軽く考えて居るとしたら間違いである。

書いた事も現実に成る場合が多々あります。

そこまで嫌いなら、新たな人生を歩む事をお考えに成る事をお勧めします。

南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


夫婦、友人、恋人、同僚…

自分を取り巻くさまざまな人間関係に悩むことは、誰にでもあることではないでしょうか。

家庭、学校、会社、ご近所といった狭いコミュニティのなかでは

腹六分目で…と、クールに割り切れない事もあると思います。

でも、孤独を怖れて無理につきあいを重ね、ストレスを溜め込むより

孤高に生きると決めてしまえばいいのではないでしょうか。

極論を言えば、人間は一人で生まれ、一人で死んでいきます。

袖振り合うも多生の縁、と言いますが、その縁から何かを學んだなら

あとは手放しても構わないのです。

支配や依存からは學びを得ることは難しく、負のカルマを積み上げることになりかねません。

自立する事、尊重する事を忘れてはいけませんね。

今日もありがとうございます*


by jiyou-925 | 2018-01-24 15:00 | 永作師僧からの便り

密教747 出会い


人間には、良い出会いばかりが出会いでは有りません。
嫌な人との出会いもあります。



では、あなたはどんな出会いを望みますか?
思慮の浅い場合、自身に都合の良い出会いを望むでしょう。

しかし、自身に都合の悪い出会いの中にこそ、學びが潜んでいる事が多々あります。


出会いを選べるのは幸いです。
選べない状況に置かれて居る人の方が多いと考えます。

でも、選べない方は勉強熱心と言えます。
様々な状況を學び成長出来るからです。


その逆に、自身に都合の良い出会いばかりを求め、

都合の悪い者を遠ざけるようになると人間は傲慢に支配されます。

五感をも、都合の良い状況を作ろうとします。
最早そうなっては、傲慢の極みです。
其処に學びは存在しません。

それがもしも国の指導者であったなら、と考えて下さい。

恐ろしい事であります。

ここまで書けばお判りの方も多いと思います。



一時は万事。
己が傲慢に気づかず行動する時、多くの人を傷つけ、多くの人を不幸にさせます。
そして、そのカルマはやがて民を滅ぼし、国を崩壊させます。

会社でも同じ事が言えます。
傲慢な者が多い会社は業績不振に始まり、やがて崩壊、倒産と帆を広げるで在りましょう。



南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


自分の傲慢さに気付くには、日々の振り返りや俯瞰する視点が重要だと考えます。

自己中心のフィルターを外し、冷静に自分を眺めると

思わず赤面してしまう事もあるのではないでしょうか。

勢いだけでは通じない事や、反省無くしては進めない道もあります。

我利を貪る者とは、誰も本気でお付き合いしたり、分かり合いたいとは思わないでしょう。

反省は、カルマ解消のための第一歩ではないかと思います。

今日もありがとうございます*


by jiyou-925 | 2018-01-23 11:30 | 永作師僧からの便り

密教746 注連縄


注連縄とは、神仏をお迎えし、宿す為の覚悟である

 



 

相撲で言えば、横綱の注連縄《しめなわ》
正に神事を行う代表選手である。

相撲の源流は、野見宿禰(のみのすくね)の尊、当麻蹴速(たいまのけはや)の尊の対戦に体を発し、現代に伝わる神事である。


ファイル:Kisenosato Yutaka1.jpg
(画像はWikipediaよりお借りしました)



注連縄は、一年を通して祀り続けて行く事が良い。

現代では余り注目されて居ないが、お札も注連縄も、
神仏と有る事を示すものであります。

注連縄やお札は魔の侵入を防ぎ、その年《一年》が過ぎる前に新しくし、
前年のものは御炊き上げを行って感謝するものである。


当院では、毎年、お札、御守りに感謝の意を込めて御炊き上げを行なっております。

日本の心は、感謝に始まり感謝に終わる文化である。
と、私は信じるものであります。


南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝

 

 
 

 

