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密教1210 哀しき霊体

霊と言えば、皆さんは怖いと思うかも知れないが、
怖い霊をこの世に生み出したのは、人間なのである。

今からその仕組みの一端をお話ししよう。

動物霊は、飼い主に最後まで愛され現界を去った子達は、人間を愛し、いつか自分も転生して
自分を大切に愛してくれた人に恩返しがしたいと思いながら、動物の霊界に帰って行きます。
その時の様子をお見せしたいくらいである。

その逆に、お金の為や飼い主の都合だけで捨てられた子達は、
震えおののき、人間を信頼する気持ちを失い、運良く次の飼い主さんが見つかれば、
少しずつ心を開いて行きます。
最悪なのは、餓死させたり、虐待の末に惨殺された子達である。




人間でも同じだが、上記のような仕打ちを受けても尚、その者を許せますか?
怨みの念をいだくで在ろう。

そして、帰幽出来ず彷徨い、やがて悪霊にそそのかされ
酷い場合は、自分を死に追いやった者に復讐をします。
復讐を済ませたその後は、悪霊と成り現界を彷徨います。

哀れな事である。
元はと言えば、無計画で理不尽な者の手に渡らなければ、命を全うする事が出来たのである。

正に負のエネルギーを作る者達に反省を促したい。
反省なくば、自らに起こる事象を受け入れるしか無い事を覚悟するしか無いで在ろう。


南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝


パピーミル、多頭飼育崩壊等、ペットブームの裏に大きな闇が広がっています。
それだけではなく、老いたから、介護するのが大変だから等の理由で、
人の手でドリームボックス(注:殺処分装置)に送られる小さな命もあります。

人と意志を通わせられる動物ですから、当然、心があります。
その心を蹂躙し傷つけるのも、掬いあげてやさしさを向けるのも
私たちの選択次第。
命を飼う(買う)前に、十二分によく考えなければいけないのではないでしょうか。


今日もありがとうございます

慈葉

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by jiyou-925 | 2019-08-31 06:00 | 永作師僧からの便り

密教1209 類は友を呼ぶ

良い事を學ぼうとする者には、同じ魂を宿した者が集まる様に、
悪を良しとする者の周りには、魂の低い者が集まるのは自明の理である。

密教1209 類は友を呼ぶ_e0392769_22545168.jpg

何故か?
以前にも書いたが魂年齢の高低差である。

魂年齢の低い者はやたらと他を威嚇し、己を誇示し鼓舞しようとするのが特徴である。

魂年齢は、生まれた家や財力、職業、名誉や地位には比例しない事を覚えておいて貰いたい。

ありがとう、すみませんの言葉を理解し、自然に発する事が出来た時、人は成長し魂も磨かれます。
その逆に、やらせて当たり前、やって貰って当たり前の心根の者の魂は、低くさの極みである。
感謝の無い人、誤ちを認められ無い人も同じ部類であると言える。

私がどんなに書こうと理解出来ない者には、馬の耳に念仏で在ろう。
どんなにその人の為を思っても、聞こうとしない者には教える事は出来ません。
そんな時、私は見捨てるのでは無く、手放します。
手放すとは、自分から離れる事である。
やがて時が来れば解るからである。

それを手放さずとどめる事は執着であり、相手にも良い影響を与え無いからである。
但し、その人が反省し理解を求め来る時は、私は拒むものではない。
然し乍ら生半可な事では変わらないのも人間と云う生き物である。

大我で捉えれば皆、仲間であるが、人間の寿命には限りがある。
合わぬ事に生力を注ぐ依り、信じる道に力を注ぐが良策であると私は考える。

人間は帰幽する時、持って帰れるものは、経験を感動に変え霊界で待つ仲間と共有する事が最高の土産なのだから。


南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝


善には善が
悪には悪が
同じ想念同士で集うというのは、とてもシンプルでわかりやすい法則だと思います。

魂年齢と肉体年齢が比例しないというお話も、頑固で意固地なご老人がいたり、
反対に、年齢が若くても練れた人格者の方がいることを思えば、これも納得です。
自分の周りにいる人はどうだろうか?と考えることは、自分を客観的に見ることが出来そうですね。

