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密教1149 祈祷行脚③

霊的愚行は今も昔も繰り返されて居る特に、土地にまつわる事は数えられ無いほどある。
正に霊的無知から発生するのだが、昨今の行状は、目に余るものがある。


実例を紹介しよう。
池を単純に埋め立て【土壌改良もしない】消費者に宅地分譲する。
事故物件を平気で売る【カラクリあり】

私は二級だが建築士の資格も有している。
ただ関係性の無いものには、言う権利も無い。
霊的に言えば、上記のような販売者は、自らの魂を穢す行為を好んでやって居るのである。

土砂加持、地鎮祭は、伊達ではない。
その土地を浄化し、産土神と折衷し、居住する人々が安穏に暮らし
安心立命を実現する為に行う加持祈祷である。

日本の土地で、因縁の無い土地は少ないが、悪質な土地と因縁の土地とは違う事を分かって頂きたい。
これから買おうとお考えの方々は、くれぐれもご注意をして下さい。

次回は、今回の題材に関する事例を体験談でお話し致します、ご期待下さい。


南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


人間は住む場所を求めて、池沼を埋め立てたり、山を切り崩したり、
どんどんテリトリーを広げています。

古くからある土地に比べ、新しく造成された場所は、歴史がなく、因縁もないと思いがちですが
そう思うのは早計なのだとハッとしました。
そして、悪質な業者の存在にも考えさせられます。

人や物を簡単には信じられないというのは、少し悲しい気持ちもしますが
後で泣く羽目に陥らないためには、土地の歴史などを調べるなど、消費者の側も自衛するための知恵をつけることが大事なのだと思います。


今日もありがとうございます

慈葉




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by jiyou-925 | 2019-06-30 06:00 | 永作師僧からの便り

密教1148 祈祷行脚②

密教1148 祈祷行脚②_e0392769_23400640.jpg

依頼を受け伺ったお宅は、初夏の頃でありながら異様に寒かった。
ご家族は長年、様々な異変と病気に苦しんでおられました。

その家は古い家で、依頼者は十年前に購入され、その前の事は分からないと言う。
私は、近くにある寺に行き、この家の由来を伺いました。

寺のご住職は良い人で、お話しを伺う事が出来ました。


その家は、戦後すぐに建てられた家だそうである。
しかし、その土地は戦時中に亡くなられた方々を荼毘にふして居た場所だったのである。

今なら土地の浄化法を修してから家を建てるが、戦後住む家を失った人が溢れて居た時代
そんな事をやって居る余裕もなかったので在ろう。


依頼者の家に戻り祈祷を始めた時、私にはある声が聞こえてきた。
祈祷を終え、依頼者にその事を告げると、自分も家の中のある場所に立つと声の様なものが聞こえてくると言うのである。

古い家なので、床下は昔ながらの土である。
床下に動物でも潜り込んで来たのかと依頼者は思っていた。
しかし、私にはハッキリと分かって居た。
 
私は依頼者に提案した。
床下を調べてみては、如何でしょうか?
その日はそれで終わり、それからひと月が過ぎた頃、依頼者から電話を頂き全てが解りました。


依頼者は、友達数人の手を借りて床下を調べてみると、
土の下から骨が出て来たので驚いて警察に電話し、警察が調査したところ、
古い遺骨で火葬された遺骨なので、事件性は無いと判断されたそうである。

しかし、家族は怖がりこの家にはもう住みたく無いと言うので、今は別の場所に住んで居ると言う。

全てを綺麗にするには、家を解体し土を入れ替え土砂加持をしなくてはならない。
全てをやるには高額な費用が必要なので、依頼者は別の場所に居を構える事を選択したのである。

家にまつわる話は書ききれ無いほどあるが、一生に一度の大きな買い物、慎重に選ぶ事をお勧めします。


南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


家や部屋を借りる際には、事故物件かどうかを確認する人は多いかもしれませんが
土地の歴史については、なかなか調べられないかもしれません。
ですが、こういったお話をうかがうと、何があった場所なのかを把握する必要があるのだと考えさせられます。

今日もありがとうございます

慈葉

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by jiyou-925 | 2019-06-29 06:00 | 永作師僧からの便り

密教1147 祈祷行脚

私が若い頃は、師僧に同行し様々な加持祈祷を経験し學ばさせて頂きました。
そのおかげで現在があるのである。
以下は、その頃の経験談である。

***


経験談① 憑依と除霊
時は、十月のまだ暑さを感じる頃、とある場所からの依頼を受け伺った時の経験談である。
依頼者家族が待っておられ状況を伺いました。
十八歳の娘さんの異変である。

