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密教1088 悲しい生霊


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みなさんは、生霊と聴けば、怖い、悍ましいとお考えかも知れませんが、
それは、生霊が何たるかを知らないからなのである。

怨み、嫉み、嫉妬から生霊が発生する事も否定はしませんが、上記の理由で意識的に生霊を飛ばす事を出来る者は殆ど居ません。
【霊能者を除く】
以下、私の経験談を紹介します。

私のもとにある一件の依頼がありました、それは、中古の家を購入したが、誰かが居る様な気配を感じ気味が悪いので視て欲しいと云う依頼である。

私がその家に行き霊視をした時に分かった事は、悲しい現実でした。
その家は、かって仲の良い御夫婦が暮らして居た家で、何の障りも無い家である。
但し、奥さんが亡くなり、御主人は葬儀の後、父を想う子供さんの家で暮らす為に、
思い出深い家を出て、子供さんの家で暮らす毎日。
然し乍ら、長年、妻と二人で暮らした家の思い出を忘れる事は出来ません。

その思いは、消すに消せるものでは有りません。
老人の思いは、妻との思い出に浸り、いつしかボーとする毎日。
楽しかった思い出、子育てに翻弄して居た日々、それは、当然であろう。

逢いたい、帰りたい、そして、それが高じて生霊を過去の家に生霊と成って戻って居たのである。
私は、それを責める事は出来無い。
何故か
当然である。
然し乍ら、依頼を受けた以上、解決せねばならない。

その生霊を力で返せばお爺さんの身体にかなりの負荷を掛け事になる。
私はある秘法を修した。
地蔵菩薩法である。
詳細は明かす事は出来無いが、お爺さんの身体に負荷を与えず元に戻すには、他に方法は無いからである。

呪いも、生霊も返す方が容易い【相手の身体がどう成っても良いならば】
しかし、善悪を熟知せねばやれる法では無い事を御理解願いたい。


南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


楽しかった思い出が、一転してこのようなことになる場合もあると思うと
切ないですね。
思い出に縋り、悲しみに沈む私達を見て、故人は嬉しいでしょうか?
…おそらく、そんな様子を見るのは辛いのではないかと思います。

私達は生霊になることがないように、心の置き所を広くするように學びを深めなくてはいけないですね。

今日もありがとうございます

慈葉



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by jiyou-925 | 2019-04-30 06:00 | 永作師僧からの便り

密教1087 命への想いを

もしあなたのお子さん、奥さん、旦那さんの命が、事故や犯罪に依り失われた時、
あなたは、どう考えますか?
耐える自信がありますか。

運転能力はさる事乍ら、脇見、携帯電話の使用、老化に依る判断ミス、
全て死に直結する危険行為である。

密教1087 命への想いを_e0392769_00254901.jpg
AMV8さんによる写真ACからの写真




上記の殆どが自覚の無さが原因と考えます。
それが後にとんでもない不幸を招き寄せる事に繋がるのである。

当事者はもとより、被害者、関係者を巻き込み取り返しが付かない事態に至るのである。
私達も例外では無い。
当事者になる要素も、被害者、関係者にならないとは、言い切れません。


自分は大丈夫と言う考え方は、傲慢の極みである。
そうならない為に普段から學びを深め、自身を見つめる力を養うべきと考えます。
特に車を運転する者は自分の体調を考慮し、不安を感じる場合は、公共機関を利用するか、細心の注意を払うべきである。
【始業前点検は、当たり前】
現界に絶対安全は、無い事を知り、安全に努める事は、免許を所有する者の絶対条件である。
また、自転車に乗る者には免許は必要無いが、自転車が凶器になる事を知らねば、ならない。


徒歩の人も、老人、子供、弱者に眼を配り安全に努める事は、言うまでも無い。
歩きスマホなどは、目隠しして歩くに等しい行為である。
人間は學びの無い者ほど自分勝手である。
全ての人が気配り、思いやりを知る時、現界から不幸な出来事は、激減するであろう。


南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


普通に生活をしているだけで、私達はいつ何時、被害者になるか、それとも加害者になるのかわかりません。
そうならないように努め、いざというときにしっかりと対処するための準備は怠らないことが大切だと考えます。