ありがとう、すみません、おかげ様ですという謙虚な心が
同じ心を持つ人を引き寄せて、物事を円滑に運ぶのだと思います。


今日もありがとうございます

慈葉



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by jiyou-925 | 2019-08-30 06:00 | 永作師僧からの便り

密教1208 想念

密教1208 想念_e0392769_23123955.jpg

人間の持つ想念が善心ならば何の問題も無いが、悪想念であった場合には変わって来るのは必定である。

想念は個々にも作用するが、自然現象にも作用する事は、心霊學では常識的に語られて居る。
これを理解するには、大変だろうが何事も學ばなければ理解には遠く及ばないで在ろう。

昨今、悪想念が原因で様々な事態が発生して居る事をご存知だろうか?
例えば、イジメ、誹謗中傷、煽り運転、上げればきりが無いほどである。
悪想念を自身に向ける者は皆無である。
皆、他人である。


では何故、悪想念を他に向けるのか?
自身が傲慢だからである。

「自分は間違って居ない」「自分はあいつより上だ」の心は、
皆、増長傲慢が心を支配して居るからである。

そのくせ孤独を嫌い、仲間を募り自分の意見に同調させようとする。
くだらぬ事である。

真に學ぶ者は、孤独を孤高と解釈する。
孤高とは、気高く生き學ぶ事を栄養とする者の在り方である。
全ては自分の中で始まり、自分の中で起きている事に氣づく時、人はわかるで在ろう。
悪想念は無駄である事に、またそれに費やした時間の無駄使いに。
分からなければカルマ【因縁】を積み重ね、最後には自分が積んだカルマに依り自滅するしか無い。

霊的真理を學ぶ事は、自身のカルマを減らし、しあわせを引き寄せるチャンスなのである。
嫌うも良し振り向かざるも良しである。

全ては自己選択であり、押し付けられてやっても所詮、机上の空論にしか過ぎないのである。
密教には、悪想念を跳ね返し、悪想念を放つ者に返す法がある。
但し返された方は、何倍もの苦を味わう事になるのである。


南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝


悪想念は自然現象にも作用する…
昨今の異常気象の一因として考えると、いかに私たちが悪想念にさらされているのか
そして、身の内の傲慢さをまき散らしているのだろうかと思います。
これは他人事ではありません。
もっと危機感を持たなくてはいけないことなのではないでしょうか。

日々、善と悪の間で揺れる心を、少しでも善へ近づけるためには
反省と気づき、そして、正しい信仰心を持って、普段から律しなければいけないのだと思います。


今日もありがとうございます

慈葉




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by jiyou-925 | 2019-08-29 06:00 | 永作師僧からの便り

密教1207 ピュアな魂

密教1207 ピュアな魂_e0392769_11321269.jpg

人間は現界に生を決めた時、自身に課題を課して生まれて来ます。
しかし、その課題は時として重圧をもたらす事が多々あります。

例えばマラソン。
自身は完走を目指し、練習に練習を重ねて挑んでも、完走出来無い事もあるで在ろう。

始まる前は、この課題を必ずやり遂げて見せると心【魂】に誓い
意気揚々と現界に降りて来ますが、現界に降り月日を重ねて行く内に、
「自分はなんて難しい課題を課してしまったのか」と、感じる心が肉体に影響を及ぼす事が多々あります。
これが無意識の中の恐怖感となり、引きこもりや精神疾患を引き起こす事があります。


そして、上記が高ずると自分自身を見失い、自虐的に成ったり
酷い場合は、他を憎み自己を正当化しようとする精神構造へと変化する場合がある。

そして、上記の様な人が陥りやすいのが物質的価値観である。
物質的価値観とは、自分が得られたか得られ無いかが先行する考え方である。

そして、上記の考え方は利己主義に移行し、被害妄想をも産み出し変貌して行きます。
それを改善するのは、自分ですが実は簡単なのである。

反省し、素直な心に立ち還れば良いだけなのである。
しかし、長年の心の塵を反省し素直になるには、キッカケが必要となる場合があります。

そのキッカケが信仰心であれば尚、良いと考えます。
御仏は、全ての人に寛大であり、信仰心を得たいとする人には手を差し伸べられ
慈愛の中に包み込んで、自然に反省の心、素直な心にお導きくださいます。