一見しても何ら普通の娘さんである。
しかし、祈祷が始まり暫くすると、形相が変わり、怒鳴り、意味不明な言葉を発し
暴力的になった娘さんを親御さんが抑え、師僧の読経にも力が入って来たのを感じた瞬間、
娘さんは親御さんの手を振り切り四つん這いに成り、そのままの姿勢で1メートル位飛び上がって、
部屋の中を飛び回り始めました。

そして、祈祷が佳境に入った時、娘さんはその場に倒れ込んだ。
親御さんは、娘さんを抱く様にして、その後も祈祷は続きました。
そして、加持祈祷は終了し、師僧の話しが始まりました。

娘さんは、何らかの原因で動物霊に憑依され、もう少し遅ければ完全憑依に落ち入り
その後は、特別な病棟で暮らす事になって居たで有ろうと親御さんに伝えました。

そして、師僧が指さした場所には【依頼者の自宅は、古くからの旧家で敷地も広いお宅である】朽ちかけた祠がありました。

依頼者に聴いてみると、自分の子供の頃には、彼岸、盆にはお酒やお供物を捧げて居たが
自分の代には、やって居ないと言うのである。

師僧は、依頼者にあの祠を建て替え、昔の様に供養しなさいと教えました。
しかし、その後、連絡は途絶えその家がどうなったかは知る由も無い。




先祖がやって居た供養を辞めるも自由である、墓を始末するも自由である。
誰にもとやかく言う事は出来ません。
しかし、生ずる事だけに対処しても、それは対処法に終わる事を知って貰いたいのである。


南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


異変や怪異にも原因があります。
指摘された原因を正さなければ、また同じようなことが起こる可能性は否定できません。

墓終いや宗旨替え、拝まれていた祠の撤去なども、専門家の手を借りて、
ご神仏様、ご先祖様礼を尽くしてご理解いただくなど、きちんと順序立てて行えばよいのです。
素人判断で勝手なことはしないほうが賢明ではないでしょうか。

今日もありがとうございます

慈葉



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by jiyou-925 | 2019-06-28 06:00 | 永作師僧からの便り

密教1146 除霊




密教1146 除霊_e0392769_16535890.jpg

当院は祈祷専門の単立寺院なので、多いのが除霊である。
しかし自身の思い込みである場合も多くあります。

以下一例である

例えば、暗示を掛けられ自分は憑依されて居る、自分は呪われて居ると思い込んで居る場合
なんでも無いのに体調不良や幻聴、幻覚に悩まされる事があります。

何故上記の様な事が起こるのか、
力の無い術者ほど暗示に掛けようとする。
【暗示の掛けかたは様々ですが模倣を避ける為、解説は割愛する】

過度の暗示にかかって、私の言う事も聞かずにオカルトに固執する方は、全て御断りして居ります。
何故か
不思議思考の人は、理性より不思議を優先する傾向が強いので暗示に掛かり易いと考えます。

その逆に、真剣に除霊しなくては危ない事例も存在する事は事実である。
先ずは理性的に事象を精査し、その上で専門家を選んでも遅くはありません。


南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


自分の不幸の原因を、なんでも「霊」の仕業だと思う人も少なからず居るようです。
また、そういう人の不安を煽ることで「商売」をしている「霊能者」を名乗る人も
残念ながら少なくないようです。

借金が減らなのは、本当に先祖の因縁のせいでしょうか?
恋愛がうまくいかないのは、本当に生霊のせいでしょうか?

うまくいかないのは、自分のせいだということを認めたくないから
自分には見えない「霊」のせいにして、責任から逃げているのではないでしょうか。

うまくいかないことにも、必ず原因があるはずです。
それを理性的に突き止めれば、案外あっけなく処理できる問題なのかもしれません。


今日もありがとうございます

慈葉




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by jiyou-925 | 2019-06-27 06:00 | 永作師僧からの便り

