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密教1119 地獄極楽絵図が示す真理

当院には、地獄極楽絵図が伝承されて居ります。
一般公開はして居ませんが、数百年前の画家が手掛けた真作である。

地獄極楽絵図とは、人の世の理りを絵に表して善悪を知らしめ、
悪に堕ちぬ様、絵解きで教える貴重な絵画であります。
私は、これに地獄極楽の絵解き説法を付け、広く多くの方々に手元に置いて知って頂きたいと考えております。

地獄絵は、ただ単に興味本意で観るものでは有りません。
何故そうなったのか?何故そう成るのかを考え自らの中に落とし込むものであります。

もし自分の手元でじっくり観察し學びたいと言われる方が複数人お出ででしたら
お申し出下さい、私も複製を考えます。
なにぶん古いものですので、専門家の方々のお力をお借りせねば成りません。
お申し出された方々には、私の方からお答え申し上げます。
老若男女問わず、お申し出をお待ちしております。


南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


難しい言葉を知らなくても、字が読めなくても、子供相手にでも、
絵図であれば伝えることができます。
そして、絵図を通じて具体的なイメージを持つことで、
内容をより深く理解できるものと思います。

SNSでの不適切投稿など、善と悪の境界もわからなくなってしまった者も多い昨今
この世の理をしっかり學ぶことは早急の課題なのではないでしょうか。


今日もありがとうございます

慈葉




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by jiyou-925 | 2019-05-31 06:00 | 永作師僧からの便り

密教1118 喉元過ぎれば熱さを忘れる

私達は今、考えなければならない。
原発の再稼働、IR【合法的賭博場】これがどんな結果を呼び寄せるか?

密教1118 喉元過ぎれば熱さを忘れる_e0392769_20094204.jpg


私達は、また涙で償う道を選ぼうとして居る。
そんな馬鹿な事がある訳が無いと思う方は、以下を読む必要は無い。

私は、眼を背け考え様としない者に教える事は無い。
真摯に學びを受け止めて居る方々に言います。

私達が原点に帰り反省をしなければ、涙で償う事に成ります。
その日は、必ず訪れます。

事故事件で言えば、反省が無いから繰り返すのである!
自己を振り返り反省し、改める努力をする事は大切である。


上記は、全て魂の學びなのである。
傲慢、増長にある者に學びを理解する事は不可能である。

過去に自分は大丈夫だった、だから平気と考える者は、哀れである。

魂の學びは、平等に訪れます。
今回逃れても必ずや涙で償う日が訪れます。

解脱法に曰く、知る者は多く達観に至る者は少ない。

私は敢えて言います、あなたは、どちらを選びますか?


南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


何事も国や県で決議が通ってしまえば、それを覆すのはほぼ不可能となります。
だから、まずはいろんなことに対して関心を持つことから始めなくてはいけません。
そして、物事の本質を冷静に見極めることが大切です。

現状を嘆いたり、未来を憂うことは誰にでもできます。
大事なのは、そこから一歩進んで「何を選択するのか、自分はどうすべきか」を考え
実行していくことではないでしょうか。
嘆きや憂いを自分にあてはめ、反省すべきは反省し、改めていくことが、明日の希望を見出すのだと思います。


今日もありがとうございます

慈葉


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by jiyou-925 | 2019-05-30 06:00 | 永作師僧からの便り

密教1117 宇賀神尊信仰の興隆


密教1117 宇賀神尊信仰の興隆_e0392769_22352511.jpg



今、新たに宇賀神尊を信仰される方々が御賛同頂き
宇賀神尊の信仰の広がりを目の当たりにする時、拙僧は喜びを禁じ得ません。

宇賀神尊は、正に庶民の護り本尊であり堅苦しい作法も必要ありません。
必要なのは、宇賀神尊を敬い尊ぶ心だけがあれば良いのです。
それだけお優しい御仏なのです、御顔は翁、身は龍神、龍神族の頭領であり、
素晴らしい慈悲の御仏であります。

密教1117 宇賀神尊信仰の興隆_e0392769_22351970.jpg

正に密教の御仏は人々の安寧を願い、また、悪を許さない強い意志を具現化した御姿であります。
その歴史は古く代々受け継がれて参りました。
歴史論を説く気はありませんが、個々に紐解いては如何でしょうか。

世間の雑踏から暫し離れ、いにしえに心を通わす時、あなたの心は、潤い安心に包まれるであろう。


南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


不動明王尊をはじめ、密教の仏様は、その性質から厳しい憤怒の相であられるお姿がほとんどかと思いますが、宇賀神尊は柔和な翁顔であられ、親しみやすい仏様ですね。
そして、そのお姿同様にお優しくもあり、私たちの敬い慕う心に寄り添ってくださる
まことに有難い仏様です。