先ずは信仰心とは何かを自身でお考えになっては如何だろうか。


南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝


心が疲れて現実を直視できなくなった時、
余裕がなくなり、どうしたらいいのかわからなくなってしまった時、
まずは、身も心もゆっくり休めましょう。
場合によってはお医者様にかかり、処方されたお薬を適切に飲む、カウンセリングを受けるなど
状況に応じて必要になることもあると思いますが、悲観しないことです。

つらくなっても、悲しくなっても、孤独を感じても、
仏様は、その心は寄り添ってくださっています。
信仰心の始まりは、お縋りすることでもいいのではないでしょうか。

仏様の存在を意識し始めると、きっと変化が起こると思います。


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慈葉



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by jiyou-925 | 2019-08-28 06:00 | 永作師僧からの便り

密教1206 正邪

普通の人は、邪を嫌います。

例えば、煽り運転をする馬鹿者に「危険だから辞めなさい」と言って
馬鹿が聞き改め行為を止め反省しますか?

日本は法事国家である。
警察に通報し、証拠を保存し告訴すれば良いのである。

犯罪者のカルマ【因縁】はそれだけに止まりません。

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全てをその後、失います。


現界の罪は償った様に見えますが、霊的罪は未来永劫消えません【霊的罪を償う方法はある】。

人間は知らず知らずに罪を重ねる存在である。
しかしそれを贖罪する道も用意されて居る事も事実である。

隠徳を積む事である。

道端のゴミを拾い、ゴミ箱に入れる事も隠徳になります。
困って居る人を助ける事も隠徳である。
この様に徳を積む行為は幾らでもあります。
しかし、いざ、やる気になっても出来無い、機会がないと様々である。
【言うは易し行いは難し】
しかし、何もせずば変わる事も無いが現実である。


密教の行も同じで、やる気はあるが決断と実行が難しい。
なれば、今のままでも仕方がないのである。

自分の課題は自分で完遂する。
その為のお手伝いをするのが私の役目である。

千座、万座で在ろうと一座が終えられなければ結願には至りません。
また一座の積み重ねが千座、万座なのである。

先を数えるのでは無く、終えた座を数えるのである。
差すれば励みになり、先が楽しみに変わります。

絡み合う糸も根気良く解いて行けば、いつかは一本の糸に戻る様に。


南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝


隠徳を積むのも、行を始めるのも、最初の一歩を踏み出さなくては始まりません。
ゴールが見えないと「これでいいのだろうか」と、不安になることもあるかもしれませんが
始めてみなければ、その不安感なども解消できません。

始めなければ、状況は変わりません。
未来を良いものにするには、待っているだけでなく、自ら働きかける努力が必要なのですね。


今日もありがとうございます

慈葉


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by jiyou-925 | 2019-08-27 06:00 | 永作師僧からの便り

密教1205 坊主拳法

義を見てせざるは勇無きなり

昨今は、魔物の皮を被りしムジナが闊歩し
何の罪も無い人を苦しめて居る現状を視る時、私は憤りを禁じ得ない。

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私は、武力を好まないが、魔物の皮を被ったムジナは退治するしかない。
警察に逮捕されれば身をかがめ善人をきどる姑息さは、正に虎の威を借る狐である。

情け無い姿であるが、これが現代社会が抱える縮図である
叩きのめすのは簡単だが、虎の威を借る狐は姑息そのものなので始末が悪い。


一番大切な事は、悪を許さない私達の心の改革である。
心の改革とは、自らを律し悪に立ち向かう信念が無ければ不可能である。

自らを顧みず他を糾弾する時、あの惨劇【戦争】をまた引き起こす種になるのである。

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冷静に考え、ムジナを許さない姿勢が必要であり、奴らの計略にはまってはいけない。

智慧と理性を持ってムジナを許さない姿勢が最も重要である。
ムジナは人間の姿を呈して居るが、心は魔物に魂を売り渡した物なのである。

善は悪をいさめ、魂の浄化を主眼に生きるが、魔物は欲に生き、欲こそ真理と人間を先導し
現界を地獄に変えるのが魔物の目的である。

選び選択し実行するのは、私達に他ないのです。


南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝


利己的な考えに囚われ、自分の要求、欲求だけを通そうとするとき
他を省みない傲慢な心の隙を突いて、心に魔物を住まわせてしまうのかもしれません。
暴力的なまでの衝動が沸き上がる「我を忘れる」状態というのは、
その証拠なのではないかと思います。