密教1145 表裏一体

物事には表と裏が存在する。
例えば、愛の裏返しは無関心の様に、私達人間に永遠の命は存在しない。

では、限りあるから好き勝手に生きるのか?
限りがあるのは肉体であり、魂は輪廻転生を繰り返し、前進後退を重ね魂の浄化を目指して居るのである。

そんな事は無い、人間は死んだら終わりと思われる方々はそのまま進まれるが良い。
それも自由である。
私は誰にも押し付けはしない。
信念に基づき行動するのみである。


その昔、私が師僧から受けた教えに、この世とあの世は表裏一体、
この世で犯した罪を逃げ切れても、あの世では逃げ切る事は叶わない。
なれば、己が罪を認め、残った人生を學び、次に繋げる努力をする時、御仏は加護し給う。


人間は弱く脆い。
昨日は改心しても、一夜明ければ忘れる事もあるのも事実である。

しかし、それを繰り返して居る内に年老いて、やがて死を迎えるのも事実である。
分岐点、人生において分岐点は幾重にもある。
何も考えず、反省も無しに過ごすのも良し、我欲に身を任せるも良し。

但し、反省も無い人間に理解は無い。
學びの無い者が真の感動を知る者も無い。

私達は例外無く、期限が切れれば死を迎えます。
その時に一番怖いのは、霊界を否定して来た生き方である。

否定して来た者は、死の現実を受け入れられず逃げだし彷徨い
同じ波長を持つ霊にそそのかされ浮遊霊に成り下がり。
現界を汚し続ける悪霊になるのである。
しかし、それも限界があり、ある一定期間が切れた時、反省と云う長い時が待って居るのである。


南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


生きているうちに、やり直しがきくうちに、あやまちに気付くこと
そして、反省することの大切さ、學ぶことの大切さに改めて気付かされます。

挫折しても、選択を間違えても、生きていればやり直しができます。
失敗もまた経験として、次の成功への糧になるのです。

死んでから悔いても、肉体が無ければ何もできません。
その時に気付いても遅いのです。


今日もありがとうございます

慈葉


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by jiyou-925 | 2019-06-26 06:00 | 永作師僧からの便り

密教1144 聖天尊、宇賀神尊の効験

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聖天尊、宇賀神尊は秘仏とされ、ある人は、恐れ観る事もはばかる人がおりました。

何故そんなふうに捉えられたのか?
全ては無知から来る流言飛語が原因と考えます。

それは、裏返せば自分だけが知り、自分だけが祀りたいから発した我欲からである。

その昔、聖天尊も宇賀神尊も貧しい人の幸せを願って、高僧が日本に渡来したのである。
したがって、拝み方がどうのこうのなど片腹痛い笑話しに過ぎません。

要は如何に敬い込めるかである。
高僧は人々のしあわせは願ったが、祟りなど説いては居ない。
全ての秘仏の効験は、不幸からの解脱である。
不幸とは、他と比べ自らを哀れむ幻想から生じて居るのである。

秘仏は、その幻想からあなたを救う為に降臨したと言っても過言ではない。
そして、今あるしあわせに目覚め、信仰心を深める時、本当のしあわせとはを知る事に成る。

全ての事象は、表裏一体であり一方通行では無い。
苦あれば幸あり、幸のみを望めば幸を知る事は叶わない。


南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


秘仏とは、私たちが抱える不安や悩みごとからお救いくださるべく御光臨なさったのだと伺うと、とても身近な存在に感じられます。
そして、祀り方云々、祟り云々という流言飛語が、本来は近いはずであった
私たちと仏様の距離を遠いものにしていたのだと実感します。

願をかけるときも、ほどくときも、誠心誠意、感謝の心を込めることは、
仏様に対する最低限の礼儀ではないでしょうか。
一心に願い、自分の心を見つめるとき、絡まった糸がほどけるように腑に落ちる瞬間、
仏様からのお慈悲、御加護を授かったと感じる瞬間があるのだと思います。




今日もありがとうございます

慈葉


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by jiyou-925 | 2019-06-25 06:00 | 永作師僧からの便り

密教1143 虐待

私が生まれたのは昭和二十年代で、終戦間近であり人々の生活も困窮を極めていた時代である。

私の友達の衣服は、穴が空きつぎはぎだらけが普通でありました。
学校に行っても今の様に給食などありません。
弁当を持って来るが当たり前の時代でした。
そんな時、一番悲しかったのが運動会の日である。

私の友達は、食べる弁当も無く一人で教室にいた。
私は、一個の弁当を友達と分け合い、談笑して楽しかった思い出がある。

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その友達がある日、別れを告げに来たのである。
明日から遠い所に行くから、今までありがとうと言うのである。