 


by jiyou-925 | 2018-01-21 11:30 | 永作師僧からの便り

密教745 謙譲の美徳


美しい言葉には魂が宿るが、汚い言葉や慇懃無礼な言葉には悪意が宿り、

発した者の人生を狂わします。

それは、言葉には魂が宿る証拠である。
以下に実例を記載致します。


ある者達の末路

以下は、現実に起きた事象である。

私の寺に、一人の相談者がお出でになりました。


その方は、物静かな礼儀正しい方で、他から悪口、誹謗中傷を受ける人には

到底見受けられ無い方である。

しかし、会社に行けば謂れなき誹謗中傷に困惑して居るとの相談である。

私は霊視を試みた。
そして相談者に結果を告げた。
《一日も早く会社を辞めなさい》

相談者は怪訝そうな様子だったが、強く勧めた。

それから一週間後に、相談者から電話を戴いた。

先生が言われた通りに退職して給料と退職金を頂いた。
その後、直ぐに会社は倒産。
残った人達は給料も貰えず、退職後の就職書類も出て居ない状態である。


という内容である。


つくづく想いの渦とは怖いものだ、と改めて考えた次第である。

普段から悪口三昧にある者は、自らの口から毒を吐いて居るのである。
その毒が、回りまわって返って来たに過ぎないのです。

悪口を楽しむ者は、己が悪口のカルマに依って苦しみを招き入れたのです。

他を立て、他に優しくあれば、自らの運気も上昇するを知る時、自然と穏やかな日が訪れます。



上記の相談者は助けられ、新たな職場では出世されました。
そして、他の社員からも慕われる存在に昇華されておられます。


南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


他との調和を欠くとき、そこに平和はありません。

謂れのない悪口や誹謗中傷を楽しむ人の心のなかは

自分より優先される事が許せない

自分より目立つのが許せない

自分より仕事、勉強が出来るのが許せない

自分より…

と、勝手に自分と比較して、優劣を競い、不平不満を募らせているのだと思います。

自分が自分が自分が…という利己心、過剰な承認欲求、強い虚栄心に支配され

思い遣りや優しさを忘れ、人を貶め傷付けることは、

結果、自分をも不幸の渦へと巻き込んでいってしまうのですね。

自分の優位を保つために、他を貶めたり低く見ることがどんなにみっともない事なのか

客観的な視点を持てばわかることではないでしょうか。

譲り合ったり、助け合ったり、敬いのあるところに争いは起こりません。

あなたが今いる場所はどうでしょうか。

今日もありがとうございます*


by jiyou-925 | 2018-01-18 06:00 | 永作師僧からの便り

密教744 自殺行為


私は、再三、呼び掛けて来ました。

自殺は、自身に取って最低最悪な行為である。と。

今日も電車に飛び込み自殺された方が出ました。

自殺は、解決にも逃避にもならないのです。
その逆に、凄い苦しみを自身が招く事になるのです。



では、どう苦しむのかを以下に記しておきます。

①死んだら全てが終わるとお考えの方。
それは、大間違えであります。
死んでも意識は持ち続けます。


②死んでも、自殺の場合は霊界には行けません。
《リセット》など出来ません。

③300メートルを移動するのに何年もかかります。
だから地縛霊と言われるのである。

④自身で移動する事が出来無いので、憑依を繰り返すのです。
結果、他の悪霊にそそのかされて同じ悪霊に成る事が多いのです。

⑤意識があるから、死んだ時のままの姿で居続ける結果に成るのであります。
当然、あるはずの無い痛みも持ち続けるのです。

⑥家族や隣人を悲しみの渦に巻き込みます。
死体の傷みが激しい時は、ビニール袋に詰めて棺桶を入れ、

又は火葬して骨にしてからその後のことを行います。



私は、自殺された方の葬儀もして来ました。
葬儀場は暗く押し黙り、ご家族の方も悲しみとやり場の無い感情を抱え耐えて居られます。
その姿は、形容しがたいものがあります。