先日、池袋で母子が亡くなる事故がありました。





死亡事故にも関わらず加害者の事故後の行動に、呆れるばかりです。
現世では権力に護られていても、靈界ではそうはいきません。
この加害者が被害に遭われた方々にどう向き合うのか、誠実な対応と亡くなられた母子が安らかであるよう願うばかりです。


今日もありがとうございます

慈葉


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by jiyou-925 | 2019-04-29 06:00 | 永作師僧からの便り

密教1086 文武両道

文武両道とは、力と智慧を有する事である。
文とは、道天地将法を理解し得る智慧である。
武とは、己れを極限まで鍛え上げ、理不尽な事に立ち向かう勇気と力を指す。

ここで文とは、の項目で、一般の方では理解しがたい言葉がありますが【道天地将法】
これは、中国の偉人、孫子が遺した思想である。

以下一文
将は兵を選べず、兵は将を選ぶ、
不可解な言葉と考える方は、自ら調べる事をお勧めする。
注!優秀な経営者の方々は、道天地将法とは、何かを熟知して居る。


正に智慧【知恵】とは、人に必要べからざる叡智である。
知恵が無いから他人をイジメ、誹謗中傷し、犯罪者に成り下がるのである。

そして武とは、正義を理解し得た者が身につける事に依り発揮する力である。
格言に曰く、力なき正義は無力なり、正義なき力は暴力なり、である。

私の自信、私は今年六十六だが、一丁事あらば僧兵と成り二十人は、冥土への道連れにする自信はある。
口先だけの者に成り下がる時、人は人に迎合し信念を失う。


南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


智慧と力のバランスが整うと、人間として、組織として、ひいては国として
調和のとれたものになるのではないでしょうか。
無駄な争いをせず、しかし、悪には毅然と対処をし、智慧を持って問題を解決に導くとは
まさに天部・明王部の仏様に通じるものがあると思います。

「正義」とは、立場が変わればその姿を変えるものですが、
智慧があれば、テロや戦争に発展させることなく平和的解決が出来るのだと思います。


今日もありがとうございます

慈葉




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by jiyou-925 | 2019-04-28 06:00 | 永作師僧からの便り

密教1085 因果応報

因果応報とは、簡単に言えば奪えば奪われ、殺せば殺されるである!
現界は學びの場、肉体を持った不自由な学舎なのである。
何故、不自由か?
魂の境涯で考えれば簡単に理解出来る事が出来無いのが肉体の不自由である。

肉欲に身も心も支配され、最終段階に至っては物欲に苛まれ死んで行く。
正に亡者、餓鬼である。
その典型的な者が犯罪者である。
私は再三再四、述べて居るが、分からない者が横行して居るのは、正に霊的後進国を時で表して居るのである。

密教1085 因果応報_e0392769_17183183.jpg

隠しきれる、分からないで有ろう、見つからなければ大丈夫、馬鹿としか言いようが無い。
それは全て現界が全てと言う間違った思想から発する幻想である。

普通に過ごし、普通に働けば良いのである。
イジメ、誹謗中傷をする者は、嫌なら他人と関わらず、己れの學びに専念すれば良いのである。

他人に関わりイジメ、誹謗中傷して居る時間は、無駄な時間である事に気づくべきである!
しかし馬鹿ほど気付かないのである。
これから気づけない輩は、私に向かって来るが良い。
但し私は甘く無いので、立ち向かって来る者に対しては容赦しない事を覚悟する事が必要である。

私は純粋に學びを求め来る方々には、優しく全てを明かしますが、ふざけた者には全力で倒します。
私は、僧兵だからである!


南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


因果応報とは、とてもシンプルな法則であると思います。
自分のやった事がそのまま返ってくることを知っていれば、
阿漕な真似は出来ないのではないでしょうか。
騙したり、欺いたり、危害を加えたり、やりたい放題にやったことは
そのまま自分の首を絞めることになるのです。

悪しき因縁は悪しき結果をもたらし、善い行いは善い結果を招くのです。
どうせなら善き種を蒔き、自分にも他者にも善い結果がもたらされるように行動すれば
この世は思い遣りに満ちた極楽となるのではないでしょうか。

親切心も巡り巡って自分へと返ってきます。
優しくしてほしいのなら、自分も優しくあるべきなのだと思います。


今日もありがとうございます

慈葉




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by jiyou-925 | 2019-04-27 06:00 | 永作師僧からの便り