世情が殺伐としてきている昨今、仏様とのご縁を結び、見えない世界(靈界)を大切にして
ご神仏様を畏れ敬い「魔」に付け込まれないような生き方をすることが
自分を護ることにもつながるのではないでしょうか。


今日もありがとうございます

慈葉





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by jiyou-925 | 2019-05-29 06:00 | 永作師僧からの便り

密教1116 虚偽

はなはだ情け無いとしか言い様が無い。
知って居た事を知らなかった、正に虚偽である。
酒に酔って言ってしまった、これも虚偽の典型である。

密教1116 虚偽_e0392769_21330324.jpg


上記で言える事は、己れの幼児性を己れが暴露したに過ぎない。
そして尚、己れの身分を振りかざし正当化しようとするは、正に邪極まれりである。


人間に取って正直は美徳である。
一つの嘘を隠す為に、どれだけの嘘を重ね無ければならないかを知ればお解り頂ける事で有ろう。

一般的にも例は余るほどある。
これは全て潔さの欠如がもたらす弊害である。
言わば、痛みを知らない人には慈悲の心を理解する事は、難しいであろう。

痛みとは、身体、精神の痛みである!
これは、全ての根本に言える事である。

己れが一番と考える者は、稚拙である。
謙虚な心と姿勢を身につけた時、扉は開かれます。
傲慢な者に開かれる扉は無い。
待って居るのは、失敗と挫折である。

例えば、人様の上にして頂いたら身を粉にして働く気概が無ければ辞退すべきである。
代表とは、担い代弁出来る場を与えられたに過ぎ無いからである。

勘違いのする者達は、任に非ずである事を自覚せねばならないと私は考えます。


南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


言葉には言靈が宿ると言います。
日本人は、古来より口に出す言葉を大切にしてきたということですね。

立場が重いものになればなるほど、影響力は増します。
だから、言葉には十分に気をつけなければいけないことは周知のことと思いますが、
それが何故なのかをわかっていない者が多くなっているような気がします。

「自分の発言に責任を持つ」
これが徹底されていれば、失言で責任問題を問われることはかなり減ると思います。
そして、謙虚さを忘れなければ、言っていいことと悪いことの区別もつくようになるのではないでしょうか。


今日もありがとうございます

慈葉



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by jiyou-925 | 2019-05-28 06:00 | 永作師僧からの便り

密教1115 道徳心の欠如

カタカナ語に毒された方々には、モラルハザードと言った方が解り易いかも知れない無いが?
今の日本は、老若男女問わず道徳心を忘却した者が目立つのをあなたもご存知で有ろう。

繰り返される交通事故、考えて下さい!
車は、戦車、単車、自転車は、装甲車【歩行者にとって】と自覚した時、携帯を見ながら操作出来ますか?
余りにも自覚が無い行動は、正に幼児性の現れである。

密教1115 道徳心の欠如_e0392769_23150300.jpg

私は常々言って居る。
學ば無くては【魂の學び】例え高齢に至っても
魂は幼児性を脱却する者では無い。

私も高齢者である。
大型小売店【スーパー】にも毎日買い物に出掛けております。
其処でも様々な光景を目にします。
カートを並べ他の方々の迷惑を考えず私語をする者達、
お年寄りを押し退けレジに群がる者、
情け無い光景である。


人間は、誰でも時が来れば老いを迎えます【生老病死苦】
例外は無い。

なれば老いた時、自分本位に固執した生き方した時、本質が曝け出されるのである。
これを生き恥を晒すと言うのである。

メッキが剥がれ本質が現れる時、人間は、生きた様に最後を迎える事であろう。


南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


本質を変えることができるのは、學びによってのみなのかもしれません。 

學びによって、自分自身のなかにしっかり落とし込みができなくては
本質を変えることができないということです。

何が學びになるのかは、人によって様々だと思いますが
流されるままに生きていては、気付くこともできないのかもしれませんね。

道徳心を養うには、自分自身や身の回りのことを、損得勘定だけではなく、
客観的視点を持って俯瞰できるように訓練が必要なのかもしれません。


今日もありがとうございます

慈葉



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by jiyou-925 | 2019-05-27 06:00 | 永作師僧からの便り