友達は、家計を助ける為に奉公【仕事】に出されたのである。
今では考えられ無い事であろうが、その時代では、当然が如くされて居たのである。

そして十五年の月日が流れて友達に再会した時、彼も立派な大人と成り互いに再会を喜び合いました。
彼の素晴らしい所は、親を怨んで居ないのである。
その逆に、年老いた両親の為に生活を支え、面倒を見て居るのです。
正に菩薩行である。


時代、時代で様々な事情は存在します。
しかし、自分勝手に子供や弱い者を虐待する行為は、最早、人間では無い。
餓鬼、亡者である。

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武士の考え方で「義を見てせざるは勇無きなり」正に漢の精神である。

抵抗の出来無い者を虐待する者は、人間の心を捨てた魔物である。


南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


義(ぎ)を見(み)てせざるは勇(ゆう)無(な)きなり

《「論語」為政から》人としてなすべきことと知りながら、それを実行しないのは
勇気がないからである。

デジタル大辞泉の解説


自分の立場、境遇を受け入れ、自分の足でしっかりと立つ。
望んで手に入れたものであれば、それも難しいことではないように思えますが
望まない境遇にあって、それでも周囲を恨むことなく自立し、さらに与えることが出来るというのは、本当に素晴らしいことと思います。

親の庇護下にあるべき年齢の幼い子供は、ひとりでは生きていけません。
例えば、望まない妊娠や望まない離婚であっても、それは、大人側の都合であり
子供に罪があろうはずがありません。
自分の不幸を子供に転嫁し、保護者が負うべき責任を放棄したばかりか、
精神的・肉体的虐待を繰り返し、あまつさえ命を奪うなど言語道断です。

無責任な行動が魔を引き寄せ、魅入られ、やがて破滅へと導かれるのではないかと思います。


今日もありがとうございます

慈葉



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by jiyou-925 | 2019-06-24 06:00 | 永作師僧からの便り

密教1142 悪行雑言


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人間は、何故、自分以外の人に向かい誹謗中傷を繰り返してしまうのか?
それは、その人が不幸だからである!

しあわせな人は、イジメや誹謗中傷は、しません。

自分が不幸だから他のしあわせが妬ましいのである。
しかし、その行動は更に自身を不幸にして居る事に気付かない、哀れな行動なのである。

カルマ【因縁の法則】平穏な人を羨み妬み、悪口雑言を振りまき
その結果は、哀れな状況を自ら招いて居るに他ならないのである。

私が以前から言って居る言霊とは、悪い言葉を発すればそのまま自身に返って来る。
此れは、こだまと同じである。

正に蒔かぬ種は生えぬ。
良い言霊を発すれば次第に良い仲間が増え、悪い言霊を発すれば悪の輪が形成され、
最後はその輪から抜ける事も出来なくなって行くのである。

汚れた身体は風呂に入れば洗い流す事は容易であるが、心【魂】を汚した場合は、元の状態に戻すだけでも大変な苦労をしなければならない。
それほど大変な事なのである。


イジメ、誹謗中傷が何故やまないのか?
それは、現界だけが全てであると言った、物質的価値観に翻弄され
自ら迷いの世界に没した証である。

今は良いかもしれないが、やがて、空の水瓶が満杯に成り溢れ出すように、
ある一定範囲を超えた時、その全ての因縁は行き場を失い、水瓶をも呑み込み果てる事の無い地獄へと堕ちて行くのである

但しその地獄から抜ける道も存在するが、今回は言及しません。


南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


他者を貶めることで、自分が優位に立っていると思うのは、ただの勘違いです。
そうしなければ「力」を誇示できないと思っているのなら、
それは「力」ではなく、個人的に優越感を感じたいだけなのでしょう。
他を誹謗中傷する前に、自分を省みる必要のある人がほとんどではないでしょうか。

口で、態度で、誰かを貶めたり、泣かせたりしている人は
そのたびに自分の首を絞めているのだと自覚しなくてはいけません。

誰かを嘲笑えば、同じように嘲笑され
暴言を吐けば、同じように暴言に泣かされる
人に痛みを与えれば、同じだけ、またはそれ以上の苦痛に苛まれます。
それが因縁の法則なのです。

わざわざ悪い因縁を重ねることはありません。
どうせなら良い因縁を重ね、それが循環するように行動するほうが
しあわせを呼び、喜びを感じられるのではないでしょうか。


今日もありがとうございます

慈葉



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by jiyou-925 | 2019-06-23 06:00 | 永作師僧からの便り

密教1141 反省なき者

人間界は、何故あるのか?