密教1084 因縁の恐怖

密教1084 因縁の恐怖_e0392769_19514670.jpg


犯罪が横行する昨今、何故犯罪が繰り返されるのかを考えて行きましょう。

私なりに言えば、当事者が罪の償いを軽く考えて居るからである。
犯罪を犯し警察に逮捕されても、刑務所で刑期を終えれば終わりと安易に考えて居るからである。
言わば現界だけが全てであり、死んだら終わりと勝手に考えて居るからに他なら無いのである。


誠に短略的であり、現世思想そのものである。
現世思想とは、一言で表現すれば、死んだら終わりである。
言わば先の事はどうでも良い、今が良ければの考え方の典型である。
だから理不尽な事をなんの躊躇なく出来るのである。

その先にあるのは恐ろしい現実とも知らず、自分より弱い者を的【ターゲット】に定め
イジメ、誹謗中傷、犯罪に走り繰り返して居る。
続けるが良い!
私は、上記を繰り返す者に同情はし無い。
何故同情しないか次回の私の記事を読むが良い。


南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


「自分さえよければいい」という利己的な思考が、罪の意識をなくしていくのだと考えます。
傲慢であるからこそ人の痛みにも鈍感で、感情的に生きているからこそ稚拙であり
短絡的な行動に走り、罪を罪とも思わないのではないかと思います。

理性を無くしてしまっては、剥き出しの本能で生きる獣と同じなのではないでしょうか。


今日もありがとうございます

慈葉


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by jiyou-925 | 2019-04-26 06:00 | 永作師僧からの便り

密教1083 愛の學び

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私は自分の半生を振り向き考える時、同じ人生をもう一度繰り返せたらどうだろうと考える時、
一言で表現すれば勘弁して下さいである【笑】

人間は自らの足跡を振り返って、冷静に捉え考えて
もう一度同じ人生を生きる事を望む人は少数であろう。


苦、恥、怒、悲、を知らない人は幸いである。
では何故、様々な苦を経験して来たのか
それは、裏返せば愛の學びだったのである。

身体の痛みもさる事ながら、心の痛みは身体の痛に比べ勝るとも劣らない苦痛である。
その痛みを知って居るから愛し寛容にもなれるのである。
例えば心の痛みを全て他人のせいにする者は、イジメ、誹謗中傷、犯罪を犯すであろう。

何故か?
全て人ごとだからである。
我が身の苦を耐え抜いた者には、愛の學びが理解出来るからである。

自身が味わった苦を人にはさせたく無い、これも愛である。
しかし乍ら、苦とは人を成長させる力がある。
苦を知らない場合、他人の痛みも理解出来無いのである。
だから平気でイジメ、誹謗中傷、犯罪が横行するのである。

密教1083 愛の學び_e0392769_21555781.jpg


私が過去に経験した苦は、いつしか私を鍛え強くしてくれていた事に気づいた時、
苦は愛の學びだったのだと理解出来ました。
しかし、今の私がもう一度、同じ人生を味わう事は勘弁である【笑】

愛の裏返しは無関心、愛を理解する事こそ私達が學ぶべき事では無いだろうか。


南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


愛を學ぶには、苦しみや悲しみ、怒りという負の感情から逃げ出さずに
しっかり感じ切ることが必要なのだと思います。
乗り越えるためにも、その感情のなかで「自分」を見失わないことが大切で
理性の部分で客観的な視点を持たなくてはいけないのではないでしょうか。

その出来事が、自分に何を教えてくれているのかは
時間が経過しないと見えてこないかもしれません。
心の痛みを昇華させた時、想像力や共感力が育まれ、
人の痛みにも気付けるようになるのだと思います。


今日もありがとうございます

慈葉



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by jiyou-925 | 2019-04-25 06:00 | 永作師僧からの便り

密教1082 死するとは


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人間として生を受け死せぬ者は居ない。

では何故に死を恐れるのか?