密教1114 呪い返し

私は今回、久々に本格的な呪い返しを行ないました。
結果は直ぐに現れるで有ろう。

正に呪いとは、くだらない行為である!
呪った方は、一時の溜飲を下げる為に、その後の人生を最低に落としめるのである。

それだけでは無い。
自らの魂を自らが穢したのである。
怨みに凝り固まり、自らを反省せず我欲に走るのが呪いの本質である。

十対一の法則
呪いを感知した時点で、圧倒的に呪いを仕掛けた者は敗北します!
何故か?姑息だからである。
当院の加持祈祷を持ってすれば造作も無い事である。

私は呪いにすがる者に、一言!
辞めなさい、その後の人生を悲惨にするだけである。

百害あって一利なしとは、この事である。
それでも良いと考えるのであれば止めはしない。
但し、拙僧は全力を持って退治するまでである。


南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


「人を呪わば穴二つ」という言葉があります。

人(ひと)を呪(のろ)わば穴(あな)二つ

他人を呪って殺そうとすれば、自分もその報いで殺されることになるので、墓穴が二つ必要になる。人を陥れようとすれば自分にも悪いことが起こるというたとえ。
出典 小学館デジタル大辞泉

他者に憎悪の念を向けるとき、それは自分自身にも作用するものだということを
理解しなければいけません。

恨み憎しみに心を奪われれば、それに同調した浮遊霊を引き寄せることにもなりかねず
憑依を許してしまえば、知らずのうちに自分の人生を奪われ、
一生、心晴れることもなく破滅へと向かうだけです。

悔しい、悲しい、憎い…そういったネガティブな思いに沈むことも
學びという観点においては、必要な場合もあります。
(経験することで、他者の苦しみがわかるようになる)
しかし、いつまでも負の感情に振り回されていては、得るものはなく、心を荒ませるばかりです。

一時の激情に流されて、安易に呪いに手を出す前に、理性を取り戻す努力をすることが大切ですね。


今日もありがとうございます

慈葉

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by jiyou-925 | 2019-05-26 06:00 | 永作師僧からの便り

密教1113 宝剣

当院には、不動明王尊剣【大刀、中刀、小刀】摩利支天刀、八卦剣、
合わせて十五振りの真剣を所蔵【全て銃刀法届け済み】して居るが
何故、真剣が必要か?

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密教1113 宝剣_e0392769_21561388.jpg


当院は、祈祷専門寺、様々な依頼が参ります。
中には、命懸けの祈祷に成る事もある。

その時に必要なのが宝剣である。
宝剣は邪悪なものだけを切り、善なるものには傷一つ付けません。

また行者の力を何倍にも増幅する絶大な力も秘めて居るのである。
従って、刀匠が精魂込めて作刀したもので無ければならないのである。

しかし、普通の日本刀でも良いものは少なく
増してや両刃剣ともなれば、滅多に観る事も無い貴重刀剣に認ぜられ
殆ど売買対象にはならない。

両刃剣は、研ぐのも大変である。
普通の日本刀の倍の研ぎ代が必要と成るのは言うまでもない。


優れた剣は持ち主をも剣が選びます。
その任に無いと判断した場合に、剣自体が錆びを呼び曇りを呼ぶと言われております。

しかし乍ら、行者を目指す者にとって宝剣は夢で有ろう。
私も若い頃、いつの日か必ず宝剣を所蔵出来る者に成りたいと願ったものである。

願い努力を重ねその努力が満たされた時、宝剣はあなたを選ぶであろう。


南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


魔を斬るには、真剣でなければいけないということですね。
模造刀、なまくら刀では、お話にならないどころか
行者の命を危険にさらし、まさに命とりになってしまいます。

真剣をこれだけ所蔵しているという事実が、赤不動明王院の真実を物語っていると私は思います。


今日もありがとうございます

慈葉




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by jiyou-925 | 2019-05-25 06:00 | 永作師僧からの便り

密教1112 輪廻転生

密教1112 輪廻転生_e0392769_00460388.jpg


人間だけが生まれ変わる訳では無い【輪廻転生】言わば人間予備軍も存在して居る。
では、人間以外で人間に転生して来るのは何故か?
愛の満タン行為である。


愛され愛を理解した【動物】者は、人間に転生し更なる愛の學びを得る為、人間に転生して来る。
そして、長い時を過ごし完全なる愛を學び輪廻を繰り返し、更なる學びに入ります。

人間も愛する喜び、愛される喜びを知った時、次は慈愛を學びます。
慈愛を學び進化した結果、次なる段階へと進んで行くのである。
學びを怠り怠惰に生きた者は、完全に履修するまで、幾たびも生まれ変わり
自分が氣づかなかった点を改めるまで輪廻転生が繰り返され、苦界に身を置く事に成るのである。

これが魂の普遍である。
傲慢に生きた者は、傲慢を思い知るまで苦界を彷徨い。
愛無き行為を繰り返した者は、無限の地獄界を彷徨う様に、生きたように死に、生きた様に輪廻を繰り返すのである。
正に無駄が無いのが輪廻転生の法則である。


南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


愛を學ぶ。

優しさや、思いやり、慈しみの心を持ち、日常の様々な場面で
それらを育むことではないでしょうか。

誰にでも等しくそれらの愛を発揮できればいいのですが
好きな人もいれば、いけすかない輩もいるわけです(だからこそ學びなのですが)