自分の心を魔物に渡さないために、學び智慧を増やし、理性的に考えるということが
必要なのだと思います。


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慈葉

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by jiyou-925 | 2019-08-26 06:00 | 永作師僧からの便り

密教1204 自爆のスイッチ

昨今、自殺について語られる事が少なく成ったと思うのは私だけだろうか?
【統計、政府の対応】

私は思う関心と無関心を。

人間の心は脆い。
悲しみ、苦しみの限界を超えた時、人は自爆のスイッチを押してしまう場合があります。

何処までがその人の限界点なのかは、私にも測る事は難しいが、
絶対に押してはいけないのが自爆のスイッチである。

密教1204 自爆のスイッチ_e0392769_04142088.jpg

自殺行為はリセットでは無い人生の中退である。
やり直しは、生きているからこそできる事である。

人生はゲームでは無い。
人生は究極の學びである。
自分を生き魂の友に繋ぐ経験を感動に転化する為の大切な旅なのである。

真実を知らず自爆すれば、のちに大変な後悔をする事になる。
何故ならば自爆を考えて居る人は、死んだら全てが終わると考えて居るからであり
死んでからも意識がある事を無視して居るからである。

人間は、死後、自分の意識がある事に驚き戸惑います。
さらに生前より意識が鮮明である事にさらに驚き戸惑います。
だから學びが必要であり自覚が大切なのである。

密教経典には死後の事が鮮明に解き明かされている。
また一般の方々の學びに適しているのは、浅野和三郎先生が遺された心霊學講座書がお勧めである。


南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝


「死ねば終わり」と考えたい。
「死」によって安らぎを得たい。
自ら「死」を選ぶ人は、きっとそう思ってのことだと思います。

ところが実際は、自死によって安らぎを得られることは無く、終わりも訪れることはありません。

この事実を踏まえれば「生きている限りやり直しが可能」ということが
どんなにありがたいことかわかるのではないでしょうか。

自死によって生きることを放棄してしまえば、やり直しの機会を失うばかりか
死の瞬間の想念、例えば「痛い、苦しい」「悲しい、つらい」といった想いに囚われたまま、
一瞬たりとも安らぎを覚えることもなく、魂は苦しみ続けます。

師僧の記事に何度も挙がっていますが「死に逃げ」はできません。
時間がかかっても、今は立ち上がれなくても、「生きて」乗り越えることが魂の経験値を上げるのです。


今日もありがとうございます

慈葉




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by jiyou-925 | 2019-08-25 06:00 | 永作師僧からの便り

密教1203  ペットは心の友

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心の友である動物達は、私達に様々な事を教えてくれます。

ある時は慈愛を
ある時は愛と命の學びを
それを學び取れるか否かは、あなた次第である。

どんな事にでも言える事だが、學ぼうとしなければ學べ無い。
支配に走れば傲慢に成り、愛を自覚すれば動物は愛に応えてくれます。


動物を扱う知人に聞いた話だが、可愛いさが先行して世話まで考え無いで
動物を迎え入れる人が増えて居ると聴き心を痛めている。

一例を挙げれば、仔犬を可愛いさだけで購入しその後の世話の大変さに投げ出す。
動物は物では無い命である。

命を共に全うする事こそ愛と命の學びである。
動物を飼う、買うは売買であるが、その後に付いて考え、共に生きるを考えて欲しい。
動物は物では無い、命である。
友であり家族である。

霊的に捉えれば學びの友であり、互いに高め合う最良の存在なのである。

密教1203  ペットは心の友_e0392769_00111178.jpg

私の寺では、様々な動物達の葬儀供養も行なっている関係上、別れを惜しみ泣き崩れる場面に遭遇する事は多々あります。
正に親子の別れ。
私の眼にも涙がにじむ事も多々あります。
そして、供養を受けた動物達は育ててくれた親に感謝し昇天する時、
親とのいとなみを感動に変えて旅立って行くのである。