真実を知らないからである。
人間は現界に生まれた時、産声を上げ泣く事から始まる。
では何故泣くのか
それは恐怖心からである。
【自分は大変な事を決断してしまった、怖くて、怖くて堪らない】
そして、母に抱かれ母の優しい温もりに安堵した赤ちゃんは眠りにつくのです。


やがて年月を重ね、欲望を覚え自らの中に価値観を形成し、
それぞれの人生の歩みを進めて行きます。
幼年期、青年期、中年期、壮年期、老年期を重ね、やがて死期を迎える事に成る。
その時、學び薄く自己の欲望の赴くままに生きた者は、死を恐れ葛藤するであろう。


簡単明瞭に言えば、死とは元の故郷に帰るだけなのである。
しかし現界の欲にまみれた者は、學びを馬鹿にし拒否するであろう。
結果、死の恐怖に身を置く事に成るのである。


霊的學びをした事の無い方でも、霊界を理解して居る人を私は大勢存じ上げております。
その方々に共通して感じる事がある。
執着心が無いのである。
正に達観し、あるがままを受け入れる。
損も得も無い境涯である。

人間生まれた時も丸裸、死する時も何一つとして【物品】持ち帰る事は出来無い。
但し、自身が経験し學び得た智慧を感動に転化し、霊界で待つ仲間の土産にする事が出来る。
正に最高の土産を持って帰郷するのです。


上記を正しく理解し今を生きる事は人生、自分を輝かせる最高の學びと私は考えます。


南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


肉体を持ってこの世に産まれ出たときから、いずれ「肉体的な死」を迎えることは
必ず決まっています。
これは、言い換えれば「魂の里帰り」です。
次元が異なるために、肉体を有していては帰れない故郷へ
現世で得た感動を土産に帰郷するのだと考えれば、今生の別れの辛さのなかに、
ほんの少しでも救いを見出せるのではないでしょうか。

自分自身が霊的真理を學び、知識をつけることも大切ですが
愛する家族や友人、恋人と、自分を取り巻く繋がりを大切にし
彼等がやがて来る旅立ちの時に後悔しないように、霊的な生き方を示すことも大切なのかもしれません。

葬儀とは、卒業式なのかもしれませんね。

今日もありがとうございます

慈葉


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by jiyou-925 | 2019-04-24 06:00 | 永作師僧からの便り

密教1081 生きるとは

長い登り坂を登るが如しである。
焦って駆け上がろうとしても、途中で疲労困憊するであろう。

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身体も元気で、心も気力も充実して居る時は感じ無い疲れでも
ひとたび疲れに負ければ疲弊するのが人間である。

自分が発した覚えが無くても苦労はやって来る時があるが、
それは避けられない人生の試練なのである。

人間にとって一番の誤りは、他人を羨む事である。
ひと【他人】が裕福で有ろうと自分には、関わり無い事である。
そしてもう一つの誤りは、ひとの貧を観て自分は大丈夫と比べるは、誠に情け無い考え方と言わざるを得ない。

貧富の差などで人の優劣を計る事など必要が無い。
何故ならば人間にとって優劣を計る暇があるならば、自分の心を磨く事である。


人は何故、生まれ何故生きるのか?
それは前生【前世】で學べ無かった事を今生【現世】で學ぶ為に戻って来たからである。
時代、地域、親、環境、性別、全て自分で決めて生まれて来たのである。

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それを自分は金持ちの家に生まれたかった、自分は美形に生まれたかった、何々に生まれたかったは、全て自分を否定する事に繋がり、良い結果には繋がりません。


人間はあるがままの自分なのである。
學び磨く時、何倍にも自分を輝かせる事が出来ます。

歳を重ねれば、美も衰え金の力で美食に走っても、食欲は減退するのである。
私達に必要なのは、智性と理性だと私は考えます。


南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝



今の境遇は、自分が決めてきたことだと思えば、誰を恨むこともないのではないでしょうか。
「生まれてくる前のことなどわからない、知らない」といっても
「今」は「過去」の積み重ねであると考えれば、「今の状況」は、すべて自分の選択してきた結果と言えると思います。

自分の人生をより生きやすくしていくのは、結局は自分自身なのです。
上手く行かないことや辛いことを誰かのせいにして現実逃避をしていても
落とし前をつけるのは、自分だということを忘れないでいたいですね。


今日もありがとうございます

慈葉





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by jiyou-925 | 2019-04-23 06:00 | 永作師僧からの便り