悲しみや苦しみを乗り越えて、許すことも愛。
幼い者、弱い者を庇護し、手を差し伸べることも愛。
少し意識してみれば、私たちの日常には、愛の學びがあふれているのです。


今日もありがとうございます

慈葉




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by jiyou-925 | 2019-05-24 06:00 | 永作師僧からの便り

密教1111 満たされない霊


密教1111 満たされない霊_e0392769_12213900.jpg

人間は死後、何故、浮遊霊に成るのか?
それは、生前に満たされて居ないからである。

満たされて居ないとは?
普通で考えれば不幸だったのであろうと思うであろうが、大きな誤りである。
自身の誤りを認めず我欲のままに生きた結果、死後も彷徨う事に成ったのである。

何故か?
我欲に生きる者に反省の心は無い。
従って死ねば終わりと考えるからである。

何故、死ねば終わりかと考えるのか
自身の中で、始まりと終わりを自己流に理解したと錯覚して居るからである。

言わば學びを拒否し、自身に都合の良い事しか受け入れ無かった結果と言えよう。
一番楽な生き方である。

死後が存在しようとしまいと、自己流に生きる者には、どうでも良い事なのである。
しかし、死後は確実に存在します。
認めようが、認めまいが、存在する事は明らかである。

その証拠に昨今の事象がある【皆さんが考えて欲しい】浮遊霊、未浄化霊は、死を理解して居ないから、憑依を繰り返し、様々な不幸を振り撒いて居るのである。


そして憑依される者は、決まって不勉強な者が大半と言える【霊的無知な者】何故か類は友を呼ぶである。

憑依は防げます!
以下に簡単に解説しておきます、ご参照下さい。

①自己を過大評価せずに真摯に生きる。
②焦らず慌てず順序を守る。
③笑顔を絶やさず、明るく生きる。
④常に自分の行動を律する。
⑤學びを率先して受け入れ、自ら研究研鑽に励むである。

上記を守り進めて居る人に憑依などと言う現象は起こりません。
言わば全て自己責任なのだから。


南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


まずは、人間は霊的な存在であると知らねばなりません。

肉体とは魂の入れ物であり、肉体的な死(現世からの卒業)を迎えたあと
魂は故郷である靈界へと還るのです。

何故、肉体を得るのかといえば、魂がこの世で様々な経験を積むためです。
やがて帰幽するその時、その経験や感動は、靈界で待っている他の魂たちへのお土産となり
共有することで、魂全体を進化向上させるのです。
だから、この世には無駄な人間など本来は居ないのです。

ところが、そういったことを知らずに我欲のみに生きるとき
人間は傲慢になり、心に隙を作って憑依を呼び込むのです。
そうするとどうなるか?
憑依したものに意識も肉体も乗っ取られて、破滅へと向かうことになります。

自分の人生を明け渡さないためにも、記事中で師僧があげてくださった五か条を心に刻み
真摯に生きていきたいですね。


今日もありがとうございます

慈葉



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by jiyou-925 | 2019-05-23 06:00 | 永作師僧からの便り

密教1110 幽霊

密教1110 幽霊_e0392769_23400640.jpg


毎年、夏になればテレビやメディアに取り上げられ、
まるで風物詩のように扱われる題材に幽霊がある。

私は悲しい現象だと思う。
何故、悲しいか
それは、未だその程度の認識しか無い現状である。

私は断言します。
幽霊は存在します。
幽霊は死を理解出来ていない存在なのである。


人間は死んだら終わりと言う思想が、幽霊を生み出して居るのである。
死の何たるかを理解して居れば、幽霊は存在しません。

そして犯罪も起きません。
何故か?
現界が全てと考えるから上記の現象が繰り返されるのである。


俺は、私は、では無い。
霊界を理解し學ぶ時、恐ろしさが先に立ちます。

嫌な物に蓋をすると言う言葉があるが、真摯に向き合わねばダメな時代に突入して居るのである。
理解出来無い事故、事件は、これからも続々と起きて来ます。
それを氣づくまで、それを理解するまで続くであろう。

全ては表裏一体なのだから。


南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


私たちは皆、霊的な存在です。
それを理解せずにいると、死んでから驚くことになるというのは
何度も師僧のブログでも述べられていました。

死んだら無になって、罪も消えると思うのは間違いであり
傲慢な生き方を改めなければ、肉体を去る日が来たときに迷うのです。


今日もありがとうございます

慈葉


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by jiyou-925 | 2019-05-22 06:00 | 永作師僧からの便り

金剛山赤不動明王院 永作優三輝師僧のもとで霊的真理を學ぶ慈葉のブログです


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