輪廻転生を繰り返しながらも、未だに悪事を働く者達は何故発生するのか、

答えは、簡単である。
反省なき者は、現界が全てと錯覚して居るからに他ならない。

反省とは何か
反省とは、真摯に自分を見つめ己が所業を見つめる事から始まるのである。

そして、反省無き者は増長傲慢を極め、益々魂を穢し堕ちて行き
其処に忍び寄るのが不成仏霊なのです。

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言わば自業自得だが、それに依り悲しみを背負わされた被害者が発生して居る現状を
あなたはどう考えられますか。

私はそんな加害者を許すほど寛容では無い。

あなたの愛する人を護れるのは、あなたしか居ないのである。
ふざけた事に終始する暇はありません。

当院では、全ての事象に対して対応出来る法策を確立しております。
本当に真剣にお考えの方々は、ご相談ください。

私は、寄り添います。
そして救われる方が一人でも多く現れる事を望みます。


南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


反省なき者に作用する不浄仏霊が引き起こす事件・事故というのは
思っているよりもずっと多いのかもしれません。

他者に対して高圧的だったり、自己中心的であったりしても反省しない、
恨みつらみや激しい怒りなど、心にどす黒い感情を抱いていることなどが
憑依を許す隙を生み出しているのだと思います。

今、生きているということは、私たちの魂が學ぶべきことがあるからです。
つまり、生きているということは、魂は未熟で不完全だということです。
(學べきことが無ければ、人間界に生まれる意味はない)
心に隙を作るようなことがあっても、自分の行いを反省して、行動や思考をより良い方へ方向転換させることが出来れば、憑依される危険性はグッと減るはずです。

身勝手な加害者にならないために
そして、そのような者に未来が奪われないように
私たちは反省することを忘れてはいけないのだと思います。


今日もありがとうございます

慈葉




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by jiyou-925 | 2019-06-22 06:00 | 永作師僧からの便り

密教1140 交通事情

私が今日、目撃した現実をお話しします。

私は、今日、遠方から訪ねて来た弟子と会食し歩いて居た時、眼前の信号が青になったので会話しながら横断して居た。

その時、自転車同士が衝突事故、中年の女性と学生である。
学生は、振り向きもせずに立ち去り、女性は、転倒し痛いと叫んで居た。

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私は、被害者に駆け寄り自転車を起こし、大丈夫ですかと声を掛け
被害者が大丈夫ですと言われるのでその場を去ったが、
日本の現状は、ここまで来て居るのである。

正に末世末法の世である。
ちょっと前までは、違いにぶつかった時、先ず大丈夫ですか?が、当たり前だったのでは無いでしょうか。
それすら無い現実をあなたは、どう受け止めますか。

私が思うに、最低な状況である原因は、ただの一つ人々の心が荒んで居るのである。

自分の誤ちを謝る
ただそれだけの事すら出来ない現実は、悲しい事である。

しかし、これが進む時、逃げ得と考える者が氾濫するであろう。
正に馬鹿が極まれりである。

人は、自身の誤りを認め訂正する事に依り、魂の成長が促されるのである。

しかし、私が今日、遭遇した事故で逃げた学生は、哀れである。
その学生は、今後、大変な人生を自身が選択してしまったのである。

全ては、正直に言い対処する事で解消に向かいます。
但し、逃げ隠す時から因縁は倍加する事を覚えて置いて頂きたい。


南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


誠実であることを難しくしているのは、損得勘定からくる利己的な思考ではないかと思います。
まるで、謝ることは負けることだとでも言うように、自分の非を認めない人というのは
案外、多いのではないかと思います。

他者に対して誠実でない人は、自分の良心に対しても誠実ではないのだと思います。
本当は謝罪するべきだとわかっていても、そう思う良心を見ないふりをしてやりすごすうちに、
罪悪感は薄れ、何が悪いことなのか、判別が付きづらくなるのではないでしょうか。
そして、どんどん自己中心的で傍若無人になっていくのかもしれません。

自分自身を省みることが出来なくなっては、それこそ末期です。
師僧のブログに何度も出てくるように、反省と氣付きがあればこそ、人は成長していけるのだと思います。


今日もありがとうございます

慈葉



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by jiyou-925 | 2019-06-21 06:00 | 永作師僧からの便り

金剛山赤不動明王院 永作優三輝師僧のもとで霊的真理を學ぶ慈葉のブログです


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