そして、他の葬儀では見られ無い決定的な違いがあります。
例えば、不慮の事故で亡くなられた方の葬儀では、

事故現場に献花されたり、遺族や友人の方々が故人の冥福を祈ったりお集まりになられます。

その姿を見て、故人も納得して家に帰られます。
そして、日々の供養に依って霊界へと帰幽されます。

しかし、自殺霊の場合は死んだ事を理解出来ません
ですから、葬儀の時も本人不在が多いのです。

自分の人生は責任主体であり、良い時よりも苦しみの中にこそ

自分を成長させる要素があるのです。

苦しみに負けず、苦しみを學びに変えられる心の体力を付けられる様、

皆様の弥栄をご祈念申し上げます。

南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


現状が辛い、この先に希望など見えないという思いから

「死」という具体的な事を考えずとも「もう消えてなくなってしまいたい…」と、思っている方、

又、過去に思ったことがある方は、意外と多いのではないでしょうか。

何をしていても気分が晴れない、眠れない、疲れがとれない…

そんな時には、「ストレス」と一言で片づけてしまわずに

医療機関や相談窓口を利用されることをお勧め致します。

カウンセリングや投薬という現実的な対処をすると

それまで眠れなかったものが眠れるようになったり、

食欲が無くて食べられなかったものが少しずつでも食べられるようになり

段々と気力が戻ってきます。

苦しみのなかにこそ自分を成長させる要素がある、と師僧が仰っておられるように

そこに気付くべき課題があったり、これからの人生に於いて修正しなければいけない事があると私も思います。

しかし、戦う気力がない時に無理をしても良い結果にはつながりません。

生きるための苦しみは、諦めない限りいつか必ず乗り越える事が出来ます。

具体的な知恵を授けてくれる人、愚痴を聞いてくれる人など、

あなたを助けてくれる協力者にも出会えます。

ですが、苦しみのなかで自死という選択をしたのなら

孤独のなかで永遠に「苦しい」という意識に縛られ続けるのです。

死んだあとの事を知れば、簡単に「自死」を選ぼうとは思わなくなるでしょう。

生きて居るからこそ喜びにも出会え、未来を描けます。

次の一歩を踏み出すまでの時間は、人によって様々なのですから

自分の人生を投げ出さずに、諦めずに、生きる事が大切なのだと思います。

今日もありがとうございます*


by jiyou-925 | 2018-01-16 06:00 | 永作師僧からの便り

密教743 供養と思い


供養する、供養したい思いを具現化する事は最高の行為なのです。



思いは有っても、なかなか出来ない方が多い中で、

故人、御先祖の供養を現実化する事は、最高の供養に繋がります。

では、どう供養すれば最高なのか。
それは、あなたが出来る最良の事を尽くせば良いのです。

沢山の事を出来る方は幸いです。
しかし、自分は貧しく思うように出来と云う方は、例え線香の一本でも良いのです。

そして努力し大成したあかつきに、自分が思う最良の供養をする心なのです。



思い続け、具現化する事は、あなた人生をも最良に引き上げます。
人間の思いの世界は、やがて念に変わり、その念はあなたの人生にも作用します。

あなたがこの世《現界》に出でるまでには、少なくとも千人以上の御先祖様が居なければ、

あなたの存在は有りません。

それを真摯に向き合って考える時、自分は一人では無いと氣付かれる事と思います。

その上で、供養など関係ないと言われる方は、それでも良いでしょう。

供養は心から湧き出るもの。
押し付けや、強迫観念から行なっても詮無い事。
真から供養を発願する時、あなたの中で変わるものを、あなた自身が体現されるのです。


南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


自分など生まれてこなければよかった…

人は時として、そのように悲観してしまうことがありますが

役目のない人生などあり得ません。

『役目』と表現してしまうと大層な事だと思われるかもしれませんが

それは、誰かを笑顔にする事であったり、喜びを与えることであったり

誰かと悩みや苦しみを分かち合い、互いに成長していくためであったりと様々です。

誰かに影響を与えたり、与えられたりしながら魂を磨いていくために

あなたはこの世に生まれ出たのです。

自分という「たった一人」が生まれ出るために、いったいどれほどの命が、人生が紡がれてきたのかと思いを馳せるとき、自分の命は決して軽いものではないと気付けるのではないでしょうか。

あなたが歩んでいる人生は、あなたのものであると同時に、

永い永い輪廻のなかの誰かの夢であり、喜びであり、希望なのだと私は思います

今日もありがとうございます*


by jiyou-925 | 2018-01-15 06:00 | 永作師僧からの便り

金剛山赤不動明王院 永作優三輝師僧のもとで霊的真理を學ぶ慈葉のブログです


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