そして新たなる霊的進化を遂げる為に修行の場に赴いて行くのです。
正に輪廻転生である。
人間が何故、生まれたかの神秘の全ての原点が其処にあるです。


南無大日大聖不動明王尊
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院主永作優三輝


ペットは「モノ」ではなく、ひとつの命。
そして、意志を持っています。
人間の都合だけを押し付けていては、良好な関係など築けません。

愛を持って接すれば、愛を返してくれる存在です。
小さな「命」は、守るべきものなので、無責任ではいられないのです。

今日もありがとうございます

慈葉
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by jiyou-925 | 2019-08-24 06:00 | 永作師僧からの便り

密教1202 愛の學び命の學び

どんなに頑健な人でも、一度病を得れば、他の人のお世話にならざるを得ないで有ろう。
例えば医師、看護師さんのお世話に成ります。

そして、家族が居る方は、家族の暖かい心に癒されるで有ろう。
人間は、生きるも死ぬも、誰かのお世話にならなければ果たせ無いのである。
その時、知る心が愛の學びである。

命の學び
この世に生を受け滅せぬ者は居ない。
会うは別れの始まり、どんなに愛し合って居てもいつかは、別れが訪れます。

狼狽え悲しみ嘆きの中に堕ちても、亡くなりし者は、戻って来ません。
魂の存在を學び、冥福を祈り、静かに送り出す事が必要である。

あまりの嘆きは亡くなった者が苦しむ要因になります。
何故ならば、自分が死んだ事で愛する人を苦しめてしまったと思うからであります。

亡くなった者に贈る最良の方法は、自らが亡くなった者に心配を掛け無い生き方を貫く事である。

正心に目覚め、精一杯の生き方こそ命の學びである。
命を軽んじふざけた生き方を良しとする者に、終生、命の學びを理解する事は、無い。
そして未来永劫、命の學びを理解し終えるまで苦しみ続けるのである。

命の學びを理解しようとする者には霊界は寛大である。
正しき學び、正しき生き方にしあわせは訪れます。

理性、智性は、學びに依り得られる宝である。


南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝


自分は、ひとりで生きているのではない
真にそう気付き、思いあがっていた心を反省することや
周囲の助けがどれほどのものであったかなどに、思いを馳せることが出来たなら
私たちは、連綿と続く命の重みや、確かな愛の存在を感じられるのではないでしょうか。

生まれるときも一人
亡くなるときも一人
しかし、そこには靈界の関与が確かにあるのです。

私たちは真に孤独ではありません。
「今」を生きていることこそが學びであり、大いなる愛の証でもあるのだと思います。

今日もありがとうございます

慈葉


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by jiyou-925 | 2019-08-23 06:00 | 永作師僧からの便り

密教1201 犯罪の横行

昨今の犯罪は残虐であり、眼を覆いたくなる様な事も少なく無いが
何故、人間がそこまで出来るのか?
犯罪者の動機も曖昧無知な者が急増して居る様に私は思う。

全ての犯罪を霊的要因に結び付ける気は私には無いが、では何故と問われた時、明確に答えられる方々はおられますか?
他人事と何処かで考えているから、突き詰めて考え様としないのでは無いだろうか。
今や安穏と出来無いと私は考えている、

それぞれの方々が理性と知性を屈指して、どうするべきかを考え自主的に行動すれば
必ずや結果は導き出されたます。

一例を挙げれば、自らの言動と行動を慎み励むべし。

言動は言霊と知り、行動は隠徳を積むと心得、學びを深める事は、自らのしあわせへの道である。
しあわせを望みながら言動と行動が伴わなければ、絵に描いた餅にも成りません。

正に自らを愛せない者が他を愛することも出来無いのである。
自らを愛する事で言動も行動も変化して行くのである。


南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主永作優三輝


犯罪に巻き込まれないために
自ら犯罪を犯すことがないように
私たちはしっかりと考えなくてはならないのかもしれません。

犯罪や自然災害といった突発的な出来事に、私たちはいつ巻き込まれてもおかしくないのだと認識し、自分には関係ないと無関心でいることなく、備えておくことが必要なのだと思います。

悪い想像に取りつかれ、不安ばかりを口に出すのは建設的ではありません。

自分を、周囲を大切にしようと思えば、どんな対策が有効なのか?どんな備えが必要なのか?そういったことにも気が付くのではないでしょうか。


今日もありがとうございます

慈葉



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by jiyou-925 | 2019-08-22 06:00 | 永作師僧からの便り

金剛山赤不動明王院 永作優三輝師僧のもとで霊的真理を學ぶ慈葉のブログです


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