密教1080 命の授業②


事件事故、自殺に依り亡くなった人々の数を数えると恐ろしいと考えます。
何故か
それは負の数【無念な思い】が充満する時、日本の因縁に繋がるのである。


密教1080 命の授業②_e0392769_20094204.jpg


以下は、皆さんも一緒に考えて下さい。

あれだけ新聞やニュースで騒がれても止まない、イジメ問題や誹謗中傷、虐待事件は何故繰り替えされるのか。

心が病んで居る証拠と私は考えます。
食べる事に不自由をして居る訳でも無いのに、他人をイジメる行為は、心が荒みきった者がやる行為に他ならない。

しあわせな人はイジメをしない、しあわせな人は誹謗中傷もしない。
犯罪は人の心を忘却した者が犯す。


いわゆる日本人の多くが供養心を忘れ、戦争を過去の事とした時、忘れられた者は、成仏できるであろうか?

先祖の供養も同じである。

墓じまい【墓捨て】墓参りが遠方で難しいのであれば、家族が協力して、墓の移転をすれば良いのである。
夫婦二人なら、墓の管理料を三十年分前払しておけば無縁扱いには、成りません。
では、何故三十年か?
それは普通三十三〜五十回忌で弔い上げ【といあげ】と言い、それ以降の年回忌をしなくても御先祖様は、極楽浄土に行かれたと解釈するからです。

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では、墓の管理料を年間で言えば、普通は年間三千円位が普通である。
【寺の中にある墓地は、其処の寺に寄って異なります】
墓を移転もせずに墓じまいなる、墓捨てをする事は、私は良く無いと考えます。

全ては自由であるが、本当の自由とは、何かを考える必要があるのでは、ないだろうか。



南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


「自分さえよければ」という利己的な心や態度
「死んだら終わり」と考える霊的無知

もちろんこれだけではありませんが、心が荒む原因としてあげられるものではないかと思います。

他者を思い遣る気持ちがあれば、いじめや誹謗中傷は出来ないし、
御先祖さまを敬う気持ちがあれば、お墓を「捨てる」よりも、故人のために違う選択肢を選べると思います。

今を生きる私達に足りないものは、利他心。
他を思い遣る心、痛みを想像する力が求められているのではないでしょうか。


今日もありがとうございます

慈葉




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by jiyou-925 | 2019-04-22 06:00 | 永作師僧からの便り

密教1079 命の授業

戦時中の日本には、隠れた悲しみが渦巻いていた。
以下は私が伝え聴いた悲しい話しの一つである。


戦時中、子供達を守る為、集団疎開が実施されました。
親と別れ引率の教師に連れられ子供達の集団生活は、物資の無い時代、過酷を極めました。
それでも子供達は健気に耐えて、家に帰れる日を信じ耐え続け、そして終戦を迎えます。
子供達は、優しかった親元に戻れる喜びで胸は、いっぱいです。
親が迎えに来て帰れる子供は幸せでした。
しかし待てど暮らせど迎えが無い子供達は、実家を目指して帰りました。


そして見た光景は、焼け野原と化した現実である。

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戸惑いどうする事も出来無い現実、至る所に死体の山が築かれ荼毘に付されるのを待って居るかの如く、兄弟で集団疎開した子供達も居ました。
兄は妹を守り、妹は兄に従い親類の家を探しましたが、東京は、焼け野原と化し解るはずも無い。
子供達は栄養不良と空腹の中で、一人倒れ、二人倒れ、亡くなって行きました。

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そんな時代だったと片付けてしまえば簡単だが、魂の叫びは未だ止まない。
私達は今、平和の中にあるが忘れては、行けない。
この平和は、尊い犠牲になられた人達の上に築かれて居る事を。


南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


戦争やテロといった、肥大したエゴで命を突然奪われる衝撃と悲しみはいかばかりかと思います。
今を生きる私たちに出来ることは、犠牲者の皆様を悼み安らかであれと祈ることと
同じ事を繰り返さないために行動することだと思います。

今日の記事を読んで、子供達の胸の内に思いを馳せ、自分の身に置き換えて想像し
様々な想いを感じることも「命の授業」の学習になるのではないでしょうか。

今日もありがとうございます

慈葉
  

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by jiyou-925 | 2019-04-21 06:00 | 永作師僧からの便り

金剛山赤不動明王院 永作優三輝師僧のもとで霊的真理を學ぶ慈葉のブログです


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